2 敦盛の最期

第19話 ざくっとした『敦盛の最期』のあらすじ

 『敦盛の最期』の登場人物は、熊谷次郎直実さんと平家の公達です。でも、平家の公達がたいらの敦盛あつもりだとわかるのは最後です。


 敦盛さんが主人公になって、敦盛さんが亡くなるまでが物語になっているのではなく、一の谷の戦いの勝敗が決まり、『手柄を立ててえ~』とうろうろしていた源氏側の直実さんが捕まえた平家の公達の首を取るだけになって、顔を見たら若かったから助けようとして名前を聞くが答えず、逃がすこともできなくなって首を取ります。亡くなった後に敦盛さんだとわかります。


 主人公の直実さんが、若い公達の命を取らなければならない葛藤が描かれています。それを聞いた人たちは、その悲哀に感動します。


 直実さんと敦盛くんの年齢差も大きいのですが、身分差がかなり開いています。

落ちぶれてしまったとはいえ、清盛さんの孫でもある安徳天皇を連れ、天皇が持つべきものとされている三種の神器を持っていた平家。


 安徳天皇が京からいなくなってしまったので、この時すでに京の都では高倉天皇の皇子で安徳天皇の弟の後鳥羽天皇が即位していましたが、三種の神器がないとお話にならないんです。三種の神器を持っている人が天皇なので。


 だから、安徳天皇は天皇のままなんです。太政天皇ではありません。

 ボクたち源氏は平家追討と、安徳天皇と三種の神器の奪還を命じられています。


 天皇を連れている平家。清盛さんの甥御さんでもある敦盛さんは京に居た頃は平家であるというだけで位をもらっています。


 一方、直実さんは平氏の出ですが、義朝パパの家臣として平治の乱では戦っていました。直実さんはけっこう名前がちょこちょこ出てくるすごいおっさんです。


 パパが平治の乱で負けるまで一緒にいたそうです。

 平治の乱の時、パパは「藤原信頼と組んじゃって失敗。また関東に戻って出直すぞ。とりあえず解散!」って琵琶湖で言ったそうです。


 もうちょっと重い感じですけど、わかりやすくしてみました。

 つまり、死のうとしていたわけではなく、関東でやり直す気満々でした。


 直実さんは、「一緒に行きたいです!」という気持ちだったけれど、泣く泣くそこで別れたそうです。


 その後は、平家についたり紆余曲折して、兄上の家臣になっています。

 源氏の中ではかなり手柄を立てている猛者で、ボクの遊撃部隊に「入れてください!」って来たときは「はいはーい」って感じでした。


 そういう嗅覚が優れている人だってことです。少数精鋭は、それなりの力があれば、手柄を立て易いんです。力がないとボコボコにされるけど。


 手柄を立てたいとみんな思います。

 なぜなら、手柄を立てないと、ご褒美がもらえないからです。


 ちなみに、うちのパパは保元の乱ですっごく手柄を立てても大したご褒美もらえなかったけどね。それも後白河法皇様の作戦だと現代人に言われています。

 「これはわざとそうしたのではないか」と日本史の時間に先生も言ってました。


 ボクは手柄を立てようと思ってたわけじゃなくて、手っ取り早く合戦を終わらせようって行動してたら、いつの間にか総大将になってました。合戦は血の気の多い人にまかせて、ボクは安全な場所で交渉だけしていろって言われてたんだけど。


 でも、交渉しようにも、力のない武士、しかも源氏じゃ誰も言うこと聞いてくれません。いろいろなことがちぐはぐな時代でした。まあ、それはこの時代に限ったことではないかもしれません。


 また、ズレたから話を戻しますね。

 直実さんの能力は、ボクたちは買ってました。ただ、身分は低かったんです。


 それが、このお話の肝になってます。

 ボクから見たら、実力のある直実さんには大した身分はなくて、ただ平家に生まれたってだけで身分があった若造の敦盛さん。


 同情の余地があったのかな? とも思います。

 でも、結局、敦盛さんは、平家ってだけの理由で、まだ若いのに殺されたってことです。


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