刹幌電視塔の怪人

五速 梁

第1話 刹幌電視塔の怪人


「奏絵、こっちこっち」


 フロアに足を踏み入れた途端、離れたテーブルから文乃が手招きをしてきた。

 わたしは面食らいながらも、彼女のいるテーブルに近づいた。


「来てくれたんだー。嬉しい。こういう催しはあんまなじみないかもしれないけど、まあゆっくりしてってよ」


 文乃はパイプ椅子から身を乗り出すと、目をくりくりと動かして見せた。


「ありがとう。思ってたより大きい部屋だね」


 わたしはイベントの会場を見回して言った。ホテルの大広間には及ばないが、ちょっとしたパーティーくらいなら、開けそうな部屋だ。


「そらそうよ。刹幌テレビタワーの二階だもん。……とはいえあたしも、参加してみて驚いてるんだけど」


 わたしは文乃の前に並んでいる冊子を手に取った。表紙が和紙のような厚みのある紙で、小説と詩の本らしかった。


「買わなくてもいいから、しばらく眺めてってよ。人が途切れると結構、辛いからさ」


 文乃は扇子を取りだすと、首筋に風を送り始めた。確かに人気のあるブースには人だかりができているようだった。わたしは文乃に耳打ちした。


「だけどさ、正直、文芸って良くわかんないんだけど」


「そうだよね。まあ、手作りの本を見に来ました、くらいの感じで楽しめばいいんじゃないかな?」


「そっか。……それじゃ、ぐるっと見てくるね」


 わたしは文乃の前を離れ、フロアのひやかしを始めた。数名で元気よく接客している若者のグループもあれば、一人でひっそりと店を構えている年輩の店主もいた。


 ――みんな、何を基準に品定めしてるのかな。前もってお目当てを、調べてる?


 わたしは不思議に思いながら、店頭に並ぶ冊子を眺めた。バッジやハガキなど文章をプリントした雑貨はともかく、文字の詰まった冊子は衝動的に買えるものではない。


――マンガなら立ち読みするんだけど。


 わたしは品定めをする来場者たちを遠巻きに眺めながら思った。


「文芸フリマ」という催しを知ったのは二週間ほど前の事だ。ちょっと嫌な出来事があって、もやもやしていたわたしに文乃が「私、文芸フリマって奴に出店するんだけど、タダだから来ない?」と誘いをかけてきたのだった。


 せっかくだから一冊くらいは買っていこうか、それとも絵葉書でも買ってお茶を濁そうか……そんな事を考えていると、あるブースの前で足が止まった。


 売られているのは、どうやら絵本のようだった。店主は年配の男性で、掘りの深い顔立ちをしていた。わたしは平積みになっている十冊ほどの冊子を手に取った。

 さほど商売熱心でもないのか、店主は同じ姿勢のまま、ほとんど表情を動かすことはなかった。


 書名は「作者のない絵本」という、あまりピンと来ない題名だった。表紙は田舎の田園風景を色鉛筆で描いた淡い絵だった。ありがちなタッチだな、とわたしは思った。どこかで見たような絵という事は、何か元になっている作家が別にいるのだろう。


 だが一ページ目を開いた瞬間、わたしは思わず「えっ」と声を上げていた。薄い画用紙に描かれた絵が、あきらかに手描きだったからだ。これではスケッチブックを売っているような物だ。


 私は平積みになっている商品に視線をやった。見たところ、手にしているのと同じ絵柄のようだ。ということは、この作者は販売する数だけいちいち絵を描いていることになる。なぜ、とわたしは訝った。同じ絵柄なら別にコピーの本でもよいのではないか。


「あのう」とわたしは店主に声をかけた。


「はい」


「これって全部、手描きなんですか」


「そうですよ」


「すごい手間だと思うんですが、コピーじゃ駄目なんですか」


「ううん……まあ、駄目ということはないけど、どれもこれも習作ですから」


 店主は言葉を選びながら短く答えると、押し黙った。

 わたしは平積みの横にある値札を見た。手が気にしては明らかに安かった。これでは画用紙代くらいにしかならないのではないか。


「ありがとうございます、他の所も回ってみます」


 わたしは店主に礼を述べると、ブースを離れた。素人が本を売るには、このくらいやらないと駄目なのだろうか。想像を超える趣味のエネルギーに感心しながら、わたしはふと、先週あった出来事を思い返していた。


 わたしは高校でデザインのクラスを専攻していた。そこにたまたま先日、官公庁からポスター制作の依頼があり、生徒たちに作品の募集がかけられた。

 応募された作品はコンペにかけられ、優秀作が一点、佳作が二点選ばれた。私は佳作に選ばれ、それなりの評価を得ていた。だが、その結果は私を大いに落胆させた。優秀作に選ばれた作品が、それだけの評価に値する作品とは思えなかったからだ。


