第4話 源平合戦とは

 平家物語は源平合戦で栄華を極めた平家が滅んでいく様子が描かれています。

 平家にも下積みのような時代がありました。でも、そこは少ししか触れられていません。


 その辺りはたぶん、保元物語と平治物語に書いてあるのではないかと思います。教科書開いたらその名前がありました。そういえば、そういうのを聞いたことがあるようなないような。


 保元の乱・平治の乱を学んでおけば、源平のたいだいの背景がわかります。

 ただ、保元の乱・平治の乱は、ボクは参加していません。


 でも源平合戦を知るためには保元の乱・平治の乱は重要です。

 そこは調べて話したいと思います。


 専門というわけでもないので、参考程度にしてください。専門は戦士です。すみませんウソです。高2です。天狗てんぐさんなどに教わっていますが、天狗流だったり自己流なので細かいことは突っ込まないでください。


 正攻法はあまり使わない、からめ手のエキスパート。

 手法がバレるとすぐに対抗策を出されて負ける典型です。


 コロンブスの卵上等。

 一度やったら真似されて、次はすごいと言われなくなります。


 だから黙って行動して、兄上から怒られます。

 会ってしゃべってるとふつうだったのに、手紙だとめちゃめちゃ怒られました。あれ、別人が書いてたんじゃないんですか? それともあれが兄上の本心だったんですか?


 誰か調べて教えてもらえませんか?




***




 そもそも源平合戦とは何? ということですが、源氏と平家が戦ってます。それは名前をみればわかりますね。源氏の源と平家の平が合戦してるんだから。


 もう少し細かく言うと、源氏と平家が戦っているうちの激戦と言われている、後白河法皇の皇子の以仁王もちひとおうが「平家を討っちゃって」と言った「以仁王の令旨りょうじ」(1180年)から平家が滅ぶまでの1185年です。

 ここを指すと言われています。


 『以仁王の令旨』の豆知識。本当は『令旨』にしてはいけなかったらしいです。令旨は皇太子とかしか出してはいけないそうで、以仁王は皇太子(次の天皇になる人)ではないので令旨は出せません。『王』なので御教書みきょうしょにしないといけなかったそうです。王ってエライ人ってことなんじゃないの?


 いろいろ問題を起こす後白河法皇様、そのお子さんの以仁王です。「俺がホントは皇太子なんだぞ!」というお気持ちがあったのかもしれません。というより多分そうなんじゃないの? ボクだったらうっかりがあるかもしれないけど。だって、面倒くさいよね。令旨も御教書もどっちでもいいじゃん。要はどっちも『やれ!』でしょ?

 面倒くさいから置いておきます。


 源平合戦には保元の乱・平治の乱も含む場合もありますし、どうしてだかわかりませんが奥州合戦(1189年)まで入れてるところもあるとか。保元・平治はわかります。むしろ、そっちは入れて全然OKだと思います。それが原因と言ってもいいものです。


 でも、どうして奥州合戦まで入れるんだ?

 奥州合戦は奥州藤原氏対鎌倉で、平家はどこにもいません。


 奥州藤原氏はボクをかくまってくれたお家で、それが原因で鎌倉からぎゃんぎゃん言われます。ボクのせいで攻められることになったのが奥州藤原氏です。足を向けて寝られません。


 ホントにホントに本当に、平泉では楽しく過ごせてました。

 京の都なんかよりよっぽどです。


 京での思い出は、淋しい孤独な遮那王(牛若丸)です。厳しいけど優しい母上、妹や弟。大事な人たちはいましたが、冷たい人が多かったです。平家の世なので仕方がないのかもしれません。でも、それと淋しいは別。


 平泉では温かい思い出ばかりです。

「よく来たね」「大変だっただろう」と言ってくれたのは、秀衡様が初めてだったかもしれません。


 京でもひとりふたりならそういう人もいました。

 でも平泉は地域全体です。


『秀衡様の温かさが広範囲に及んでいた』

 そんな気がします。


 秀衡様のその想いは、いまも平泉を覆っているような気がします。

 時を越えて伝えられる想いとは、こういうことを言うのではないかと。


 ひとりひとりが優しい。

 気持ちいい心意気とでも言うのでしょうか。ふんわりと優しい気持ちが全ての人に当たり前のように備わっています。


 佐藤兄弟もいて、仲間もいて、楽しかったです。

 ボクの第二というか心の故郷です。


 ここが原点と言ってもいい場所と御恩いっぱいの奥州藤原氏です。

 そこと鎌倉が戦うなんて悪夢もいいところです。


 ボク、平家じゃないんだけどっ!

 清盛様の義理の息子だけど、兄上の弟だよ! パパは源義朝です!


 なんでそこまで源平合戦に入れるんだ!

 断じて抗議するぞっ!!!


 一応、奥州合戦が終わって鎌倉幕府が盤石になったそうですけど……。

 平泉は敵じゃないよ!




***




 2話の「はじめに」でも言いましたが、ボクが生まれたのは平治の乱のあった1159年です。いくさに参加した一の谷・屋島・壇ノ浦は自分が見たものを話せますが、0歳の時や生まれる前(保元の乱は1156年。語呂合わせでいいころ1156起こったと覚えましょう)のことは知りません。


 聞いてはいますが、それだと記憶には残ってないです。自分が体験してインパクトのある話は覚えているのですが。

 800年前の話なので。


 だから、保元・平治の乱はボクも知らないことが多いです。

 でも、出てくる人は身近な人も多いので、その記憶を頼りになんとかしてみます。


「あ、ねえねえ、この人知ってる、知ってるよ、ボク」

というテンションで話すかもしれません。


 テストで使えるかどうかはわかりません。

 ボクが言う通りに書いて×バツをもらっても、責任取れません。


 テストで使う時は、教科書を確認してください。

 ボクは定説と違うことを語っていることもあります。ボクの勘違いも考えられます。


 今の人の解釈の違いや、間違いもあるでしょう。

 または過去の資料のでっちあげなども考えられます。


 テストにはそちらが正しいものとして出るから気を付けてください。

 これからテストを受ける方、健闘を祈ります。


 そうでない方、お楽しみいただけると嬉しいです。






※ Wikipedia「源平合戦」「以仁王の令旨」を参考にしました。

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