第13話 祭の始まり

 文化祭当日、朝から俺たちは準備を始める。といっても、食品関連を扱うグループとは違い、当日にやることはそう多くはない。部室から販売受付にするために机を運び、百冊の部誌を運び、金銭を扱う準備を整える。

 販売場所はあらかじめ生徒会から指定されている。一応、抽選の結果ということだったけれど、俺たちのスペースはグラウンドの一番端。校舎からも入口からも遠く、決して立地がいいとは言えない場所だった。


「嫌がらせですかね……」


 彩音が周囲を見渡して小さな声で呟いた。


「まあ、場所は抽選だからね。仕方ないと思うわ」


 部長が少しでも目立つようにと作った「文芸部」と書いた看板を立てかけながら言った。

 そのとき、きーんと耳障りなノイズが走る。


「時間……」


 日下部先輩が呟く。


『――これより第六十一回空星学園文化祭を開催します』


 響き渡る校内放送。

 そして、文化祭は始まった。




 とはいえ、


「じゃあ、行こうか」


 五人全員が一度に販売場所に居る必要はない。それぞれに各クラスの割り当てだってあるし、文化祭を見て回りたいと思う者も居る。

 最初の当番は彩音と部長。だから、俺と瀬尾、日下部先輩は文化祭を見て回ることにした。


「ねえねえ、夏樹は何が見たい?」


 と、日下部先輩はあからさまに俺に身をすり寄せてくるので、俺はそっと距離を取る。


「なんでもいいですけど。ただ――」


 俺は配られたパンフレットを見ながら呟く。


「この『創作部』っていうのは、気になりますよね」


 パンフレットによれば、俺たちの販売場所からは校舎を挟んで向こう側で俺たち同じく部誌を販売しているようだった。

 俺の言葉に、


「ああ、創作部か……」


 と、日下部先輩は珍しく顔をしかめた。

 俺はそれを不思議に思いながら尋ねる。


「創作部ってなんなんですか」

「創作部は文字通り、創作をするための部活らしいよ」


 俺の問いかけに答えたのは瀬尾だった。


「私たち文芸部と違って、創作なら基本なんでもオッケーだから、マンガを描いたり、イラストを描いたり、あと、なんか楽譜を書いたりする人も居るって聞いた」

「そんな部活あったのか」

「あったよ。私も入学してすぐ見学に行ったし。まあ、ちょっとノリが合わなくて、入部しなかったけど」


 瀬尾の言葉を継いで先輩は言う。


「私たち文芸部が同好会になった一因って噂もあるよね」


 そう話す日下部先輩の表情は複雑だった。静かな微笑みを浮かべていることが多い彼女にしては珍しい険のある表情だった。


「そうですね。まあ、要は文芸部と創作部って分ける必要あるのか、って思われたみたい。創作部の部員の中には小説を書いている人も居るし……」


 客観的に見れば、それは真っ当な判断とも言えた。どちらの部活でも小説を書いているのなら、一つに統合してしまった方が合理的だと考えるのも無理からぬことだろう。

 瀬尾は言う。


「百聞は一見に如かず。私も気になってたから見に行ってみますか」


 なぜか日下部先輩はまた顔をしかめる。


「……行くの?」

「え? まあ見に行ってもいいかなと思いますけど」


 瀬尾は困惑の声を漏らす。


「私はパスする」


 そう言って日下部先輩は俺たちに背を向けた。

 そして、背中越しに言う。


「夏樹は?」

「俺は創作部を見に行こうかと……」


 俺は純粋に創作部とやらのことが気になっていたのでそう答えた。


「そう」


 先輩はあっさりした口調で言う。


「じゃあ、後で」


 そして、彼女は俺たちに背を向けて、足早に去って行った。

 いつも何を考えているかよく解らないひとだけれど、今日はいつにもまして何を考えているのか解らない。

 創作部には何があるのだろうか。




 俺と瀬尾は校舎の向こう側にある創作部のスペースを目指す。

 その間にはたくさんの屋台が軒を連ねている。焼きそばやたこ焼きに、わたあめやタイ焼き。おおよそ定番と思えるものは一通りそろっていた。食べ物の屋台以外にもヨーヨー釣りや輪投げ、射的といったゲームの類いもあった。結構本格的に祭りをしているな、と思う。