「なんであんな、クラスの中でも下手な方の子の作品が、優秀作なの?」

 やっかみ半分にそう漏らしたわたしを、別のクラスメートがやんわりといさめた。


「あんた、絵をうまいか下手かでしか見てないんだよ。私はセンスあると思うな」

 痛い所をつかれ、わたしは閉口した。


「でもさ、芸能人をヒントにしたキャラといい、まるきり模写の背景といい、オリジナリティがなさすぎるんじゃない?」


「私にはあんたの絵だって、それほどオリジナリティがあるとは思えないけどな」

 クラスメートの一言は、わたしのなけなしのプライドを見事に粉砕した。


「あんたはいつもかっこいい絵を描く人に近づこうとしてるけど、それって綺麗なだけで、全然、惹かれる要素が皆無じゃん。芸能人を子供や老人に見立てた絵の方がずっと人目を引くと思うけどな。あんたも一度こだわりを捨てて、何でも描いてみたら?」


 結局私は一言も言い返せぬまま、完膚なきまでに叩きのめされたのだった。


「そんなこと言われても、すぐになんか変われないし……」


 嫌な記憶に落ち込んだわたしはそう呟きながら、フロアの中を歩き回った。


 ――文章を書く人たちも、同じような事で悩むのかな。


 そんな疑問を転がしていると、いつの間にかフロアの端まで来ていた。ここで終わりか。そう思い引き返そうとした時だった。あるブースの前でわたしの足がぴたりと止まった。


『無人館』という名のブースで、売られているのは、平積みの冊子が一種類きりだった。


 わたしが足を止めた理由は、冊子の売り方があまりに投げやりだったからだ。

 冊子の隣にダンボールでできた募金箱のような入れ物があり、外側には「無人販売・一冊四百円」と記されていた。つまり野菜の無人販売のようなものだ。


 それだけでも横着だが、さらに呆れたことにテーブルの後方には、ちゃんと店主がいるのだった。


 店主は壁に背を預けて眠っており、店主というより店番といった風情だった。これほどやる気のない店であるにもかかわらず、箱の中にはそれなりに売り上げがたまっていた。


 百円玉に混じって千円札が数枚、入っているところを見ると、お釣りもここから勝手に持ってゆくのだろう。そもそもフリマのだいご味が接客にあることは、門外漢のわたしでも容易にわかることだ。一体この人は何を求めてフリマにエントリーしたのだろう。


 好奇心も手伝って私は平積みの冊子を一冊、手に取った。


 厚みのある表紙にはレトロ風の書体で『電視塔の怪人』とあるだけで、挿し絵も何もなかった。表紙をめくると薄い遊び紙が現れ、その下に何やら絵のような物が透けて見えていた。


 めくってみると、ページいっぱいの人物画が現れた。人物はこちらに背を向けており、タキシード風の衣装をまとっていることと、髪をぴっちり後ろに撫で付けていること以外、なにもわからない。絵の下には『ファントム・オブ・タワー』とだけ記され、絵と内容がどう関連しているのかさっぱりわからないのだった。


 ユーモア小説?ミステリー?……それともドキュメンタリー?


 わたしが訝っていると突然、目の前で信じがたい事が起きた。

 絵の中の人物が身じろぎしたかと思うと、やおらくるりとこちらを「向いた」のだった。


 ――なにこれ、CG?


 わたしは思わず言葉を発した。紙のように見えるが、これはもしかしたら超薄型の液晶なのかもしれない。そうなるとこの冊子自体が本ではなく、薄型の端末だということか。


 それにしては、安すぎるか。


 わたしが指先でページの感触を確かめていると、さらに驚くべきことが起きた。


『シージーとはなにかね。私はそのような名ではない』


 わたしは飛び上がりそうになった。絵の中の人物の口が動いたかと思うと、声が聞こえてきたからだ。わたしは思わず本を水平にし、背表紙をあらためた。どこかにスピーカーの穴があるのではないか、そう思ったからだった。


『やれやれ、実に久しぶりに起こされてしまった。君はよほど芸術のアンテナが鋭いのだな。いいだろう、起こしてもらった「お礼」をしようではないか』


 彫りの深い顔に口ひげを蓄えた絵の人物は、どこか尊大な口調で言った。私はその時ようやく、周囲の誰一人として私と本に注意を向けていないことに気づいた。


 ――なんで?本が喋ってるんだよ?


