第5話 保元の乱

 父は清和天皇の流れをくむ河内源氏の統領のみなもとの義朝よしとも。母は宮中でお仕事をしていて、京の都の美人コンテストで優勝経験もある常葉ときわ御前ごぜん。兄は鎌倉幕府を開いたみなもとの頼朝よりともです。


 恵まれている家系に生まれたように見えますが、源氏が『すごい』と言われるようになったのは、兄上が鎌倉幕府を開いたからです。


 源氏にもいろいろあるそうですが、ボクのところは清和せいわ天皇の子孫なので、清和源氏と呼ばれます。でも、その清和源氏が別れて、河内源氏になりました。


 河内は地名だそうです。大阪の方だとか。

 傍流ぼうりゅう(主流ではない)だそうですが、兄上が鎌倉幕府を開いたので、「源氏」と言うと、「清和源氏」、もしくは「河内源氏」のことを指します。


 ボクの系統の源氏は、源氏の顔みたいになっています。

 兄上のおかげです。兄上がすごいからです。


 ボクの物心がついた頃は平家全盛の時代でした。

 平家でないというだけで、ロクな目に会いません。


 どうしてそうなったのか。

 保元・平治の乱が主な原因です。


 まず保元の乱から説明します。

 こっちの方が先に起きた戦いなので。


 1156いいころ年起きた保元の乱。

 小学生くらいの時に先生が「ただの語呂合わせなんだけど、ホントに武士にとっていい頃に起きたんだよ」と言ってました。


 それまで貴族の下働きみたいだった武士が表舞台に立とうとするきっかけになった戦いだそうです。


 保元の乱は、まだ源氏対平家ではありません。

 それと、『乱』なので内乱です。


 天皇が誰になるのか。

 もしくは誰が院政を行うのか。


 それがメインに来て敵味方に別れ、それぞれがそれぞれの想いを持って戦っていたようで、そこが物語になります。


 物語なんて、人の数だけあります。

と言ってみて、いろいろなことをごまかす。




***




 なんとなくですが、保元の乱は源氏物語の色が濃い感じがします。源氏物語は恋愛小説なので、天皇はあっさりと決まっていました(でも、誰が御上おかみ(天皇のこと)の寵愛を受けるのかは、こと細かく描かれています)。


 女の争い、すごいですね。怖いですね。

 男が行う合戦とは違う戦いです。源氏物語の亡くなり方は、呪い殺されたり光源氏に睨まれて衰弱死などで、「そんな死に方するわけ?」と驚いた覚えがあります。それは置いておいて、


 保元の乱は始まり方が面倒くさいです。

 女の戦い顔負けの面倒くささです。




***




 まず、白河天皇が子供の堀川天皇にくらいを譲りました。なぜかと言うと、天皇が退位して上皇(太政天皇)つまり院になって政治を行いたいからです。これを院政といいます。あと、上皇が出家すると法皇になりますが、法皇が政治を行っても院政です。


 平安時代と言えば摂関政治です。藤原氏の誰かが摂政・関白になって天皇の後ろ盾になて政治を牛耳ります。それが弱ってきた平安末期に院政なるものが行われるようになりました。


 一番偉い人のはずの天皇の後ろに誰かいて、その人が政治を動かしています。藤原氏だと摂関政治、天皇家だと院政です。ざっくり言うと。細かく言うと微妙に違うらしいです。

 詳しいことは、教科書を読んでください。


 それと、太政天皇も出てきました。臣籍降下した直後の光源氏は例外的にこれに等しいとされる准太政天皇になりました。


 光源氏自身にも力がありましたが、息子(隠し子)が天皇になってます。

 つまり光源氏はとってもすごい地位をもらっていたんですね。恋愛ばっかりしているように見えたのに。


 話を戻します。堀川天皇がお隠れ(亡くなることです。直接的に表現しません)になって、まだ5歳で堀川天皇の皇子の鳥羽天皇が即位します。5歳なので引き続き白河院が院政を行います。


 鳥羽天皇が大きくなってくると、白河院が鳥羽天皇の皇子の崇徳天皇に位を譲らせます。鳥羽天皇は鳥羽院になります。扱いづらくなったのか、その他の理由があったのか。


 しかしその後、白河院が亡くなると、鳥羽院の天下です。鳥羽院は「気に入っている奥さん(崇徳院のお母さんではない)との子(崇徳院の弟です)を天皇にしたいから譲りなさい」と崇徳天皇に言い、近衛天皇が即位します。


 当時は一夫多妻制で、奥さんは一人でなくてもいいです。跡継ぎがいなくなってしまうことを考えると、しかたがない制度だったようです(ホントにそれだけとは思えないですけど)。正室(正妻)がいて、その他の奥さんは側室になります。「羨ましい」などと思わないでください。とても面倒くさいです。それにそれが原因で戦いになることも少なからずあります。話を戻します。


 そして、崇徳天皇は崇徳院になります。崇徳院はご自分の子を近衛天皇の養子にするなどして、鳥羽院の後に院政をしようと準備をしていました。院政をするには、近い血筋の子供を天皇にしないといけません。だから近衛天皇の次にご自分のお子さんが天皇になるようにしていました。


 しかし近衛天皇は十七歳でお隠れになります(このパターン、2度目のような気がします……)。すると、崇徳院のお子さんではなく、もうひとりの養子が天皇と決まり、その養子がまだ幼いのでその子の実の父親の後白河天皇が即位します。


 それまで話に出てこなかった後白河天皇です。びっくりする手法で即位しています。これでは崇徳院が院政を行えなくなってしまいます。


 そして、鳥羽院がお隠れになったのをきっかけに保元の乱が起きました。次の天皇になる皇太子を誰にするかで崇徳院と後白河天皇でもめたそうです。


 後白河天皇に清盛様とパパ(源義朝)がついて、崇徳院に清盛様のおじさんと源氏からはボクのお祖父ちゃん(源為義)と叔父さん(源為朝)がつきました。他も藤原氏などの一族が二手に分かれ、それぞれが崇徳院と後白河天皇の味方になりました。


 自分に有利なことをしてくれる人に味方する感じで、源氏も平家もあまり関係ありませんでした。この辺りも教科書でも読んでください。テストを受ける人は覚えてください。


 結果は後白河天皇が勝ちました。清盛様とボクのパパが味方です。

 勝つでしょう。


 負けてしまった崇徳院は讃岐(現在の香川県)に流され(流刑です)、崇徳院の味方になった人は処刑されました。ボクのパパはお祖父さんと叔父さんを処刑しました。


 そして、この後、清盛様はみるみると力をつけます。






※ 参考にしたHP コトバンク「鳥羽天皇」,Wikipedia「崇徳天皇」

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