第35話 扇の的(中2の教科書に載っていた部分)

 横を向いた舟が少し遠かったので、与一さんはざぶざぶと10mくらい馬で入って行ったそうです。それで残り60~70mほど。目分量だから、けっこう適当だと思います。

 教科書は次からが本文でした。


 2月18日の酉の刻。酉の刻は古い日本の時間の数え方で、つっこむとエライことになります。厳密には違うらしいですが、だいたい午後5時から7時。旧暦を新暦に直すと、1185年2月18日は3月28日になるようです(ネット調べ)。この日の屋島の日の入りは18:39だそうです(ネット調べ)。だから、午後6時くらいなんじゃないのかな? 日の入りの30分前くらいなら、けっこう明るいです。この後のこともあるから、6時なのかもしれません。


 北風が強くて波も高いです。舟も上下して、舟に立てられているのだから扇も上下しています。

 沖には平家方の人たちが舟を一面に並べ、陸には源氏がくつばみを並べて見物しています。くつばみは馬のくつわのことのようです。口につけて、手綱までつながってる物です。


 舟と馬がずらっと並んでるって、見物じゃなくて合戦前っぽくない?

 どちらを見ても晴れがましい姿をしていたそうです。めんどうくさそうじゃなくて?


 ひとりだけ、馬で海に入っている与一さんは目を閉じます。

 そして、心の中で神頼みします。


『南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉ゆぜん大明神、願わくは、あの扇の真ん中を射させたまえ』


 八幡様は源氏の守護神様です。これが真っ先に来るの、与一さん偉いです。それで、与一さんの地元の神様にお願いします。まず日光の二荒山神社、宇都宮は宇都宮にある二荒山神社。それで、与一さんの那須にある湯泉神社。那須の温泉、いいな。与一さん、いいところで育ってますね。日光と宇都宮と那須は栃木県です。だから那須与一なすのよいちさんです。

 それらの神様に矢が扇の真ん中に当たりますようにとお願いしています。


『これが外れたら、弓の弦を切って弓を折って自害します。外れたらきっと、人さまに顔向けできないようなことが起きてしまいます。また栃木に帰ってきてほしいと思ってくださるなら、この矢を外させないでください』


 ……脅しすぎたか?




***




 与一さんが目を開いて舟を見ると、風が少し収まって、的の扇も射易くなっていたそうです。きっと、与一さんはウチの源氏の守護神様と地元の神様に愛されていたんですね。


 与一さんはかぶら矢を取ってつがえます。

 鏑矢は音を立てて飛ぶ矢で、開戦の合図などに使われます。


 やっぱり戦する気、満々じゃね? 日の入り前に何してんだよ、まったく。時間切れだから戦終わりっていうのも好きじゃないけどね。ギリギリなところに勝機あり! ……って気分でもないです。通常ならそうですが、屋島ではナーバスになっていました。


 それはさておき、与一さんはよっぴいてひょうと放ちました。溜める表現をしてますね。この辺り、ボクは傍観者だからわりとどうでもいい。十分に引き絞って矢を放ちました。『よっぴいて』は『よく引いて』かな? 矢が飛ぶ音が『ひょう』。鏑矢だから音がします。


 与一さんは強い弓を持っていたそうです。それで放った鏑矢は、長い時間、辺り一面に音を響かせました。距離があったからね。そして、扇の要から3cmくらい離れたところに『ひいふっ』と当たったそうです。


 ひょうとかひいふっとかって、平家物語の頃からオノマトペがあったようです。今でも使えそうな感じ? 使わないけど。でもちょっと面白いですね。


 与一さんは無事に扇の的に矢を当てました。

 日が暮れてから見ていた平家方を根絶やしにするのは大変だったのでよかったです。神も仏もいたのかもしれません。


 まさか当たるとは思いませんでした。

 ボクなら何十本射ろうが、当てられない自信があります。


 与一さんは本当にすごいことをしました。


 鏑矢は海に落ちて、扇は空へ。要の部分の下に当たったから、上に行ったのかな? 扇は開いていたので、しばらく空中をフラフラ飛んでいます。空気抵抗でしょうか? 春風に1もみ2もみされたと書いてありますが、強い北風はどこ行った? ……それから扇は海に落ちました。


