第18話 平家の敗走

 その平家の人は、沖にいる船を目指していたようです。


 平家は陸戦よりも海戦の方が得意でした。

 だから、海に用意していた船で逃げようとしていました。


「いえ……、ボクは……」

 一瞬、一緒に行って、内側から倒したら早いかもしれないという思いも過りました。でも、この温かいお迎えの後に、そんなことできません。


 それに、ひとりで敵の本拠地に行く度胸はありません。


「義経が来てしまう。早よう!」

 その人が声を荒げました。


 見ると、佐藤兄弟の兄の嗣信つぐのぶが馬でこちらに向かって来ていました。

 嗣信を義経だと思ったようです。


 ボクでは『義経』に見えません。

 噂でめちゃめちゃ強いと言われていた義経のイメージは、嗣信の方が近かったです。


 顔も怖かったし。

 ボクが襲われていると思ったのでしょう。


 眼光鋭く、ものすごい勢いでこちらに向かってきていました。

 でも、その人はボクを置いて逃げることはしませんでした。


 今までの態度はボクをだますためのウソで、本当は気付いていてボクを倒そうとするような人だったら、すぐに返り討ちにできました。


 ニコニコはしていましたが、すぐに動ける体勢は取ってました。ちょっとでもおかしな動きをして、ボクを倒そうとしているのを確認できたら返り討ちするつもりでした。


 口先だけかもしれませんけどね。

 実際そうなっていたら、ちゃんとそう動けたかわかりませんけど。


 でも、その人はボクを心配してくれていました。

 小さかった頃のボクを知っていて、


 ボクを守ろうと、嗣信の前に出ました。

 準備していた動きの逆でした。


 ボクに背を向け、隙だらけです。

 これは切れません。


 極度の緊張状態で一瞬だけ見えた隙があればそこを確実に狙えるんですけど、『切ってください』と言わんばかりでどこに刀をやっても切れる状態だと、どうしたらよいかわからなくなります。


 これを切ったら人間として終わるという意識が、そうさせるのかもしれません。




***




 嗣信はボクを守るようにその人との間に入り

「無事か?!」とボクに向かって叫びました。


 そして、あのおっかない形相でその人を切ろうとします。

 ボクはそっちを止めました。


「大丈夫だ、切るな」

 ボクは嗣信を制し、目を合わせて小さくうなずきました。

 平家の人がきょとんとしていました。


「牛若、お主……」

 その様子を見て、その人は信じられないという顔をしていました。

 敵だと思っている相手が、ボクを守りながらその人を威嚇しています。


「その者は、お前の兄弟か?」

 間の抜けたことを言ってきました。


 ちらっと嗣信を見ました。

 キリっとして、強そうだしホントに強いし。


 すごい怖い顔をしています。

 目で相手を殺すかもという眼光してました。


 ウチの家系と違う雰囲気しています。

 どちらかと言うとウチの兄弟はクール系です。範頼兄ちゃんはガサツかな?


 でも、嗣信を義経だと思っているのなら、ボクは父上の末っ子なんだから、父上の息子の義経はボクの兄弟になるのか?

