第18話 死闘

「では、本選のルールを説明します」


 司会の女子生徒は手元のメモを見ながら説明を始める。


「本選ではフリップボードを使ったクイズに挑戦していただきます。こちらから問題を出しますので、制限時間内に答えを書いてください。そして、合図で一斉に解答をオープンしていただきます。五問のクイズでもっとも正答率が高い方が優勝となります」


 よくあるタイプのクイズだ。ルールはまったく複雑ではない。


「では、さっそく問題を出題していきます」


 俺たち参加者の間に目隠しのつい立てが立てられる。隣の人物の解答が見えないための処置だろう。そして、全員にヘッドホンが装着される。おそらく会場の声を拾って解答を書くことを防ぐためだろう。ヘッドホンの方から司会の少女の声は聞こえてくるので解答を書くには何の問題もない。


「では、第一問!」


 ここまで来たならば、優勝する他にない。俺は迷いを捨て、問題に耳を傾ける。


「『アイシャドウを塗る目の上のくぼみを英語で何という?』。ではお答えください!」


 アイシャドウ……?

 頭が真っ白になる。何? アイシャドウ……?

 俺は必死に頭を働かせる。アイシャドウ……確か化粧の一種だったか……? それを塗る目の上のくぼみ……? なんだそれは……そんなものに名前があるのか……?

 こんな問題、他の三人は解るのか? いや、今は他を気にしている場合ではない……。何か書かなければ……。

 だが、当然化粧についての知識など皆無。あてずっぽうの名称すら出て来ない……。せめて選択問題なら……。

 益体もないことばかりに気を取られ、俺はまったく手を動かすこともできない。


「はい。終了です。解答をオープンにしてください!」

「え……」


 まだ何も書けていないのに……。


「では、答えを確認しましょう!」


 隣との衝立と頭につけていたヘッドフォンが後ろに控えていた誰かによって外される。俺以外の三人はフリップを掲げていた。


「まず山本さんの答えは『アイホール』! お、なんかそれっぽい解答ですよ」


 司会の少女はそんな言葉で会場を盛り上げる。会場の方からも納得したような感嘆の声が聞こえる。

 アイホール……? まったくピンと来ていないのだが……。

 戸惑う俺を置いて、解答確認は進む。


「二人目の東さんの解答は……『アイライン』! おー、これもありえそうな感じですねえ」


 どちらが正解なのか見当もつかないが、どちらもありえそうだ。

 そして、三人目。


「お、三人目の三島さんの解答も山本さんと同じく『アイホール』です!」


 あの人の答えも同じ……。

 そして、最後の俺の元に司会の少女はやってくる。


「おっと、唯一の男子である中川さんは解答を書けなかったようです。ちょっと男子には不利な問題だったかもしれません!」


 まったくだ。だが、ここは元女子校。女子生徒の方が圧倒的に多いのだ。だから、女子に受けそうな問題をチョイスする可能性が高いことは先に考慮しておくべきことだった。考慮していたからといって、答えられたとは思えないが……。


「では、解答を発表します!」


 再び会場の注目は司会の少女に集まる。

 一瞬の沈黙の後、少女は大きな声で解答を宣言する。


「正解は『アイホール』です! 山本さんと三島さんは正解です」


 その言葉に会場が一気に沸き上がる。くそっ……差がついてしまった。


「ちなみにアイホールとは、正確にはまぶた全体のことではなく、頭蓋骨と眼球の間のへこんだ部分までを指すということです」


 解説をされてなおピンとこない……。

 だが、この問題はもう仕方がなかったと割り切るしかないだろう。

 俺は気持ちを切り替えて次の問題を待つ。


「では、第二問です!」


 また会場が司会の言葉を聞くために鎮まる。俺は再びヘッドフォンを装着される。


「『「鬼に金棒」と同じ意味のことわざ「虎に何?」』。お答えください!」


 ことわざ。これは解るぞ……!

 俺はフリップボードにかじりつくようにして解答を書く。


「では、時間です! 解答をどうぞ!」


 俺は今度こそフリップを掲げる。


「では、順番に確認していきましょう」


 一人目の解答は、『牙』。二人目の解答は『武器』。

 二人とも解答を解っていないようだ……。

 三人目、創作部の三島先輩は――


「三島さんの解答は『翼』です!」


 この人……。


「お、最後の中川さんの解答も同じく『翼』です!」


 さすがに知っていたか……。

 司会の少女は正解を発表する。


「正解は『翼』! お二人が正解です!」


 三島先輩はこちらを見て、にこりと微笑みかけた。

 この人が最大の敵になりそうだ……。




 クイズは続く。第三問は「子犬が自分の尻尾を追いかけ回している情景にヒントを得たとされる、ショパン作曲のピアノ曲は?」。そのエピソードは知らなかったが、ショパンで犬が関係する曲を、俺は一曲しか知らない。

 正解は『小犬のワルツ』辛くも俺は正解を収める。一問目に正解していた山本さんと三島先輩も同じく正解。

 これで得点は三島先輩が三問正解でトップ。二位が山本さんと俺の同率となった。


「では、第四問!」


 三島先輩を抑えて優勝するためには、もう一問も間違うわけにはいかない。どうか、俺が解る問題であってくれ……!


