第26話 中2の教科書には載っていなかった部分

 中2の国語の教科書だと、直実さんがさめざめと泣いて終わっていて、続きはさくっとあらすじのように乗っています。ただ、それだとサクっとしすぎて意味がわかりません。


 高校の古典の教科書には一ページ弱くらいの続きが書かれていました。中2の教科書は短い敦盛の最期をさらに縮めているようです。




***




 少しって、いつまでもそうしているわけにもいかなかったので、直実さんは鎧直垂よろいひたたれ(がっちりした鎧の下のキレイな服)を取り、首を包もうとしました。


 少し経っているのは、直実さんはしばらくさめざめと泣いていたからでしょう。でも生きている人は、泣いた後に次のことをしなくてはいけません。直実さんが次にすることとは、公達の首をボクのところへ持ってくることです。……ぇ


 そしてさくっとすごいことが書いてあります。

 公達が着ていた服で首を包もうとしていたそうです。


 持ってくるには何かに包んだ方がいいです。ゴロンと持って来られてもだし、さすがに死んだ人にも申し訳がありません。その他にも包んだ方が良い理由はありますけれど、全部言ってるとキリがないです。


 だから書かれずにあらすじになっていたのかもしれません。

 中2の教科書では日本の古い言葉を学ぶことがメインになっているのかもしれないです。呪文のように覚えた「ありおりはべりいまそかり」とか。


 でも、物語を読み取ることは大事です。そもそもその物語を読むために文字を習うのだと思いますが。本末転倒だと思いませんか? 物語それは現代文で学べということかもしれませんね。

 それは置いときます。


 公達の気持ちを考えると、自分が着ていた服で自分の切られた首を包まれる。考えただけでぞっとします。もちろん、その服は上質な物でしょう。平家でしかも清盛様の甥御様。でも、そういう問題ではありません。それも置いておきます。話が進みません。


 公達の服の間からポトっと何かが落ちたそうです。直実さんはそれを拾って見ます。にしきの布に入った笛が見つかりました。その公達は錦の袋に入った笛を腰に差していたそうです。

 それを見た直実さんは、今朝がたに城郭の中から聴こえてきた管弦は、このような人たちが奏でていたと気づきます。


 この部分も『敦盛の最期』だけだとわかりません。「俺様が一番乗りだ」みたいなことを2回やる『熊谷二度の先がけ』を知っていれば少し理解ができるのではないかと思います。


 小次郎くんが左手に敵の矢を受けたヤツです。『熊谷二度の先がけ』には我が子を心配する父の姿も描かれています。というか、それがけっこう描かれています。ボクが「いいなあ」と思うアレです。


 父親が嫡男を連れて、出陣する。

 ボクは末っ子っていうか9番目ってか生まれたばかりで、赤子を背負って平治の乱をパパが戦うってムリだよね。子連れ狼だって大五郎は「ちゃんっ」ってしゃべれるくらいには大きくなってるみたいだし。


 父親が連れて行くのって、嫡男だけ? その下の息子も元服(当時の成人式)すれば連れて行ってもらえるよね? ちなみにボクは自分でやったけどね。成人式元服。切ないっ。また話がそれました。スミマセン。


 熊谷さんは一番乗りがしたいため、ボクの部隊から離れて逆落しはせずに、明け方に平家が立てこもっている城郭の周辺をうろうろしていました。その時に平家の方々は優雅にも管弦を行っていたようです。


 自分たちが死ぬ数時間前に管弦を奏でていた。源氏が攻めてくることも知らずに。ということかもしれません。


 笛と小次郎くんのことがあるので、二度の先がけの話は知ってた方が分かりやすくなるのではないかと思います。部分だけ取り出すと、こういうことが起きてしまいます。大昔の平家物語も人気のお話だったので、琵琶法師のお話を聞いていた人たちは、このことを知っていたのかもしれませんし、知らなくても楽しめたのかもしれません。


 でも、読み返しても、二度の先がけでは城郭の城門もその中も静まり返っています。直実さん、聴いてないんじゃないの? ホントに管弦の音聴いた?


 そういう細かいことは専門の人に任せます。

 ボクの大まかな加害者視点の解説だと、切り取っちゃった部分に重要な場面が描かれているのではないかと思います。


「東から来た味方は何万騎もいるけれど、その中に戦の陣に笛を持ってくる人間はいないだろう。身分の高い人とはこうも違うのか」


 このコメントとかです。身分はあまり関係ないのではないかと思いますが、身分の違いが読み解くのに大事な鍵にはなっています。本来なら平家も武士でした。貴族からさげすまれるはずの。


 その悔しさが、平家がのし上がっていった原動力になっているように思います。でもいつの間にかそれは忘れられ、生まれた時から平家の十代の若者は、武骨な東国の武士とは違い、戦にはまったく必要ない笛を持っていたということです。


 身分、関係ないからね。身分で違いなんてないよ。

 同じ人間だもの。基本的なことは同じです。


 お金と時間があったというだけで、それで感動する感覚がなくなるわけではありません。小難しい知識は増えるかもしれませんが、それと感性は別物です。


 どんなに教養や知識を持っていたとしても、他人をないがしろにすることを当然と思っているようではいけないのではありませんか? 地位を盤石な感じにしようとして、利益を平家でひとり占めしようとしたり。内部留保ため込んでるところにも言いたいけど。


