第12話 決戦前夜
「部誌が届いたよー」
部長は部室に置かれた段ボールを指差しながら言った。
「あ、やっと届いたんですね。よかったです」
瀬尾はほっと息を吐く。
「結構ギリギリだったね」
日下部先輩が呟く。
印刷所は費用が抑えられるところを最優先で選んだ結果、完成までの日数がそれなりにかかるところに依頼することになった。その結果、なかなか部誌が届かず、皆、やきもきしていたのだ。
「みんな、揃ってから開けようと思って待ってたんだよ、偉い?」
「偉い、偉い」
おどけた部長の言葉を日下部先輩は慣れた調子であしらう。
「じゃあ、開けるよ」
そう言って、部長は段ボールの封を勢いよくはがした。
中から現れたのは青色の本だった。
「空星学園文芸部合同誌」という表紙に、瀬尾が描いた空を飛ぶ鳥のイラスト。それらは決して体裁の良いものとは言えなかった。あくまで安価であることを最優先したために紙の質は安っぽく、表紙のイラストやデザインも決してレベルが高いとは言えない。しかし、それは間違いなく今の俺たちのすべてが詰まった一冊だった。
「やっと、出来たんですね……」
彩音が小さな声で呟き、
「そうだね」
と、瀬尾が優しい声で応えた。
俺は一冊を手に取った。そして、めくる。
これは本だった。
もちろん、出版社を通して作られた本には遠く及ばない。
それでも確かにこれは一冊の本だった。
自分の書いた小説が出版されたときは、また別の感動が俺を包んでいた。
「作業は進んでいるか」
それは文化祭を前日に控えた日のことだった。
部室の重い扉を押して入ってきたのは、生徒会顧問の柳沢先生だった。
相も変わらない鋭い目つきと声音。どこかの国の女帝だと言われたら信じてしまいそうな威圧感だった。
鷹の様な瞳で部室の様子を見渡した彼女は言った。
「一応、準備はしているようだな」
「はい。もちろんですよ」
いつも通りの人辺りの良い笑顔を貼り付けて前に立ったのは部長だった。
「きちんと掲示するポスターも生徒会の許可をもらいに行きましたし、ほら、看板だって作ったんですから」
そうやって部長が柳沢先生に対応している間、俺は瀬尾の様子を気にしていた。瀬尾はうつむいて唇をかみしめていた。
「部誌はできたのか?」
「あ、はい。もちろんです」
そう言って部長は部誌の一冊を手渡す。それは先日、印刷所から届いたばかりの俺たちの部誌だった。
柳原先生はそれを意外に丁寧にめくっていく。何を考えているのだろうか。一ページ、一ページにゆっくりと目を通す。何ページかめくった後、その一冊をつっ返しながら言った。
「大事なのは結果だ。約束は覚えているな」
先生は部長の背後でうつむいている瀬尾の方に向かって言った。
自分に向けられた問いだと気付いた瀬尾は、びくりと身を震わす。顔の色が心なしか青い。
「ここにある百部。売り切れば廃部は見送ろう。もしも売り切れなければ廃部だ。金に関することだから、生徒会がきちんと監査する。適当に処分して誤魔化すなんて真似はできないということも解っているな」
事前の生徒会に対する申請で値段もかかった費用に見合ったものに固定されてしまっている。赤字覚悟で値下げすることもできない。
「………………」
声をかけられた瀬尾はうつむいたまま何も答えない。
それが正解だと思った。
余計なことを言えばまた言質を取られる。今ここで先生と何か話をしたところで事態が好転するとは思えない。だから、ここは黙っているのが正解だ。
だけど――
「………………」
うつむいたままの瀬尾の両の拳はギュッと握りしめられていた。
その手は震えていた。
悔しいんだ。
俺は気が付く。
瀬尾は自分が大事にしてきたこの部活をとり潰そうとする相手に何も言えなくなった自分が。
部長のように適当なおべんちゃらが言えるのならともかく、そうでないなら黙っておかねばならないと前回の経験できっと思い知ったのだろう。
そんな瀬尾の姿を見て、俺の心の中の何かに火がついた。
俺は口を開く。
「大丈夫です」
ゆっくりと深呼吸をして、次の言葉を継ぐ。
「俺たちはきちんと結果を残します」
「………………」
柳沢先生の両の瞳が俺を捉えていた。猛禽類のごときその瞳に射すくめられ、俺はひるみそうになる。
だけど、俺は退かない。
瀬尾はこの瞳に対して啖呵を切ったのだ。それが正しい判断だったのか、愚かな行為だったのか。それは解らない。それでも、彼女は確かに立ち向かった。
ならば、俺だって今ここで退くわけにはいかない。
俺は目に力を込めた。
すると、柳沢先生はあっさりと俺から目を逸らして言った。
「ならば、結果を出せ。期待している」
それだけ言い残すと先生は風のように部室から去っていった。
呆然と立ち尽くす俺。
その背中がぽんと叩かれる。
部長が親指を立てて笑っていた。
日下部先輩も口の端を吊り上げて静かに微笑む。
瀬尾は優しい笑顔で俺を見ている。
ただ一人、彩音だけは、俺を冷たい視線で見ていた。
「よっし、明日は絶対全部売り切るよ!」
部長の檄の声に俺はゆっくりと頷いた。
――俺はあの瞬間、怒っていたのか。
家に帰り、ベッドに横たわってから今日一日のことを思い返す。
瀬尾が柳沢先生の目に射すくめられたあのとき、俺は確かに怒っていたようだった。
客観的に見れば、そうとしか言いようがない。
俺たちがやってきたことを、その過ごした時間を侮辱された。そう感じた。
だから、怒った。
それは一見すれば何の矛盾も起こりえない論理的帰結だった。
でも、それは俺が本当の意味で彼女たちの仲間であったらの話だ。
俺は彼女たちを利用していただけだった。
そんな俺が今更どんな顔で仲間面できるというんだ。
彩音の睨むような視線。あれは、そんな俺を責めていたのかもしれない。
どうして、今日の俺はあんな風に柳沢先生に立ち向かうことができたのだろう。
思考は巡り、ぐるぐると回る。風に煽られる紙きれのように、どこかに飛ばされて、見えなくなっていく。俺はそれを黙って見ていることしかできなかった。
そして、運命の文化祭は始まる。
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