第32話 阿波から屋島へ向かう

 2月17日の朝6時に阿波(現在の徳島県)に着いたそうです。ふつうなら3日かかるところを6時間です。しかも手漕ぎ。ボクは漕いでないけど。やっぱり追い風は最高です。だって速いです。


 ひっくり返らなければいいだけです。乗ってみると意外と大丈夫だったりします。200艘だったら何艘かはひっくり返るかもしれませんが、精鋭5艘なら心配ありません。


「勝ち目のない戦いに来てくれるおバカさんが、こんなにいるとは思わなかったよ」

 阿波に着いて、軽口をたたきました。信頼関係があるから言えます。


 ついてきてくれるのはわかっていました。彼らに見放されたら、ボクは何もできません。でも、やっぱりついてきてくれて、それはそれで嬉しかったです。


 普通に考えれば、源氏が優勢になってきているとはいえ、50人で平家の本拠地に突っ込んでいるのです。源氏が勝利していることは歴史的事実ですが、当時はどちらが勝つかわかりませんでした。


 無謀もいいところです。敵しかいない場所に乗り込んでいるのだから、全滅してもおかしくありません。そんなことになれば、景時たちはボクの無能さを大声で広めるでしょう。


 源氏が不利になるとか考えもしないんじゃない? 海の総大将が少ない手勢で全滅なんてことになったら、恥ずかしいどころの話ではないんですけどね。


 でも、そこを行ってしまうのです。勝ってしまうのです。

 ボクの仲間は。


「こんな好機、逃すはずがありません。薙刀を振るえば敵に当たり放題です」

「思う存分に動いても、同士討ちの心配がありません」

 それを大喜びする人たちです。


 その姿は容易に想像ができました。

 彼らはとても強いです。肉体的にも精神的にも。


 無謀な作戦に出ても、それを勝ちにしてしまう人たち。ふつうの人には無謀でも、彼らには無謀ではありませんでした。それだけの能力と経験がありました。そういう努力や経験がない人には、怪物に見えてしまいます。

 でも、血が通った、ふつうの人間です。楽しくて頼りになるだけの。


 無謀で不利な作戦のはずですが、そんなこと誰も思っていません。皆、内心では、面倒くさい連中が摂津の国に残ってくれて嬉しくてたまらないという感じでした。

 のびのびできました。


 最も危険な戦いでしたが、最も負けない戦いでした。

 屋島の戦いは、ボクたちにとって好条件が重なりすぎていました。


 強すぎる北風は、ボクらにとって強力な追い風でした。


「ボクなんて、皆の足手まといだね」

 その様子を感じ取り、そう言いました。ボク自身、楽しくてしかたがありませんでした。うっぷんがめちゃめちゃ溜まっていたので。


「面白いこと言いますね」

 ニヤッとしながら言われました。


「こんなに可愛らしい小鹿じゃ、平家を見てブルブル震えちゃうよ」

 緊張はありました。でも、負ける気はしませんでした。


「……小鹿ですか? 誰が?」

 呆れたように言われました。


「みえるよね?」

 ボクはみんなより一回りは小さかったし、顔も並より良かったです。吾妻鏡で出っ歯と書かれていたことを、かなり根に持ってます。


「武者震いをしている子鬼か天狗の間違いではありませんか?」

「天狗さんなんてとんでもない。天狗さんはとっても強いよ。ボクなんて手も足も出なかったし」


 幼少期に天狗に鍛えられました。

 ホントに彼らは強かったです。


「妖怪変化がウチの大将なら、勝ちは確定です。それに、万が一愛くるしい小鹿だったとしても、我らが身を挺してお守りするので何ら心配はありません」


「妖怪変化ってひどくない? ボクは小鹿だからよろしくね」

 それが現実になるとは思ってもみませんでした。ボクは妖怪変化ではなく、ただの小さな鹿でした。




***




 阿波に着くと80騎ほどの平家方の人たちがいたので、軽く肩慣らしをして情報を得ました。ボクたちはただ突っ込むだけではありません。敵の本拠地に行くのだから情報を得ます、ちょっとだけ脅かして。ほんとにちょっとだけです。