 感動する気持ちというのは誰にでもあります。

 教養もないからそんな気持ちはないというのはおかしいです。


 実際に、直実さんは笛を見ただけで「坂東武者とは違う!」って思ってますから。本当に武骨だったから笛を見てもなんとも思いません。


 でも平家の方々は、家宝の笛を持ち歩いたり、歌を師匠に届けたい! と言って戦場を抜け出すという逸話が残ってます。そういうのは嫌いじゃないです。戦に関係ないことで、たとえ不利になってしまったとしてもこだわりを大事にする。無駄な行動をするのが人間らしさだと思っています。


 その違いを『身分』にしてしまう直実さん。まだまだです。

 源氏はそれをひっくり返そうとして戦っていたと、ボクは思いたいです。


 平家物語には、平家は優雅、源氏は武骨という感じが漂っています。

 ボクが嬉しそうに持ち歩いていたのは、家宝の薄緑うすみどり(日本刀)です。兄上の刀とセットです。


 先祖代々の刀をもらって薄緑とボクが名付けました。さやさやとそよぐ新緑をイメージしてみました。彼は膝丸として、現在もとある場所で元気に働いているようです。嬉しいことですね。


 また話が脱線したので戻しますが、武家の子供が刀ではなく、笛を腰に差していたということのようです。それは魔法の笛で、吹くと音を聴いた人間が倒れるとか、敵が味方になってくれるとかそういう作用でもあるのか? 平家は魔法使いさんの一族ですか?


 武器も持たずに直実さんの魔法の扇の「返させたまへ」で戻ってきて「とくと首を取れ」だと?

 命は大事にしましょう(怒)。


 自尊心プライドより、大切なものはたくさんあります。

 それなのに、それを『あっぱれ』とかありがたがっちゃうのは良くないです。でも、それが美しかったという物語にすることが、供養になっているのかもしれません。敦盛さんや、平家の方々に対する。


 日本人がよくやるヤツです。生きている時は散々悪口言うくせに、亡くなるとコロっと手の平を返します。まるで『今までのことは水に流して祟らないでね』と言っているかのようです。

 亡くなった後まで侮辱し続けるよりはずっといいとは思いますが。


 話を戻して直実さんは首と笛を、九郎御曹司おんぞうしに見せたそうです。

 ボクのことですね。教科書と古典文学の『平家物語』には載ってなかったけど、高校の古文の教科書にはボクの名前がありました。


 この少し前は、『平家にあらずんば人にあらず(平家じゃない人間は、人ではない)』の時代で、源氏は日の目を見ていませんでした。

 ボクが小さい頃は、源氏の扱いがひどかったです。


 源氏が盛り返してくると、『御曹司』と呼ばれるようになりました……。


 やっぱり最後まできちんと書かれている方が理解しやすいです。直実さんが公達の首と笛をボクがいるところまで持ってきて、それを見た人は、皆、涙を流したそうです。


 そうだっけ?

 覚えてないんだけど。


 話を戻して……。

 この部分は教科書のあらすじだと「若武者の優雅さは戦陣の武将たちの心を打った」だけです。教科書を読んだだけだと、土肥・梶原率いる50騎に乗っていた人の源氏の武士が嘆いたように思ってしまいます。


 ……もしかして『戦陣』か?

 敦盛の最期があった海岸付近にはなさそうな『戦陣』の二文字があらすじには含まれています。


 戦のための陣地だそうです。ゲームとかでポンと作れるヤツ。布で回りを囲んでるヤツ。いつのまにかそんなものができていて、逆落しをした後、ボクはそこにいたのかもしれません。


 ポンと行くと、いつの間にかボクの居場所ができていることは、多々ありました。自分でよいしょよいしょと陣地を作った覚えはありません。

 みんな、ありがとう。仕事が早い人が味方にいたんだね。


 それを戦陣二文字で表現したのか?

 ボクが4000文字かけた部分を……。


 えっと、教科書以外の本を読むと、公達が生きている時は50騎の武将が向かってきていたけれど、直実さんが討ったとわかるとさっとどこかに行ったように読めます。そういう描写はありませんが。

 でも、明石の浜を、雲霞のごとくの源氏の兵が手柄を求めていた図が想像できます。


 ホラーより怖いです。

 人間が、ご褒美のために他の人間を追う。勝った側が、負けた側の武将の首を求めて。


 これ、ものすごく怖いです。

 首、取ったら、元に戻らないんだよ? 取ったら死んじゃうんだよ? 死んだら生き返らないんだよ? 異世界転生しないんだよ? 首を切られたら、ファンタジーの世界なんて行きませんからね。


 取る方だって、けっこう怖いんだよ。

 それまで生きていた人間、言葉をしゃべって、意思疎通もできるかもしれない相手。それがもう何も言わなくなります。自分の意思では動かず、生命維持もせずに朽ち果てるだけになります。


 理性なんて保っていられない。



 そういうシーンが見え隠れする平家物語。

 表に書いてあることの裏を想像すると、恐ろしさがわかります。


 淡々と書いてあるけれど、『え? ちょっと待って、これってこういうことだよね?』というのを想像するとゾッとします。


 琵琶のベベンという音と、琵琶法師の声が、そっと伝える当時の情景。

 なるほど。娯楽として語り継がれるわけだ……。


 ふつうのホラーより、よっぽど怖くないですか?

 首を狙われていたボクだからそう思うだけですか?


 それは置いておきます。



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