 わたしは頭がどうかしてしまったのだろうか。そんな戸惑いを見透かすかのように、絵の中の人物は、さらなる言葉をかけてきた。


『何をそんなにきょろきょろしている?まずは落ち着いて話そうではないか』


 ――もしかして、これって私の頭の中に話しかけてるの?


 わたしは声には出さず、思考の「問いかけ」を放った。


『その通りだ。いちいち空気を振動させるような無粋なやり方を取る必要はない』


 国籍不明の男性はそう述べると、我が意を得たりという風に丸眼鏡の奥の目を細めた。


 ――あなたいったい、何者?この本の中に「住んで」いるの?


 『いかにも。私の名は「タワー・オブ・ファントム」。事情があって本の中に閉じ込められて、私の存在に気づくことができる「真の読者」が現れるのを待っていたのだ』


 ――わたしがその「真の読者」だっていうの?


『いかにも。君のおかげで物語の奥深くへようやく帰ってゆける。そこでささやかながら「お礼」をしようというわけだ』


 男は勿体をつけた言い方をすると、鼻をうごめかせた。はたから見れば同じページをくいいるように眺めているさまは、さぞかし異様だろう。


 ――「お礼」って何?写真の中から私に何かしてくれるってこと?


『うむ。ただし条件があるのだが……私がこれから出す「問題」を時間内に無事、解くことができればという話だ。……まあ、それほど難しい問題は出さないから安心したまえ」


 何だかおかしな話になってきたなとわたしは思った。いきなり求めてもいない「お礼」の話が出たかと思ったら今度はクイズを解け、だ。私が困惑していると男はさらにたたみかけてきた。


『そうだな、この部屋の中から問題を出すことにしよう。あそこで絵本を売っている人物がいるだろう。あの店と商品を問題にしよう』

 

 写真の中の男は、そう言うと目線を動かした。わたしは目線を追って会場内を見た。男が示したのは私が先ほど足を止めた『手書き絵本』の店の事らしい。


『とりあえず時計の針が一回りする四分の一が、制限時間だ。問題を出すぞ。あの店の商品はすべて一冊一冊、手描きされている。その理由を、店主に一切質問することなく解き明かすのだ』


 男は言い終えると、写真の中でくるりと背を向けた。私はいったん本を閉じるとテーブルに戻した。本の中の人物が話しかけてくるということ自体、どうかしているが、その人物に出されたクイズを馬鹿正直に解こうとしている自分も相当、どうかしている。


わたしは「怪人」の許を離れ、少し離れた場所から絵本の店を眺めた。

 質問することが許されないのならすべて想像と推理で補うしかない。


 わたしは視線をテーブルの上の絵本に据えたまま、懸命に思考を巡らせた。あっという間に数分が経過し、わたしは焦り始めた。


 ――なぜ一冊一冊、すべて手描きなのか。なぜコピーではだめなのか。


 必死で考えていると、店の前に唐突に人影が現れた。人物は初老の男性だった。


 男性はテーブルの上の絵本を手に取ると、ページを繰り始めた。男性は店主と会話をするでもなく、無言で本に目を落としていた。時折「ううむ」と訝るように首を捻るのが、わたしのいる位置からでもうかがえた。


 やがて男性はぱたんと本を閉じるとおもむろに店主に声をかけた。店主は最初、わたしの時と同様に億劫そうな応対を見せていたが、会話が進むにつれ、店主の表情が厳しい物へと変化し始めた。


 やがて、急にぺこぺこと頭を下げだしたかと思うと、男性に握手を求めた。男性は穏やかな表情のまま財布を開くと、絵本を購入してブースを立ち去った。


 ――いったい、何があったんだろう。


 しばらく男性から受け取った名刺を眺めていた店主は、急に我に返ったように周囲を見回すと、まだ数冊商品が残されているにもかかわらず、ばたばたと店じまいを始めた。


 ――どうしたのかしら。急に。あのお客さんはいったい、何者?


 頭の中にいくつもの疑問符が現れては消えた。時計を見ると、あと五分だった。


 ――どれもこれも、習作ですから。店主の言葉が脳裏によみがえった。


――本物じゃないから、安いの?じゃあ、本物だったら?


わたしは一つの仮定にたどり着いた。おそらく本物は、手元に無いのだ。本物が見られないから、いくつも習作を書いているのだ。それで増えてゆく習作を安く売っている……


あと三分、わたしの頭は目まぐるしく回った。もし、本物が誰の何という作品なのか、知らないとしたら?誰かに教えてもらえばいい。……そう、たとえばお客さんに。


 ――あっ!


