4 扇の的
第34話 海には平家 陸には源氏
日も暮れかけ、屋島の戦いの1日目は、最悪な状態で終わろうとしていました。矢たけびの音や剣げきの音も収まり、源氏も平家もけが人の手当や死者を弔うことなどをしていました。陸の屋島に源氏方、海にある船の上に平家方がいます。双方に食事を作るための煙が上がっていました。
嗣信が亡くなり、ボクも何かしようという気力が失われていました。総大将失格と言われても、しかたがありません。泣きすぎて真っ白に燃え尽きていました。こんな時、いつもなら真っ先に駆けつけてくれていた嗣信が亡くなってしまったのです。
ボクは平泉に行って、はじめて人間として生きられるようになりました。秀衡さまの元、自分が自分でいていいのだと教えられました。
平泉の人たちは、ボクにとって大切な人たちです。
佐藤嗣信は、その楽しかった平泉での生活の中に、いつもいました。その時間を与えてくれたひとりでした。
思い出すとまた涙が出ました。表情とか仕草とか、思い出したくないのに思い出してまた涙して……。
戦どころではありません。
でも、戦になれば、また戦わなければなりません。
死ぬわけにはいきません。
嗣信の命を与えられたようなものです。
平家を滅ぼすまで死ねません。
泣いて泣いて、そういう気持ちに少しずつなっていきました。
今日は泣かせてほしい。
明日になれば平家を滅ぼすために戦うから。
そう思っていました。
***
けれど、日が沈みかけた頃、一艘の小舟が沖からこちらにやってきたそうです。そして、陸から80メートルくらいのところで横向きになり、こぎ手と老い武者(50歳くらいのおっさん)と、17~8歳の美しい
平家方がおかしなことを始めたと、ボクも呼ばれました。
しかたがないので、しぶしぶ出て行きます。
ホントにしぶしぶです。
そんな気分ではまったくありません。
まだ何かやるのか? この傷心のボクに何をさせる気なんだ? 明日になったら浮き上がるから……。それなのに、なんでその時間が与えられないんだ? 苛立ちが抑えられません。
平家が何かやらかしているのにボクが行かなかったら、身を挺して守ってくれた嗣信に顔向けできません。ホントにギリギリの状態で行きました。めちゃめちゃ機嫌が悪かったです。
その平家の船の中央には、先端に広げた扇を付けた
扇は赤地で真ん中に白い丸が描かれています。
白が源氏で赤が平家、紅組白組でやる紅白の元になる色分けがありました。
つけておかないと、どっちが敵か味方かわからなくなります。
裏切り行為が多かったからです。
『私は現在、こっちです(だから攻撃しないでねっ)』というのを表していました。
赤地に白丸ということは、源氏は完全に平家に包囲されていると言いたかったのかもしれません。平家はそういう細かくてめんどうくさい遊びが好きです。
こっちが本気で怒っていても、気にもならないんです。
どこがおかしくて、何がつまらないのかわからないんです。
ボクが最悪な気分でいたって、きっとそれを笑うんです。
人が哀しんでいることを、扇で口元を隠してクスクス笑うんです。そういう人たちなんです。
海の平家がとっとと舟で逃げなかったのは、ボクを殺す絶好の機会だと思ったのかもしれません。100騎なんていない80騎なんですから。それに、嗣信が亡くなったということは、ウチは大打撃です。ボクが使い物になりません。そもそも矢では何の役にも立ちません。
こちらの援軍は渡辺津からは期待できません。あんなに大見栄切って出てきたので『助けて~、来てくれてよかった♡』なんて冗談じゃありません。
それに、あちらはあちらでボクが死のうと構わないと思っているでしょうから、時間を稼いでいることも考えられます。
まだ、海は荒れていて一昨日からの北風も強かったです。
海には戦う気などなさそうな一艘の舟が横を向いて漂っています。この緊急時に優雅に着飾った女官が自分の扇で、おいでおいでと手招きするようにあおいでいます。
その女官の上に赤地に白丸の扇がありました。
イライラする動きです。荒波に揺れる舟。それなのに笑みを浮かべ、一定のリズムで扇を持った手を揺らします。
ゆらゆら、ゆらゆら。何かの呪いでもかけているのではないかと思わされる感じです。なめらかな動きでゆっくりと。
すぐに顔を背けました。目が合ったらいけない系に思えたので。
催眠術でもかけられそうな嫌なテンポでした。
しかも、中央の扇。白地に赤丸の方が楽そうなのに、わざわざ赤地に白丸。
こんな扇、いつから用意してたんだ? 兵が戦い、命を落としているその間に、赤い扇に白丸を描いていた者がいたのかもしれません。ボクが嗣信の死を嘆いている間、それを喜ぶかのように……。
「何だ? アレ……」
近くにいた
「あの扇を弓で射てみよ、ということでしょう」
そんなくだらないことで呼ぶんじゃねえと思いました。マジで切れそうでした。
「どうしますか?」と聞かれました。
