第38話 壇ノ浦の戦い
最終決戦の壇ノ浦の戦いは、元暦2年3月24日の卯の刻に始まりました。旧暦なのでkeisanで新暦に直してみました。1185年4月25日でした。卯の刻は朝の6時くらい。日の出とともに開戦です。
壇ノ浦は現在の山口県の下関と福岡県の門司の間の関門海峡のところです。そうとは知らずに門司に行ったことがあって、地下道を通って下関へ行ったら、壇ノ浦に着いた時は驚きました。当時ではなくて、近年の話です。下関はフグが名物で、雑炊のランチ食べてきました。綺麗なフグの切り身が入っていました。
地下道を出て少し歩くと見覚えがある海が広がっていて、感動と共に複雑な心境でした。
柔らかい陽射し。所々に白い雲がある青い空。島が見える青い海。茶色い細長い石が重なったようなゴツゴツした岩に、その岩が砕けたような黄土色の海岸。
海上は船で埋め尽くされていたけれどそれらはなく、清々しい青が広がっていました。
壇ノ浦の戦いがあった海。
そんな出来事があったとは思えないほど、美しい景色でした。
***
あの日は天気がよい、春の日でした。
ボクは船に乗ってました。けっこう大きい船です。
手漕ぎでしたがボクは漕いでません。
誰かが漕いでいて、綺麗な海の上に浮いていました。
気持ちのいい風が頬をなでます。海の底が見えそうな澄んだ水。乗り慣れた愛馬の太夫黒は嗣信の供養のために屋島でお坊さんに渡していました。太夫黒に乗っていたのなら気を張っていないといけませんが、船はぼんやりと乗っていても転げ落ちるようなことはありません。
一ノ谷の逆落しの時も一緒にいた太夫黒。ボクを乗せて、安全に降りてくれた大切な馬。淋しかったけれど、太夫黒は安全な場所にいました。大切なものが無事でいてくれることが、心の支えにもなりました。
『危ないところに行くな!』と叫ぶ弁慶達の気持ちがわかるようなわからないような……。
でも、ボクが安全なところに逃げるわけにもいきません。
屋島の戦いから1カ月ちょっと。数の上でも源氏が有利になっていました。
陸には範頼兄ちゃんの部隊3万騎。海の上には味方の船が700艘。しかもそれが熊野の湛増さんや河野道信さんのような海のエキスパートです。
平家は500艘。
こうなっては、海戦が得意と言われていた平家も逃げ場がありません。
陸で過ごしてばかりのボクでしたが、意外と船は気に入って、巧みに作られた木の船に乗り、波間をスイーと進むのは嫌いではありません。戦でなければどんなにいいだろうと思いました。
匠の技でできた船で水の上を浮けるのです。水の上にいるのに濡れないのです。ゆらゆらと揺れる感じは悪くありません。こんなに楽しいアトラクションは他にないです。
でも、戦でした。馬を操るでもなく、弓を射るわけでもありません。接近戦なら誰にも負けない自信があるボクですが、まだ接近戦ではなかったので、やることがありませんでした。
「ヒマだね」
やることがありませんでした。
「おとなしくしていてください」
ぴしゃりと言われます。戦の時に海の総大将がなんてことを言っているのだという感じですが、動いてもいないのに行動を止められました。
「行っちゃダメ?」
ボクがやることはありませんでした。周囲では皆が戦っています。矢が飛び交う、ボクが苦手なヤツです。
「駄目です」
上目遣いに可愛らしく聞いたのに、厳めしい顔で却下されました。取り付く島もありません。
「今しばらくお待ちください。間もなく潮の流れが変わります」
そう言われてしぶしぶ海を眺めます。
潮の流れは平家の側からボクらに向かって来ていました。こちらは漕いでも進みにくいけれど、平家側はスイスイ来ます。それは、こちらが不利ということです。
九州にいた範頼兄ちゃんが先回りしていて平家の行く手を阻み、西へ向かっていた平家の後を東からボクらが追っていました。
潮の流れは東から西でした。それが、午後になれば西から東に変わります。そうなれば平家方は漕いでも進みづらくなり、ボクらはちょっと漕ぐだけで近づけます。ボクらから逃げても後ろには範頼兄ちゃんの部隊がいて、挟み撃ちです。
それから逃れるには、潮の流れが東から西のうちに、ボクらがいる場所を突破しなければなりませんでした。でも、彼らにそれはできませんでした。
お昼頃、ぼんやりと青い空を眺めていると、白い旗が飛んでいました。
どこかの船から飛ばされた源氏の白い旗が空を舞っていました。
「何? アレ」
空を見上げて言いました。
「風向きが変わって、戻ってきたんじゃないですか?」
同じように見上げていた仲間が言いました。
「ふーん」
強風で飛ばされた旗は、不思議な感じに戻ってきて、ボクの乗っていた船の帆に絡みつきました。
「こういうことって、起きるもんなの?」
「さあ? 珍しいかもしれませんね」
ほのぼのと言われました。
「白旗だし、縁起がよさそうだよね」
源氏の守り神様からのお知らせのような気がしました。
流れが源氏にやってきたようでした。
風が、潮がこちらの味方になったような感じになりました。
ボクは手を合わせ、静かに目を閉じます。
「何してるんですか?」
「なんとなく、神頼み?」
手は合わせたまま、目を開け、仲間の顔を見て言いました。
「俺もやっとこかな」
「やっとけば?」
二人で白旗を拝みました。
何も考えず、心を無にします。周囲の音が気にならなくなりました。
簡単なご挨拶です。八幡様や
そして、目を開けました。
気づくとみんなで白旗を拝んでいました。
