第17話 戦いの始まり

 校門前に辿り着いた俺は周囲を見渡す。夏の日差しの差す中を走ってきたためか、全身から汗が噴き出している。だが、今はそんなことを構っている場合ではない。

 どこだ、どこが受付なんだ?


「あった……!」


 俺は目当ての場所を見つけて、飛びつく。


「まだ参加できますか?!」




「あれ、君はさっきの……?」


 なんとか受付を済ませ、イベントが始まるまでの間に呼吸を整えていたときだった。


「すっごい汗だけど、大丈夫?」


 俺に声をかけてきたのは先程、創作部の屋台の前で出会った女子生徒だった。


「えっと……」

「あ、そう言えば名前言ってないか。私は三島柚木。二年生。創作部の副部長してるの」


 俺は額の汗を拭ってから答える。


「えっと……中川夏樹です。文芸部の一年生です」


 俺は知らない人と話すのはやはり苦手だ。言葉を紡ぎだす口がまるで自分のものでなくなってしまったかのように自由に動かなくなる。

 冷や水を浴びせられたような気分だ。俺が今からやろうとしていることは見知らぬ他人と話すことなんか比じゃないくらいに大変なことだ。ついさっきまでは自分の中についた火に突き動かされていたのだけれど、時間が経ち、少し冷静さを取り戻すとつい先程までの自分が信じられなくなってくる。

 だが、もう逃げないと決めたんだ。

 今更引き返すことはできない。


「この場所に居るってことは君も出るつもりなんでしょ?」


 そう言って三島と名乗った先輩はステージの方を指差す。


「……はい」


 俺はこくりと頷き返事をする。

 すると三島先輩はにこりと笑って言った。


「なるほど、じゃあ君とはライバルだ」


 そして、くるりと俺に背を向けて言った。


「文芸部の実力、期待しているよ」




「これより、空星学園文化祭クイズ大会を始めたいと思います!」


 司会の女子生徒がマイクを握り、そう宣言したことで周囲の生徒達から拍手が巻き起こる。ここは正門前のもっとも人通りの大きい場所に作られたステージ。当然、観客の数も多い。

 俺はステージの上に立つ司会の女子生徒を見据えながら考える。

 俺の考える計画を遂行するためには、まずこのクイズ大会に勝ち抜く必要がある。


「では、ルールを説明します」


 女子生徒は手元の紙を見ながら説明を始める。


「このクイズ大会は予選と本選に別れています。まず、予選ですが、いわゆる○×クイズ形式で行われます」


 司会の女子生徒はステージの前に集められた俺たち予選の参加者の間に通された一本のロープを指し示しながら言う。


「ごらんのように今から出題されるクイズの答えが○だと思う人は、このロープのこちら側に、×だと思う人は向こう側に移動してください」


 参加者は○か×かを選ぶだけ。クイズ大会の予選の形式としては、おそらくメジャーなものだろう。


「現在の参加者は九十五名。これが四名になるまでクイズを繰り返します。最後の四名が本選に出場となります」


 その他、注意事項としてスマートフォンなどの使用禁止や決着がつかない場合はじゃんけんで本選出場者を決めることなどが補足説明された。


「では、さっそく予選を始めていきたいと思います」


 俺は改めて深呼吸をして、心を鎮める。ここまで来たら勝ちを目指す以外にはない。

 そして、クイズ大会は始まった。




「第一問! 『アイスクリームの賞味期限は製造から3年と決められている』!」


 アイスクリームの賞味期限……?

 いきなり、それなりに悩ましいレベルの問題だ。周りの参加者も困惑した表情を浮かべている者も多い。


「さあ、十秒以内に移動してください」


 俺は必死で頭を働かせる。

 確か、アイスクリームは――


「では正解を発表します!」


 俺は移動した先で正解の発表を固唾を呑んで見守る。


「正解は――×です!」


 俺の周囲に居た人間は安堵のため息を吐く。

 つまり、俺は正解の選択肢を選んでいた。

 俺も周囲の人間と同じ様に詰めていた息を吐く。


「アイスクリームには、なんと賞味期限というものは基本的にはありません! それだけ腐りにくいということでしょうね」


 何かの本で読んだうろ覚えの知識だったので自信はなかったが、なんとか正解できた。


「第一問でしたが、意外と間違ってしまった方が多かったようです。残念ながら正解できなかった方、お疲れさまでした」


 不正解の選択を選んでいた生徒は参加者のおよそ半数といったところだろうか。おそらくある程度難しい問題を出して、さっさと人数を絞っていかなければ時間が足りなくなるのだろう。


「では、どんどんいきます。第二問!」


 司会の女子生徒は手元にある紙を読み上げる。


「『生きている人はどれだけ有名でも広辞苑に載ることはない』!」


 広辞苑……?