「放っておくと、調子に乗るだろう。誰かに射落とさせろ」
自分で射落とす気はまったくありません。
弓、苦手です。
弓、苦手なんです。
射て落とすまでに時間がかかるし、集中力が持たないんです。
刃物で切るなら動作一回でいいじゃん。切ってすぐ次に行けるじゃん。それなら飽きないじゃん。
弓だと射て、次の矢をつがえて、ってやるのがもどかしい。
刀が届く距離に行くまでが面倒くさいけど、着けば後は早いです。
こんなボクなんて守る必要ないのに……。
そう思ってまた涙する……。
***
すぐに
屋島まで来た50人に入って来ているということは、腕に自信がある者ということです。
飛ぶ鳥の3羽のうち2羽を落とすそうです。飛んでる鳥だからね。ボクは何百回やっても当たんないよ。動きを予測して矢が届く時に鳥がどこにいるかを考えて射るんだからね。言うのは簡単だけど実際に当てるのはとっても大変です。
「やって」というと「やだ」と言われました。
「なんで?」と聞くと、
「外したら切腹ですよね? そんなことで命を落としたくありません」
合理的な良い答えです。与一は弓の名手らしく、冷静で動じない感じでした。
「向こうはそれが目的だろう。弓に秀でた者を、この機会に亡き者にしてやろうという」
もしくはノコノコ出て行ったボクを射てしまおうとか、ふざけるのも大概にしろ。彼らは遊び感覚でこちらに打撃を与えようとしていました。平家というか腐った貴族な考え方がイラつきました。
「それに乗る必要はないでしょう? 俺はやりません」
冷静に断られました。
「ただ、あれ、目障りだと思わないか?」
ユラユラ揺れている舟に、髪の長い煌びやかな女性が気持ち悪いリズムで手招きをしています。扇で自分の手の動きを強調しているのが、ことさらに不快でした。
「まあ、確かに……」
同意を得られてよかったです。ぴくりともしない感じだった与一が少し動きが見られました。
「こちらとしては、あんなクソみたいなことをしてきた平家に『そんなことをしてきても、源氏の勝ちは決まってます』という感じにしたいんだよ。数の上では圧倒的に不利だから、気持ちで負けるわけにはいかないんだ」
「……それ、かなり責任重大ですよね」
与一は深いため息をついて言いました。かなり迷惑そうです。
「うん」
にっこり与一に笑いかけました。目までは笑えないけど、がんばりました。
「大丈夫、与一は外さないよ」
そんな気がしました。根拠のないただのカンです。こういうとき、けっこう当たります。
「外したら、次を射ればいい。いつも通りでいい。外しても何度も射て的に当てればいい。それで、あのうざい連中を黙らせろ」
一本で当てることが難しいのはわかっていました。
強い北風の荒れている海。そこで揺れている船の上にある扇の的を当てるのです。
運も左右する勝負でした。
計算がきちんとできる人ならば、この勝負がかなりヤバいモノだとわかります。
与一はそれがわかっているようでした。腕がいいのでしょう。
「全部外しても気にするな。見ていて言いふらすようなヤツは、全員殺すから」
言ってみて、良い案だと思いました。
「え?」
与一が驚いた顔で、ボクを見ました。
「むしろ、外してこい。お前の失敗を言いふらすことができないように、外した直後に平家の人間を根絶やしにしてやる。一艘たりとも逃がさない」
頭の中に、地図がありました。散々眺めていたので、どことどこに人を配置すればそれができるか、考えていました。
どの人が味方になってくれそうか。そして味方になってくれそうな人には何を与えればよいかなどです。
たまに、売り言葉に買い言葉をしてしまう時があります。冷静になって考えれば、そんなことができないのはわかります。でも、そういう気分になっていました。
嗣信に、平家を討てと言われました。
それなら、それをするまでです。敵が余計なことをしてきたのだから、それが少し早まっただけです。本当は明日まで何もしたくはなかったけれど、しかたがありません。
一応、言い訳をしますが、与一に『外しても気にするな。お前を殺させることは絶対にしない』と言いたかっただけです。ついつい言いすぎてしまいました。口は災いの元だと、重々承知してはいるのですが。
嗣信を討たれて、気が立っていました。
嗣信を殺した
「何本も射たりはしません。一本で当てて見せます」
与一に言われて我に返りました。
「よく言った」
ボクは与一に心からの笑みを向けました。
引き受けてくれたのも嬉しかったし、言い方も気持ちよかったです。信頼できる眼差しをしていました。できる人間の決意の表情は悪くありません。
でも、ボクはどっちでも良くなっていました。与一が当てようが外そうが。
どちらでも、ボクにとっては同じです。
与一が当てようが外そうが、嗣信は生き返りません。
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