ちょっと面白かったです。
「行こっか?」
笑顔でみんなに言いました。反対する仲間はいません。勝利を目前に、生き生きとした顔をしていました。元々血の気が多い連中です。本当なら止める役など、彼らの
***
午後になり、源氏は優勢になりました。
源氏方の兵は次々と平家方の船に乗り移り、刀や薙刀で切って回ります。こちらの作戦は、まず水夫やかじ取りを殺しました。船が動かなくなれば、平家はもう逃げられません。
午後4時くらいには、勝敗は決していました。
よほどのことがなければ負けません。ボクがよほどのおバカをすれば別ですけれど。
あとは、安徳天皇をお助けし、三種の神器を奪還すれば、壇ノ浦の戦いは終わります。
亡くなる直前に嗣信が望んでいたように、平家を倒すことができます。あと少しです。
でも、そのあと少しが、なかなかできませんでした。
日の出からずっと戦っていて、疲れも出てきます。
平家方は負けが濃厚になってきても戦っていました。貴族のような暮らしをしていた平家が、少し前まで安穏としていた平家が、最後の力を振り絞るかのように戦っていました。
それは最も気をつけなければいけない局面でした。お互いに疲労の色が見え、こちらは勝ちが見えていて、敵は死にもの狂いになっています。
戦では何が起こるかわかりません。
気を抜けば、味方の被害が出るかもしれません。
その状況に、耐えられなくなっていました。
源氏も平家もこれ以上の犠牲は必要がありません。
それに、最もしなければいけなかったことがありました。
安徳天皇を保護し、三種の神器と共に京にお戻ししなければなりません。
平家はどうなってもいいのですが、安徳天皇があちらにいらっしゃいます。高倉天皇と平徳子さんのお子様で、清盛さまのお孫さまです。
平家の血は引いていますが、天皇家の方です。平家とはまったく異なっています。しかも御年10歳。愛らしいお子様だったと聞いています。
早くお助けしなければなりません。
「あの船に突っ込め~!!!」
戦いながら、目を付けていた船を示しました。平家方の小船が密集していた場所です。
威勢の良いこちらの
それを聞き、あたふたとする平家方。戦う意欲を失った顔。平家方は逃げ場もなく、ただ死を待つだけのようになっていました。これ以上の戦いは無意味でした。
ボクは、着ていた鎧兜を脱ぎ捨てました。
「何してるんですか?!」
弁慶が顔色を変えました。
「飛び移るから脱いでる」
鎧を着て海に落ちたら溺れます。泳げないから沈みます。
「飛び移る?」
「その方が得意だし」
鎧を脱ぎ捨てると身体が軽くなりました。
背中に羽が生えて、どこまでも行けそうな気がしました。
「あそこの偉そうにふんぞり返ってるヤツの所まで行くから、船をそこにつけてくれ」
何艘か先にいる船を指さし、船頭さんに言いました。船頭さんはよくわかっていないような顔でコクコクとうなずきます。
「ボクが飛んだらすぐに向かえ。そうしないと、ボクが危険になるからな」
船頭さんはやり手なので、意味が分かっていなくてもちゃんと役目を果たしてくれます。
「どうするつもりですか?!」
少し離れたところにいた弁慶が叫びます。
「話、付けてくる」
それが手っ取り早いと思いました。
「おまえらは真似すんなよ」
弁慶たちにそう言って、近接した小舟に飛び移りました。落ちたら危ないです。ウチの連中はボクと違って筋肉がたくさんいます。
ボクが小舟に飛び移ると、それまで乗った船が揺れていました。弁慶は体勢を崩してよろめいていました。これでは味方が危険です。そう思って平家方の船の先頭に飛び移りました。
揺れるので、船に乗っていた平家の兵士はボクに襲い掛かることができません。そして、走って後ろまで行くと次の小舟に飛び移りました。ちょうどよい足場になりそうな位置に小舟がたくさんありました。そうして何艘かの船を渡り歩きました。
おそらく、これが八艘飛びと言われている物だと思います。
船を飛び越えたのではなく、小舟の上を走りました。
小舟が密集している場所があったので、さほど危険なジャンプなどはしないで隣の船に乗り移れました。危ないと思ったのは1回か2回です。船が揺れて敵が怯んでいる隙に次の船に行き、目的の偉そうな平家の人が乗っている船の近くまで行きました。
そんなに難しくはありませんでした。
走るだけだったので武器は置いて行きました。重さもあったし、話をつけるには邪魔と判断しました。
それに、海に落としてしまったら塩水で金属が錆びてしまいます。拾えるかどうかもわかりません。弓も大事だけど、ボクの刀は源氏の守り刀、とっても素敵な薄緑です。他の刀も大事な刀です。置いて行きます。持って行きません。
源氏の勝ちは決まっていました。
あとは、どうやって終わらせるかでした。
だらだらと戦って、これ以上味方に損害を出したくありませんでした。
それに、幼い天皇は、まだ平家方にいました。
だから、早々に戦を終わらせようとしていました。
ボクはそう思っていました。
平家は雅な方々です。
地位を築いた30年の間に、貴族のような生活が染みついていました。
戦など好んでいないはずです。
ボクだって好んではいませんでした。
だから『戦をやめましょう』と言えば、すんなりと話が通ると思いました。
ボクは、そう思ってしまいました。
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