第15話 逆落し

 ボクは崖の上から、源氏方と平家方が戦うのを見ていました。


「遅れたっけか?」

 近くにいた弁慶に聞きました。


「少しくらいいいんじゃないですか? この道のり、来るだけでも大変なんですから」

 軽い感じで言われました。弁慶は厳めしい大男のイメージを持たれていますが、けっこうシュッとしたイケメンの頭脳派でした。


「いやいや、遅れてないでしょ? 何時からだっけ?」

「さぁ? 行けって言われた時間に出てきただけだし」

 みんなで崖の上から下を見ました。


「始まってますね、戦」

「そうだねぇ……」

 なんとなく、そこでぼんやりとしました。


 疎外感と言うかそんな感じで。横からぽっと出の社長の弟の名前だけの社長代理が会議の時間を教えてもらえなかった感じで佇んでいました。


 1184年2月7日の午前9時。

 一ノ谷の戦いはすでに始まっていました。


 気の早い直実さんの一番乗りから三~四時間が経っています。一番乗りした後、直実さんは土肥さんと合流できたみたいです。猛者だから。


 ボクが見ていた景色は、源氏方と平家方が戦っていました。源氏の白い旗と平家の赤い旗がはためいています。生田の森では範頼兄ちゃんの部隊が平家の部隊と戦って、一ノ谷でも土肥実平さんたちが戦っています。


 平らなところでは馬に乗った源氏が強いです。

 しかし、平家は舟を持っていました。


 城門に殺到する源氏の兵に向かって、平家方は矢を射てきます。籠城戦になったとしても、平家は武器も食糧も海から補給できます。源氏には舟がなく、それを止めることができません。


 10万対6~7万で源氏が不利なところをさらに分けてしまい、源氏、思いっきり不利な状態です。時間がかかればかかるほど、源氏の勝利はなくなります。


 なぜ部隊を分けてしまったのか。

 それは、逆落しをするためです。


 総大将のはずのボクがポツンとハブられたように崖の上にいました。

 ボクは崖から下を見ました。


 高所恐怖症な人は絶対にやってはいけないことです。これから崖を降りようと考えている人は、絶対にやってはいけません。

 やってはいけないと思うと、やってしまうのですが。


―― ムリ!!!

 だって、崖だもの。


 ここに来る前は、崖だから楽に降りれるんじゃないの? 下から上に行くならともかく、上から下だよ? ポンって降りれるんじゃないの? くらいに思っていました。


 でも崖なんだよ、しかも馬なんだよ。降りられるわけないじゃん。落ちたら無事で済むわけないじゃん。しかも戦、はじまってるし。ウチの部隊、精鋭部隊なの。強い人、集めてきちゃったわけ。


 だってしょうがないじゃん。

 強い人が集まっちゃったんだから。


 10万対6~7万でその差は4万くらい。それで、ボクが連れてきたのは70人だけど足りない4万人分を補って余りある戦力の人たちです(軽く自慢)。大口とかじゃなくて、ボク以外の人は綿密な計算の元に動いている人たちで、無謀が無謀ではなくなる集団なんです。だから目ざとい直実さんはウチの部隊にいたわけです。


 ボクなんかはホントに適当なんですけど。下がめちゃめちゃ優秀だったから、ボクが総大将をしていられたんです。


「崖降りる? それで有利になるんでしょ? じゃ行こう!」で現場に着いて、

「なにこれ、崖だよ、本物の崖! これを馬で降りろと? 降りられるわけないじゃん! むりむりむりむり」と、思っていました。


 しかし、そんなことを思っていると、味方にも気づかれてはいけません。

 怖いのはみんな一緒です。でも、総大将は、そんなことを思ったらいけないんです。


 弁慶には(こんな計画を立てたのは誰だ? お前か、お前だろう)と思っていたのがばれたのか、

「やめますか?」と聞かれました。


「誰に言ってるんだよ。行くに決まってるだろ」

 そう言って、弁慶をキッとにらみました。

 やせ我慢です……。


 ここで『そうしようか』なんて言おうもんなら士気がガタ落ちします。

 そう言う方が、ボクの雰囲気壊さないで済みますが。


 ホントは足がガクガク震えている、生まれたばかりのバンビちゃんのようでした。

 誰だよ、こっちの方が楽だなんて言った奴は。めっちゃ山道大変だったし、しかもこれから崖を降りろだと?