「さあ、移動を開始してください!」


 俺は司会の女子生徒の声を聞きながら考える。

 広辞苑に生きている人間が載っているとしたら――


「では、正解の発表です!」


 女子生徒は参加者全員を見回してから、ゆっくりと口を開く。


「正解は――○です!」


 安堵の声と悲鳴が同時に会場を満たす。

 ……なんとか今回も切り抜けられたようだ。


「基本的に存命の人物は載せないという方針だそうです。まあ、確かに亡くなる前に載せてしまうと晩年になってからの話を改めて記述しないといけなくなって二度手間になりそうですからね」


 広辞苑はともかく辞書に載っているような人物は皆、生まれた年と亡くなった年が明示されているというイメージがあった。だから、死んでからしか載せないのではないかと予想したが正解だったようだ。

 第二問では最初の問題ほど、人数が減った様子はない。

 これは長い戦いになるかもしれない……。




「遂に予選も大詰めです。残る参加者は八人! 次のクイズで決勝進出者が決定してもおかしくありません!」


 俺は残った八人をちらりと見る。

 その中には先程言葉を交わした三島先輩も残っていた。彼女も俺に気がついて、不敵な笑みを見せる。


「そろそろ、決着がついてもらわないと時間進行的に困るので……ここからは一気に問題のレベルを上げますよ!」


 上等だ……。俺はごくりと息を呑む。


「第九問!」


 俺は司会の少女の言葉に全神経を集中する。


「『太宰治の小説『ヴィヨンの妻』の主人公の夫、大谷の職業は詩人である』」


 は……?

 俺は問題の内容に呆気に取られる。

 答えは――


「お、うまく割れてくれましたね!」


 司会の少女はどこか安堵した様な声を漏らす。


「○が四人、×が四人! ここで決着がつきます!」


 俺は周囲に居る人間を確認する。先程目があった三島先輩も俺と同じ答えを選んでいた。


「正解は――」


 会場が一瞬、静まり返り、司会の少女にすべての視線が注がれた。


「○です!」


 俺は当然○を選んでいた。


「○を選んでいた方、おめでとうございます! 決勝進出です!」


 俺は正直拍子抜けしていた。

 『ヴィヨンの妻』に出てくる大谷が詩人であることは当たり前だ。そもそもタイトルに冠されている『ヴィヨン』とは「フランソワ・ヴィヨン」という詩人から取られている。『ヴィヨンの妻』とは、詩人ではあるが無頼漢であったヴィヨンと同じ様に妻を振りまわす詩人を描いた作品なのであるから、大谷が詩人であることは自明のはずだ。

 司会の少女が問題のレベルを上げるというものだから身構えたが、俺は少し拍子抜けしていた。こんな問題、間違えるはずがない。


「では、決勝進出者の四名はステージに上がってください!」


 だが、そんなことはどうでもいい。大事なのはここからだ。俺の目的を果たすためには、優勝するのが一番。

 俺は気合いを入れて、ステージへと向かった。




「う……」


 ステージへと昇った瞬間だった。

 ――高い。

 俺はそう感じた。

 もちろん、ステージといっても所詮は高校の文化祭レベルのもの。実際の高さは大したことはない。だが、俺はそれを高いと感じた。それは、つまり、俺がこのステージという状況に呑まれていることを示していた。


「用意された席に座ってください」


 俺はぎこちない動きで指し示された椅子に座る。前には机と小さなフリップボードが置かれていた。


「では、問題に入る前に簡単に自己紹介をお願いします。すいません、時間が押しているので、お名前だけでお願いします」


 俺は司会の女子生徒から最も遠い席についたので、自己紹介をするのは最後だ。


「三年一組の――」


 一人目の参加者が名前を話しているようだが、俺の耳には届かなかった。

 心臓が暴れる。心臓の音はこんなにも激しいものだっただろうか。俺は思わず、また唾を飲み込む。

 目の前に置かれたフリップボードだけが俺の視界に映る。俺は顔を上げられない。ステージの前から響く喧騒と拍手の音。先程まで自分たちが○×クイズをしていた場所まで観客が詰めてきているのだろう。

 なぜ、俺はこんなところに居るんだ。

 後悔が波の様に押し寄せる。

 俺はもともとこんな人前に立つような人間じゃなかった。目立つような真似をするのは嫌いな人間のはずだった。

 ならば、どうして?

 嫌なことを、苦手なことをやってでも成し遂げたいことがあったからだ。


『やはり、夏樹さんは変わりました……!』


 彩音の責めるような言葉が脳裏を過る。

 どうやら、俺は変わったらしい。

 ここまで来て後悔を始める様な後ろ向きな性格のすべてが変わったわけではないのだけど、確かに何かは少し変わった。

 だったら、俺はそれを証明してやらなくてはならない。


「自己紹介を」


 俺の前に司会の女子生徒が立ち、俺にマイクを向けていた。

 俺は意を決して口を開く。


「一年一組、中川夏樹です……!」


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