 校門正面、一番目立つ場所にはステージが作られていた。

 そこではライブやクイズ大会など、様々な催し物が行われる予定らしい。

 それを見て、瀬尾は言う。


「クイズ大会当日参加者募集中だって。夏樹くん、出てみたら?」

「なんでだよ」

「なんか、クイズとか得意そうじゃない?」

「別にそんなことはないが」


 瀬尾の俺に対するイメージがよく解らない。




 俺たちは創作部のブースへとやってくる。

 スペース自体は俺たちとそう変わらないのだけれど、その雰囲気は俺たちのそれとはだいぶ違った。

 まず見た目が派手だ。販売場所の周囲には立て看板が置けるだけ置かれている。その一枚一枚にマンガかアニメのキャラクターと思しき、キャラクターが描かれている。うまいものから、微妙なものまで、絵のレベルは様々だったが、その看板だけで目立つことは間違いなかった。

 そして、売り子も俺たちのように制服ではなかった。


「コスプレっぽいね」


 瀬尾は俺に耳打ちする。

 創作部の部誌を販売している女生徒は、一人はミリタリージャケット調のかっちりとした服を着ている。もう一人は甲冑のようなものをつけた女騎士の格好だった。どちらも有名なマンガやゲームのキャラクターの格好だった。

 もう一人、後ろに女子生徒が立っている。彼女はコスプレをせず、制服を着ていた。

 ふと、その女子生徒と視線がぶつかる。そして、こちらに向かって歩いて来る。


「あれ、もしかして、前に一回見学に来てくれた子じゃない?」


 その言葉は瀬尾に向けられた言葉だった。

 瀬尾はきょとんとした表情で答える。


「え、あ、はい……一度だけ」

「やっぱり、そうか。なんか可愛らしい子だったから覚えてるよ」


 そう言って女子生徒はにこりとさわやかな笑みを見せる。対する瀬尾は少し気まずそうだ。よく考えれば、瀬尾は創作部に一度見学に行ったのに、結局入部しなかったということになる。そういう関係は少し気まずいとも言えるかもしれない。