 ボクが悪いです。戦いで楽しようなんて考えたボクが悪いんです。毎日山登りしている人と、瞬発力しかないボクがどう立ち向かえばいいって言うんですか?


と言いたいところですが、実は山道、得意なんです。鞍馬山では毎日鍛えられていました。天狗さんに教えられ、暗い山道を真剣もって走り回っていました。


 でも、それから10年。

 ボクは平泉でのんびり過ごしていました。


 降りますよ。

 崖を降りればいいんでしょ?


 脳裏には天狗さんの顔がチラついていました。

―― すみません、師匠。平泉で怠けてました。


 そんな自問自答をしていましたが、表にはこれっぽっちも出しませんでした。……たぶん。


「行っちゃおう!」と軽く言った手前、「怖い!」なんて言えるわけありません。

 それもあるけど、トップが怖いって逃げたらダメに決まってます。逃げて良い時もあるけど、これは絶対に逃げちゃいけないヤツ。


 だって、逃げたら負けるんだから。

 自分は助かるかもしれないけど、他の人が死ぬんだから。


 考え方は人それぞれで、どの行動を取るかはその人次第です。

 この時は『行く』以外の、選択肢はありませんでした。


 ここ降りたら早いんだもん。

 山道戻ったら間に合わないでしょ? 一の谷の戦いに。


「会議の時間を間違えたからゆっくりでいいや」じゃなくて、それなら最速で参加しなきゃいけないんです。

 だって、勝ちたかったからです。


 ボクはそこそこ強いけど、正攻法で行けるほど強くはありません。でも、それを表に出したらいけないんです。とにかく『行ける!』と、みんなに思わせなきゃダメなんです。


 乗り手がビクビクしていたら、それが馬にも伝わります。愛馬の首をなでながら、「大丈夫。ボクはキミを信じているよ」と、そっと言いました。


 ボクよりなによりお馬さんが大変なんです。お馬さんが落ちたら、ボクも一緒に落ちるんです。そんなことになったら、士気が落ちるもへったくりもない。


 源氏、負けます……。


 いくら範頼兄ちゃんが総大将だと言っていても、目立ってたボクが落馬だろうと転落死だろうと亡くなれば、源氏の負けなんです。


 ボクの人生も終了です。

「ヒヒヒーン(任せてよ)」と、お馬さんが言ったような気がしました。


 ボクの愛馬は凛々しく応えてくれました。ここで大変だったのは、お馬さんです。それを知っていたから、気を使いました。こんなひどい作戦を選んでおきながらですが……。


 落ち着いて行けば、無理ではない感じに見えました。ボクが堂々としていれば、他のみんなにもそれが伝わります。大丈夫だって思えれば、みんな落ち着いて降りれます。


 それが勝利への道筋なんです。

 やせ我慢上等です。


「怖かったら来なくていいよ。ボクひとりでも行くから」

 本当にそんな気持ちでした。自分で自分に暗示をかけ、ノリで突っ込みました。


 一歩、踏み出しました。まっすぐに下りるわけではなく、足場のようなものはありました。斜めに行こう。

 降りれそうなルートが見えました。


―― いける。無理をしなければ、降りられる。

 そう思いました。


 ただ、落ちたら痛そうです。ボクもだけど、お馬さんだって一緒に落ちます。馬から落ちたら危険なんです。それがわかっているのか、お馬さんも一歩一歩が慎重です。


 でも、行けないわけじゃない。見かけほどじゃない。意外と降りられそう。この人(お馬さん)に任せれば、大丈夫。


 慌てさせない、馬が進む速さに合わせました。

 先は長いかもしれないけれど行けそうです。ボクが慌てなければ、行ける。他の人が降りてなくてもいい。とりあえず降りよう。今はこれをがんばる。


 安全に降りることに専念します。全神経を手足にそそいで、お馬さんの出す一歩を慎重に見守ります。慌てないことを最優先しました。


 高さが低くなってくると、そんなに慎重に行かなくても大丈夫で、最後はあっさりと降りられました。


―― 二度と降りたくない。

 それがボクの正直な気持ちです。


 この時はうまくいったけど、次はできるかどうかわからない。そんな運任せ(というか馬任せ)だったように思います。何より落馬が怖かったです。でも、降りることができました。


 次、できなくても肝心な時にできれば良いです。


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