 夕陽が輝く海に、紅の扇の白い丸がお日様のように白い波の上に漂っていたそうです。それが見えたのって、平家方だよね? 源氏は砂浜にいるし。


 それは置いておいて、沖にいた平家方は舟を叩いて喜んで、陸では源氏がえびらを叩いてどよめいたそうです。箙は腰に付ける矢を入れる入れ物みたいです。音を立てて騒ぎたかったんでしょうね。静かにしようよ、うるさいの、キライなんだけどな……。


 そして、感極まっちゃった舟に乗った老い武者さんが、扇が立ってた場所に行って、薙刀を持って踊り出しちゃいました。平家方は、楽しそうに騒いでいました。


 源氏方が盛り上がるのは構いません。

 でも平家方までもが盛り上がっていました。


 彼らは深く考えていなかったのかもしれません。

 ただ、扇を源氏の前に出したら、どんな反応をするかを楽しんでいただけだったのかもしれません。


 戦場いくさばにいたのに風流だなんだのと、命がけで戦っている武士の考え方ではありません。

 与一は外したら命を捨てる覚悟でいました。


 ボクは、もし与一が外したら、どうやってその命を助けるかを考えていました。絶対に当たるわけではなかったのです。外れた時のことを、考えておかなければいけませんでした。


 ここまでの勝負に出たのなら、誰もが納得する『言い訳』を考えておかなければいけませんでした。皆殺しは一例です。それも無理なら他の案も考えなければなりません。


 名誉のために命を差し出すなどというのは、指示を出す立場から言わせてもらえば、迷惑この上ありません。平家がそれで有力な戦力を失うのは構いません。源氏の側でそんなことがあってはいけないのです。


 ただでさえ多勢に無勢なのですから。

 でも、その差も随分と縮まっていたはずです。


 どんな時でも笑顔を忘れない?

 大切な仲間が亡くなったというのに?


 平家の雅な振る舞いを学べ?

 ボクは平家ではありません。それはもう何年も前に聞かされ続けた言葉です。


 清盛さまの義理の息子として平家側にいたのに、ボクは平家ではありませんでした。

 ボクは源氏の、源九郎義経です。




***




 老い武者は舞っていました。

 おもしろおかしく舞っていました。


 伊勢いせの三郎さぶろう義盛よしもりが、与一の後ろに馬で寄せていき

「あの武者も射てしまえ」と、言いました。


 こちらは皆、気が立っていました。

 源氏が喜ぶのは当然ですが、平家が喜んではいけないのです。


 当然、与一もわかっていました。

 与一は鏑矢ではなく、実際に射れる矢に替え、老い武者を討ちました。


 神がかっていました。

 ここぞと言う時に、きっちりと当てる腕前。


 見事でした。

 北風に揺れる舟の上の的を二度も当てたのです。


「よくやった」と言う者がほとんどでしたが、中には

「情けのないことをしたものだ」と言う者も居ました。


 皆が楽しんでいたのに、それに水を差してしまいました。扇の的に矢を命中させた与一を見て、喜んで舞っていたのです。そう言われても仕方がありません。


 品のないことをすると、ボクだって思います。


 でも、だからこそ、嗣信の魂とともに送りたいとも思いました。

 そのために討ったんだと、自分に言い聞かせました。


『そんなことしなくてもいいですよ』と、嗣信は言うかもしれません。

 ボクたちは、もう嗣信とそういう会話をすることができなくなっていたのです。


 死者はそんなことをしても、喜んだりしません。

 そんな感情すら、なくしてしまうのです。


 それで死者が喜ぶと思いたいのは生きている人間です。

 生きている人間がそうしたいから、恨みを晴らすのです。


 死者はそんなことで喜んだりはしないでしょう。

 嬉しいとか悲しいとか、思うことができなくなるのです。


 嗣信がボクの目の前で話したり笑ったり、もうそういうことができなくなってしまったのです。

 嗣信を失ったことは、ボクにとって大きな痛手でした。


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