「結局、どっかの部活に入ったの? どこにも入ってないなら、今からうちに来ない? 常にうちは部員募集中だからさ」


 優しい笑顔で語る女子生徒に瀬尾はおずおずと申し訳なさそうな声で言った。


「えっと……文芸部に……」

「文芸部?」


 一瞬、女子生徒の優しげな笑顔が強張ったことに俺は気がついた。だが、すぐにそんな様子などなかったかのように、彼女は再び笑みを作る。


「そっか。確かに小説書きたいとか言ってたもんね。小説を書くって意味なら確かにうちよりもいいのかもしれないよね」


 彼女は先程と同じように笑っていたのだけれど、その笑顔にどこか陰りが見えるような気がするのは、俺の勝手な想像なのだろうか。


「文芸部ってことはさ……」


 女子生徒は顔に張り付けていた笑顔をそっと外して、呟く。


「春風……日下部って奴いるでしょ?」

「日下部先輩ですか……?」

「そう、そいつ」


 彼女は何故だか少しさびしそうな笑みを見せて言った。


「あいつ、元気にやってる?」

「えっと……」


 瀬尾は戸惑ったように一瞬、俺の方を見た。俺は瀬尾の視線を受け止めてから、言う。


「日下部先輩は楽しそうにやってますよ」


 唐突に俺に告白する程度には。

 女子生徒は瀬尾の代わりに答えた俺の方をじろじろと見ながら、明るい声で言った。


「あ、君も文芸部なんだ。そっか……」


 まるで品定めをするように俺をじっと見た後、彼女は言った。


「じゃあ、二人ともあの子と仲良くしてあげてね。……昔から不器用な奴だから」


 まるで二度と会えない誰かへの想いを語るような調子であった。

 二人はいったいどういう関係なのだろうか。


「柚姫さん! すいません、ちょっと来てもらっていいですか?」


 コスプレをして売り子をしていた女子生徒のうち一人が、俺たちが話していた女子生徒に向かって声をかけた。


「ああ、すぐ行く」


 柚姫さんと呼ばれた彼女は振り返って返事をした後、俺たち二人に向きなおって言った。


「じゃあ、また機会があったら。よかったら、うちの屋台も見て行って」


 そう言って、彼女は去って行った。




「日下部先輩、あの人と何かあったのかな?」


 瀬尾と二人、校舎内の出し物を見て回っているときだった。

 瀬尾は思い出したようにぽつりと呟いた。


「何かはあったんだろうけど……」


 創作部を見に行こうと言った途端、日下部先輩が別行動を宣言したのも、今思えば、創作部に居たあの柚姫という女性に会いたくなかったのかもしれない。

 校舎内も折り紙で作られた輪飾りや紙を折って作られた花、色取り取りのポスターで彩られている。見慣れた校舎がまるで魔法の国にでも変わってしまったかのようだ。

 そんな様変わりした校舎を見渡しながら俺は言う。


「まあ、解んないな」

「そうだよね」


 瀬尾もそう言っただけであっさりと引き下がる。きっと先程の出来事を話題に出すことで吐きだしたかっただけなのだと思う。解らないことを解らないとはっきりさせておきたかったのだろう。


「私、あの人のことって、あんまりよく知らないんだ」


 瀬尾は校舎の窓からグラウンドを見下ろしながら呟いた。


「あの人って、意味深なことは呟くけど、あんまり具体的なことは話さないから……」


 瀬尾の言葉はどこか不満げに聞こえた。

 俺の表情にか何を見い出したのだろうか。瀬尾は俺の顔を見て、慌てたような表情で取り繕うようなことを言う。


「まあ、何でもかんでも人に話したりする方がおかしいものなのかもね」


 瀬尾はにこりと笑って、言う。


「私はひびきさんとは結構話するけど、何でも知っているってわけじゃないし」

「そうなのか?」


 それは意外な言葉だった。

 瀬尾はわりと社交的な性格をしている。部長など言わずもがな、だ。独特の世界を持っている日下部先輩や自分の殻にこもりがちな彩音はともかく、瀬尾と部長ならばお互いのことを何でも語り合えるような関係なのではないだろうかと、俺は勝手に考えていたのだ。


「まあね」


 瀬尾は何気ない調子で言う。


「部長ってお喋りの癖に、案外自分のことを話そうとしない人だからさ」


 そう言われて、俺は部長の言葉を思い出す。


『私、そんな文章書くとかそんなキャラじゃないからさ』


 部長は皆に小説を書くように勧められても、いつものらりくらりとかわして、結局一度も小説を書いていないという。彼女はその理由すらも語ろうとしないのだ。


「案外、近しい人のことでも知らないことってあるものだよ」


 その瀬尾の何気ない一言は、俺の心の中にある柔らかい部分を、そっと揺らした。




「ちょっと……というか、結構、ヤバいと思いますです……はい……」


 部長はいつも通りおどけようとしたのだろうけど、そう出来ないくらいに、現状はまずいということだろう。


「朝から二時間で、売り上げは十一冊……百冊売り切れるペースではないよね」


 彩音と交代で店番についていた日下部先輩の表情も暗い。

 俺たちの部の販売スペースとして与えられたグラウンドの一角。そこに置かれた机の上に、山の様な部誌は傲然と鎮座していた。


「そんな……」


 瀬尾は言葉を詰まらせている。

 無理もないだろう。今回の一件で一番責任を感じているのは、間違いなく瀬尾だ。もしも、この部誌が売れなかったことで本当に部が廃部になったとしたら、一番悲しむのもきっと瀬尾だろう。

 瀬尾は黙ったまま山と積まれた部誌をじっと見つめていた。


「ちょっと、宣伝してくるわ。校門の方でお客さんに声かけてみる」


 そう言いながら部長は座っていたパイプ椅子から立ち上がる。


「じゃあ、私は知り合いに買ってくれるようにもう一回頼んでくるよ」


 日下部先輩も同じように立ち上がりながら、机に置いてあったスマートフォンを握った。

 この場を後にする二人。

 部長はすれ違いざまに瀬尾の肩にぽんと手を置く。


「まあ、あんまり思い詰めないでね」


 それだけ言うと、二人は去って行った。


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