 ここで、屋島には1000騎ほどいることを確認できました。一の谷の戦いの時は平家方は10万くらいでした。その100分の1です。一の谷から1年経っていたからしかたがないのかもしれないけれど、油断があったのかもしれないし、平家に味方する人も減っていたのかもしれません。


 ただ、こちらは50騎。

 ふつうなら多勢に無勢です。


「敵が油断しているうちに行こう」

 ウチはいつもコレです。2日かかるところを1日で行くことにします。阿波から屋島って、そんなにかかりますか? ……とにかく急ぎました。


 それで、大阪超えというものをしていると、手紙を持った人と出会います。気品漂うボクがいたせいか、平家方と間違えられます。平家は雅、源氏は武骨が浸透しております。源氏っぽくないボクが守られるようにしていたから、そう思われたのでしょう。平家方にも武骨な方は味方していました。

 夜道だったことも幸いしたようです。


 その人は屋島にいる内大臣の平宗盛さんに手紙を届けるそうです。目的は違うのですが、行く場所は同じでした。

「物騒だから一緒に行きませんか?」と話を持ちかけました。こちらはその方を護衛する形になり、屋島まで道案内をしてもらうことになりました。ボクはとても愛想がいいんです。だから京の都の方々が味方についてくれました。京都の方々も一筋縄ではいかないのですが。


 女性からの文を届けると言っていたので「恋文ですか? こんなご時世に大変ですね」というようなことを言うと、

「いいえ、違います。源氏の様子を知らせる手紙です」

 深刻な様子で言われました。


 不幸中の幸いでした。

 その方は手紙の内容を知っていて、しかも会ったばかりの人(ボク)に話してしまいました。ふつうの真面目な人だったのでしょう。ボクの愛想が良すぎたのと、やっぱりボクの外見は平家側っぽかったんです……。


「源氏は渡辺津にほとんどがいるみたいですね」

 世間話のように知られていることを言いました。嘘は言っていません。ほとんどの源氏方は渡辺津にいて、ここには50人しか来ていません。精鋭部隊ですけど。全員が一騎当千ですけど。


「いまのところは渡辺津にいるようですが、九郎義経はすばしこい男のようです。だから、いつどこから屋島を攻めるかわからないという手紙でしょう」


 血の気が引きました。ものすごく、とってもドキドキしました。平家に知られてはいけない情報です。『敵に気づかれずに叩く』ができなくなります。


 それに、まさかここで自分の名前が出るとは思いませんでした。だって、ボクは義仲さん討ったのと一の谷しか戦ってなかった源氏の末っ子です。総大将と言っても名ばかりだと思ってました。


 これを言われ、気づいたら平家に囲まれてた!

 ……となっていたら、マジで怖いです。


 弁慶たちも殺気立ちます。

 でも、この人はそうでもなかったです。


「あなた方も、義経にはお気をつけなさい」

 ボクが平家側の人間で、義経と戦う立場だと思って注意してくれました……。悪意のない人で、平家のために夜道を急いで屋島に向かっているだけの人です。


「えっと……、大丈夫だと思います……」

 もう嫌だ。義経のイメージってどうなってんだ? という心境でした。でも、だから道案内もしてもらえたのですが。


「油断大敵ですよ。とにかく義経は……」と、その方が言っている途中で弁慶たちが取り押さえました。


「殺しちゃダメだからね」と、言いました。いい人だったんです、その人。名前を明かし、縛り付けて手紙を取り上げました。


 その手紙、ボクの行動をほとんど読んでいました。

 風や波が強くてもボクが攻めていくかもしれないから、軍勢をあちこちに散らさずに用心するようにと書かれていました。


 占い師か?

 途中で処分できてよかったです。

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