 今のお客さんがまさにその「本物」だったとしたら?私は大急ぎで、怪人と出会ったテーブルに舞い戻った。そして本を手に取ると写真のページを開いた。写真の中の人物がくるりと私の方を向き、にやりと笑みを浮かべた。


『二分前です。答えは出ましたか?』


 わたしは「本物」らしき客が現れたことを手短に語った。怪人は「ほう」と声をあげると目を丸くした。


『それが、同じ絵を何枚も描いていたことと、どういう関係があるのかな』


 ――たとえば、店主が前回のフリマにも同様の出店をしていて、前回は空振りに終わったとするわね。そして前回、絵本を購入した誰かがネットか何かで紹介したのを偶然、「本物」の作者が見ていたとしたら……


『ふむ。どうなる?』


 ――もう店主は、店を開く必要がなくなるわけよね。……だって「本人」に会えたらもう「習作」を売る必要がなくなるわけだから、後は店をたたんでもかまわないわけ。


 喋り終えた私は、どきどきしながら怪人のジャッジを待った。話を聞き終えた怪人は、小さく鼻を鳴らすと『いいでしょう』と言った。


『ほぼ正解です。意外にやりますね。……ではお礼をさせていただきましょう』


 ――その前に教えて。あのお客さんはやっぱり絵本の本当の「作者」だったの?


『そうです。……もっとも十年以上前にスランプに陥って描けなくなりましたが。……今回、たまたま自分そっくりの絵を描く人間がいるという事を知り、見に来たというわけです』


 ――文句は言ってなかったみたいだけど、真似されても平気だったのかしら。


『むしろあの店主のタッチに新鮮な感動を覚えたようです。自分にないものをもっていると感じたのでしょうね』


 ――あの店主さんは「習作」しか描けないことにコンプレックスを感じていたんじゃないの?


『でもその『習作』が、本物の作者の心を打ったのですよ。つまり、モチーフは借り物でも、ひとつひとつの線にゆるぎない個性があったのです。オリジナリティがすべてではないことを教えてもらい、あの店主さんにはこの上ない自信になったことでしょう』


 オリジナリティーがすべてじゃない……人の心を打つものはさまざまなんだ。

 わたしの中で、少しづつわだかまりが溶けてゆく気がした。


『さて、「お礼」ですが……絵本を売っていた男性が、テーブルのところで片づけをしていますね?あそこへ行って、売れ残った本を買ってみてください。何かが起こります。それがわたしからのささやかな「お礼」です。……では、ごきげんよう』


 いい終えると「怪人」は再びくるりと背を向け、動かなくなった。私は本を戻すと、半信半疑のまま、恵本を売っていた男性の元に移動した。


「あのう、すみません」


 ダンボールに残った冊子を詰めていた男性は、怪訝そうな顔でわたしの方を見た。


「さっき、お店をのぞかせていただいたんですが、やっぱり絵本を買いたくなって……もう、閉店されるんですか?」


「ええ、まあ……一応、商品はまだ残っていますが、お買いになられます?」


 わたしは力強く頷いた。店主の男性は、ダンボールから冊子を取りだすと、わたしの方に差し出した。


「おいくらでしたっけ?」


「いや……お金はいいです。いったん店じまいしてしまいましたから」


 男性は穏やかな笑みを浮かべて言った。わたしはあわててかぶりを振った。


「いえ、それでは申し訳ないです。支払わせてください」


「そうですか……では、これも一緒にさしあげます」


 男性は冊子に、木製の薄い箱のような物を添えた。わたしは戸惑いながら、冊子と箱を受け取った。


「これ……なんですか?」


「私がこの本の絵を描くときに使っていた、色鉛筆とパステルです。もうすり減ってしまって、あまり使えるものはありませんが……もし絵に多少でも興味がおありでしたら、この箱に新しい画材を入れて使ってください」


 わたしは箱をあらためた。本の形を模したクラシックなデザインがほほえましかった。

 蓋を開けてみると言葉の通り、使いこんで短くなった色鉛筆とパステルが並んでいた。


「ありがとうございます。大事にします」


 わたしは礼を述べると、冊子と木箱を小脇に抱えてテーブルを離れた。コンプレックスから逃れたくて訪れたフリマで、思いがけず次の場所へのドアを見つけた気分だった。


 ――今から文房具屋さんに行ってみようかな。


 フリマ会場を出て、長い階段を降りながらわたしは思った。色鉛筆かクレパスを買って、この箱に入れてみよう。こだわりを捨て、今まで描いたことのない物を描いてみよう。


 わたしにとっての「本物」に出会うために。


                 〈FIN〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

刹幌電視塔の怪人 五速 梁 @run_doc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