 ……よくわからなくなりました。


 それに一夫多妻制は、どこから兄弟が出てくるかわかりません。

 自分でも把握できてないし。会ったことない兄弟がいるくらいです。



「違います。ボクが義経です」

 そう言うと、本当にびっくりしていました。

 驚いて、声も出ないようでした。


「申し訳ありません。ボクは源義朝の息子です」

 昔は言えなかった言葉です。

 でも、しっくりきました。


 平家の人はだからボクを蔑んでいました。

 ボクが清盛様ではなく、平治の乱で清盛様に負けた義朝の子だったからです。


 パパの子だからではなく、平家ではなかったからだったのかもしれませんけど。

 彼らは自分たち以外は下だったのです。


 そんなこと意識もしていなかったのです。

 当たり前のように、平家以外は下だったのです。


 彼らにとって当たり前で、『蔑む』など思ってもいません。意識もなくしていたことが、皆からの反感を買っていたのに、それに気づいていなかったのです。


 悪いことなど何一つしていないのに、いきなり戦いを挑まれた。

 自分たちはただ地位を得ていただけ。金を持っていただけだ。それをやっかまれただけだ。


 それを嘆くのです。

 自分たちが加害者だと思っていなくて、どう言っても伝わらないのです。


 20年も前の父や兄の仇を取ろうとしても、「何それ?」と言われますし、ボク自身もよくわかってないです。


 兄上からいろいろ話を聞いて、平泉で秀衡さんに自分が生きていてもいいのだと思える生活をもらって、ボクは自分が源氏だと言えるようになったのかもしれません。


 平家の人に、そんなことが言える日が来るとは思っていませんでした。

 その人は、みるみる落胆していきました。


「ああ、そうだったな。そこが、本来のそなたの居場所か」

 なぜ、助けが来たなどと思ってしまったのだろう。という表情でした。

 その顔を見て、いろいろなことを考えてしまいました。


 ボクたちが「平家を倒そう」と言うと、みんなそれに賛同してくれました。


 平家のやることに不満を持っていて、それを言うだけで「俺たちは仲間だ」と大して親しくもないのにそういう雰囲気になりました。


 平家にはその逆が起こります。

 辛かったのではないでしょうか。


 ボクが京の都で受けていた仕打ちのように。


 生まれてから16まで京都にいました。その間ずっと平家やそれにこびへつらう人たちにいじめられていました。

 でも、この人たちは、せいぜいここ数年です。


「清盛さまのこと、残念です」

 そのまま討つこともできず、つい、そんなことを言っていました。

 その人は、小さく笑ったような気がしました。


「清盛殿は、お前のことを気にかけていた」

 遠くを見るような、悲しい瞳でした。


「それには感謝しています」

 清盛様は、いい人でした。

 会うと、笑顔になれる。そんな人でした。


「我らを、恨んでいるのか?」

 今まで見たことのない表情でした。感情がなくなり、燃え尽きたような。


 ボクはそれには答えられませんでした。

 平家の人に向かって、『お前たちを恨んでいる』のは違うように思いました。


 父上を殺したのは父上の家臣で、清盛様もすでに亡くなっています。

 平家は嫌いだけど、好意的な人にそれを言うのは違う気がしました。


 目の前にいる人に、『嫌いな平家』がありませんでした。


 そういうのんきな所が嫌だったんですけど、そこでそれを指摘しても、虚しさが残るだけだったんです。




***




 時代は平家ではなく、源氏に来ているのを感じました。

 でも、まだそれは確かな形になってはいませんでした。


 まだ、源氏が勝つか、平家が勝つかわかりませんでした。


 一ノ谷の戦いでは源氏の被害も少なく済んで、ボクはほっとしていました。

 山を登って降りて大変だったけど、被害は少なかったです。それが何よりも大切なことです。


 ボクは味方の被害をいかにして減らすかを考えていました。味方が死ぬと言うことは、戦力が減るというだけではありません。


 もちろん戦力の面でも重要です。

 でも、気持ちの上ではもっと重要なことです。


 身近な人間が死んでしまえば士気が落ちます。

 そして、次は自分ではないかと思います。


 そんな状態では、戦っても成果は少ないです。

 それに、負けるのがわかっている部隊に入って戦いたいと思う人も少ないです。自分は強いと思っている人は、弱い側について、自分の能力を存分に使いたいと思うかもしれませんが、そういう人は少ないです。


 普通の人は、勝てるところに入ります。

 勝って報酬が欲しいからです。


 だから皆、平家の味方になったり源氏の味方になったりしていました。

「敦盛の最期」の主人公の熊谷直実さんもそうでした。


 ボクのパパ、源義朝の家臣をしていたり、平家の家臣をしていたり、いつの間にか兄上の家臣になって、気がつくとボクの部隊にいました。


 ボクはそういう人でも差別はせず、来てくれてありがとうと考えていました。

 逃げて行く人が卑怯なのではありません。


 味方が逃げていくような指揮しかできない大将が悪いです。

 楽して勝てると思える作戦を取って、今回は思った以上に大変だっただけです。山を登って降りるのが。苦労した甲斐はありましたが、後白河法皇様の裏工作もあったようです。


 でも、親しい味方が死ななかったのだから、この件に関しては後白河法皇に感謝します。


 誰でも死ぬのは怖いです。死んだらその後、どうなるかを誰も知らないのです。あの世という概念はありますが、誰かを殺して天国に行けるわけがありません。


「死んだらロクな場所に行かないだろう」と、ボクの仲間は、笑い話のように言っていました。お坊さんで味方になってくれた人も多かったし、ボク自身も鞍馬寺で修行しています。


 それでもみんな、平家のいない良い世界にするために戦っていました。

 そうすれば、いい人がいい生活をできるようになると。まじめに一生懸命生きている人が、悲しい思いをしなくてもよくなるはずだと。


 ただ、ボクはわからなくなっていました。

 本当に平家を倒せば素晴らしい世界が待っているのだろうか?


 源氏の中にも、イラっとする人はたくさんいました。義仲くんも、平家を追い出したら途端に横暴になりました。でも、ちょっと羽目を外しただけだったのかもしれません。そこを法皇様に目をつけられただけだったのかもしれません。それに、ボクも暴れまわる義仲さんを見たわけではありません。


 ボクが斬った人の中にも善い人がいたかもしれません。でも、そう思って逃したら、今度はボクや仲間が危険にさらされます。


 躊躇は赦されません。

 ボクは源氏の総大将なんです。


 戦いに参加してしまった以上、勝つしかありません。

 平家を滅ぼさないといけないのです。


 平泉の秀衡様が言っていたのはこのことだったのだと思いました。

 終わりが見えないのです。


 ボクは源氏の棟梁、源義朝の息子で、その跡を継ぐ源頼朝の弟です。

 平家と敵対することはボクには考えられませんでした。


 でも平家に不満も持つ人がたくさんいて、旗揚げした兄上に協力してくれる人がたくさんいて、義仲くんが平家を京の都から追い出し、ボクの目の前ではその平家が福原を捨て、海へ向かって逃げていました。


 そんなことが起こるなんて、思ったこともなかったんです。ボクの目の前で、信じられないことが起きていました。


 平家の敗走。


 それが、ボクが見た一ノ谷の戦いです。


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