「『ある人の顔や声、職業までも思い出せるのに、その人の名前が思い出せない心理現象をなんと呼ぶ?』お答えください!」


 人の名前が思い出せない心理現象……。

 これは昔、何かの本で読んだような記憶がある。確か……

 俺が迷いながらもフリップに正解を書いた直後だった。


「では、解答をお願いします!」


 俺はフリップを掲げた。


「おっと、ここで全員の解答が割れたようです!」


 司会の少女は一人ずつ解答を読みあげていく。


「一人目の山本さんの解答は――『シュミュラクラ現象』……確かにありえそうですね!」


 いや、たぶん彼女が書きたかったのは、『シミュラクラ現象』だろう……。そして、シミュラクラ現象とは、三つの点があると、それが何でも人の顔に見えてしまう現象のことだ。心霊写真の原因としてよくあげられる言葉だ……。


「二人目、東さんの解答は、『ゲシュタルト崩壊』! あー、なんか良く聞きますね!」


 違う……。ゲシュタルト崩壊は同じ字を何度も見ていると、その字が正しいか自信がなくなってくる現象だったはず……。少なくとも今は関係ない。おそらく、何も思いつかず浮かんだ言葉を書いただけなのだろう。

 問題は三島先輩……。

 彼女の解答は――


「三島さんの解答は――『バーナム効果』!」


 よし……! あれは絶対正解ではない。

 『バーナム効果』は、誰にでも該当するような曖昧な性格診断を為されたときに、自分だけに当てはまると思い込んでしまう現象のことだ。占いで「あなたは人間関係に悩みを抱えていますね」と指摘されると、大抵の人は人間関係に悩んでいるものなので、その占いが本物だと信じてしまうという話は有名だ。

 三島先輩の顔を盗み見ると、どことなく顔をしかめているように見える。彼女もきっと苦し紛れに書いたのだろう。


「では、最後、中川さんの解答は――」


 司会の少女が俺の解答を確認する。


「『ベイカーベイカーパラドクス』! おお! 何やら難しそうな言葉です!」


 後は祈るしかない。

 ここで俺が正解を引けていれば、三島先輩と同率一位。

 負けるわけにはいかないんだ。今更ひるんでいる場合ではない。俺は正解の発表を待つ。


「正解は――」


 俺はごくりと息を呑んだ。


「『ベイカーベイカーパラドクス』! 中川さん一人が正解です!」


 よしっ!

 俺は思わずガッツポーズを決める。

 これで同率一位……!

 隣に座る三島先輩が悔しそうな顔でこちらを見ている。


「やるね、君」

「……負けられないですから」


 俺はなんとか言葉を返す。

 俺の言葉を聞いた三島先輩は楽しそうに微笑んだ。


「『ベイカーベイカーパラドクス』とは、ある人の名前以外の情報はきちんと思い出せるのに、名前が出て来ない現象を指す心理用語です。ある人が『ベイカー』つまり、パン屋であることは記憶しているのに、その人が『ベイカーさん』という名前であることを思い出せない、という一種の言葉遊びから来ているネーミングということです!」


 以前、読んだミステリーの中でこの現象の話題が取り上げられていた。だから、なんとか正解を思い出すことができた。


「では、泣いても笑っても次でラスト! 最終問題に移ります!」




 次がラストだ……。


「現在、得点は三問正解の三島さんと中川さんが同率一位。二問正解の山本さんが三位、最下位が東さんとなっております」


 司会の女子生徒は立て板に水を流すごとくに話し続ける。


「最終問題で優勝者が決まることになります! これは盛り上がる展開ですね」


 俺は改めて考える。

 遂にここまで来た。まさか本当にここまで来られるとは思ってもみなかった。クイズのレベルだって高かった。予選で負けていても、おかしくなかったのだ。ここまで来られたのは奇跡に近い。

 奇跡であってもいい、そう思う。

 偶然でもなんでもいい。今だけは俺を勝たせてくれ。

 俺が望んだことを成し遂げるために。

 ここまで来て負けるわけにはいかない。


「最終問題です!」


 俺はヘッドホンから聞こえる声に耳を傾けた。


「『『星』はラテン語ではなんと言う?』。お答え下さい!」

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