ティーブレイク

百人一首

 いろいろとお世話になった方々がいらっしゃるので、ちょっとだけ紅茶を飲んで一休みする感じのつもりです。横道に逸れすぎですみません。


 なんとなく、ただなんとなくなんですけど、ボクは崇徳院推しです。


 あれだけ関わっていた後白河法皇様ではなく、崇徳院様、讃岐に流されて讃岐院さぬきのいんと呼ばれるようになった方です。後白河法皇には迷惑をかけられました。お世話にはなりました。法皇様がいらっしゃらなければ、源氏は平家に勝てなかったでしょう。しかし、兄上と仲たがいをする原因を作るなど言語道断です。ボクの怒りは言葉では表せません(怨)。


 だから保元の乱で後白河法皇と対立していた崇徳院が良い、というわけではありません。崇徳院は頭も良くて品のある方だったのだろうと思います。鳥羽院や後白河法皇様の後ろに下がるには、他の人が放っておかなかったのではないでしょうか。


 また、崇徳院は日本三大怨霊のひとりです。

 平治の乱の後、讃岐でお経三昧の日々を送られていました。保元の乱で亡くなった人たちのご冥福をお祈りしながら写経し、それを京の都に送ります。


 しかし、後白河法皇はどんな呪いがかかっているかわからないと突っ返します。当時は占いのような物が日常を決めていました。そう思ってしまっても仕方がないかもしれません。


 それに法皇様も後ろめたい所もあったのかもしれません。自分と敵対していた人たちの冥福を祈ったお経が書かれています。その中には、ボクのおじいちゃんや叔父さんも含まれていたはずです。


 京に置いておきたくなかったでしょう。

 そこで「いいよ。そういう気持ちを受け入れましょう」という人だったら、きっと蹴落とされてます。少しでも情を見せると終わります。その人だけでなく、一族が滅びます。


 トロイの木馬みたいなものと思ってしまったのかもしれません。中に入れたらパカっと開いて中からドロドロしたモノがあふれてくるかもしれない。

 だから受け入れられなかったのでしょう。


 突っ返された崇徳院はとてもお怒りになられて、お怒りで亡くなったそうです(憤死と書いてありました)。亡くなるまで爪も髪も伸ばし、夜叉のような姿になり、天狗と呼ばれたそうです。


 源平合戦の後、兄上が鎌倉に幕府を開くと、しばらく天皇家が目立たなくなります。江戸時代の終わりに大政奉還がされるくらいまで……。


「誤解だと思うのですが」と、怨霊扱いされ気味のボクが言う? お祀りされている神社があるということはそういうことです。


 ボクは崇徳院は雅で優しい方だと思います。

 崇徳院は歌を詠んだりと雅な面もあり、百人一首にも歌が残っています。



 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の

  われても末に 逢はむとぞ思う



『いつかまた会えるよ』と恋人さんに送った歌だと言われています。ボクもそうだと思いたいです。川を流れている水は岩に分けられてもすぐに一緒になるから、だから安心してねという歌です。


 ボクはこの歌、好きです。

 音が綺麗だし、文字も素敵です。


 緑に囲まれた流れの早い川が浮かんできます。

 マイナスイオンがいっぱいで、ほっと息をつけるような昼間の川です。


 大きな流れがあって、それに抗えずに別れてしまっても、いつかどこかで会うことができます。川として会えなかったとしても、海に出れば同じになれる。みたいな感じじゃないですか?


 自分たちがいたのは小さな川だったかもしれない。けれど、その先のことまで見据えているような、そんな気がします。


 仲直りができたらいいなと崇徳院は思っていたかもしれないのに、他人を陥れようとしている法皇様には、眩しすぎたのかもしれません。

 それを認められず、法皇様は反発してしまったのかもしれません。


 ボクは崇徳院は素敵な方だと思うし、それを認められなかった後白河法皇様も無理はなかったと思います。

 だって、呪いとかって怖いし。


 何か悪いことがあると、今でも人は何かのせいにしたくなります。それで宗教にはまってしまう人だっています。悪霊のせいにしたり神様・仏様にお願いしたり。


 後で意味が与えられてしまっただけかもしれませんが、実際に鎌倉幕府ができて国の中心はそっちに行ったわけだし。兄上がすごいです。



 天狗と呼ばれたり讃岐だったりと、もしかしてボクは崇徳院にものすごくお世話になっていたのではないかと、ちょっとだけ思ったり思わなかったり。


 アラフォーの天狗さんに10歳くらいの牛若丸が武術を教わるみたいな?

 讃岐と鞍馬山を熊野古道を通って、行ったり来たりしてたのでは? 途中に吉野山もあるし。


 日本三大怨霊ということは、それだけ大きな力を持っているということです。菅原道真公は天神様として全国の受験生から崇められています。今年もお正月は近所の天神様に行列ができていてお参りするのを諦めました。


 崇徳院は素敵な歌を残されている方です。

 恨みなどとは程遠い歌です。


 だから神様としてあがめられているのでしょう。


 讃岐院として人々から慕われて、危険と思われてしまったのかもしれません。噂ではなくて、実際にその人を見なければ、その人となりはわからないのではないかと、ボクは思います。




***




 あと、鎌倉幕府の三代将軍の源実朝くん。

 兄上と政子さまの次男も百人一首に歌が入っています。


 叔父ちゃんは嬉しいぞい。

 ボクの甥っ子が小倉百人一首に選ばれてますっ。



 世の中は つねにもがもな なぎさこぐ

  あまの小舟をぶねの 綱手つなでかなしも


と、歌ってます。

 鎌倉右大臣って名前になってます。


 これを読むと、なんかちょっと海で風が強い日に、舟がぶつかってカコカコいってる感じがします。将軍として疲れてたのかい?


 讃岐院とは違うけどいい歌だね。

 鎌倉の空から地上にスーッと光が伸びてくる天使のはしごが見える海が、ボクには見えるよ。


 南国とは違う灰色の砂浜。

 でも馴染みのある海。


 実朝くん、いいお歌だね!





※ Wikipedia「崇徳天皇」「源実朝」

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