第6話 書くべきものは

 それから数日。瀬尾はクラスで俺に話かけてくることはなかった。

 彼女なりに気恥ずかしさや気まずさを感じていたのかもしれない。

 そうやって彼女の方が距離を取ったことで俺は気が付く。

 俺と瀬尾が話すときは、いつも彼女の方から話しかけていたということに。

 彼女を取材しようと思っているならもっと積極的に話しかけなくてはならないというのに。俺は作家のくせに、取材の一つもまともにできないんだな。そんなことを考えて、俺は一人自分を嘲笑った。




「どうかな……?」

「うん。悪くないと思うけど」


 それからさらに数日が過ぎたある日の放課後だった。

 瀬尾の心の整理はついたらしく、彼女の方から俺に声をかけてきた。そして、誰も居ない部室で俺は瀬尾と向かい合っていた。


「本当に? ……遠慮しないで言ってくれていいから」


 昨日、瀬尾から渡されたのは自作の小説の原稿だった。俺の作家という正体を隠す代わりに瀬尾の小説を批評する。それが俺たち二人の間で交わされた契約であった。俺は昨日一日で彼女の小説を読んできたのだ。

 俺を見つめる瀬尾の表情は不安げであった。それはそうだろう。気持ちは解る。曲りなりにプロである俺でも新作の原稿を人に見せるのは緊張する。まして素人の彼女なら尚更だろう。


「いや、本当に悪くないと思ったよ」


 それは本心だった。

 彼女が書いてきたのは、恋愛小説だった。子供の頃に好きだった幼馴染と高校で再会し、再び惹かれていくという内容だった。登場人物の気持ちも丁寧に描かれているし、共感もしやすい。文章の表現力も卓越しているとは言い難いが、最低限の水準には達している。素人でこれなら充分過ぎる出来だと思った。


「でも、この小説、公募では一次も通らなかったんだよ? 何か悪いところがあると思うんだ」


 瀬尾は俺の適当な慰めの言葉では引き下がらない。

 そういう奴だと思ったから、俺も彼女に協力しようと思ったのだが。


「まあ、そうかもしれないな」


 俺は瀬尾の言葉に頷く。


「じゃあ、何が悪いか教えてもらえませんか」

「いや、本当に何も悪いとこはない。だが、特に審査員の目に留まるような何かもあるわけではない、って感じかな」

「………………」


 瀬尾は黙ったまま目線で俺の言葉を促す。


「要は、よくまとまっているけど良くも悪くも特徴に欠けるんだ。よくある話。もうちょっと、きつい言い方してもいいなら話がベタ過ぎるって感じかな」


 俺は続ける。


「たとえば、これと同じ小説を人気作家が書いてきたとすれば、まあ出版してもアリなレベルかもしれない。その程度には良く出来ている。でも、これを新人どころか素人が書いてきても出版しようとする出版社は少ないと思う」

「………………」

「何か売りが必要なんだよ。タイトルとあらすじだけを見て『なんだ、これは。見たことがない』って思わせるような何かじゃなければ、新人の作品は出版されにくい。もちろん、独創性に欠けていても、よほどの突き抜けた完成度があったり、あるいは、素人でも小説投稿サイトなんかで高い支持を得たりしていれば、話は別かもしれないけど」


 結局は出版社も商売だ。作品の完成度よりも「売れるか否か」で作品を判断する。売れるならば出すし、売れないなら出さない。ある意味ではそんな単純な話なのだ。

 俺はここまで言ってから、少し声のトーンを落とす。


「まあ、俺も偉そうなことは言えない。二作目を出せる目途はついてないんだから」


 創作の話で思わず饒舌になってしまったけれど、俺だって読者が求める「売れる作品」を未だに書けたことはない。読者が求める「青春」を描くために、俺は今「偽りの青春」を経験しようとしている。俺と瀬尾に大した差はない。

 瀬尾は俺の言葉を聞いて、神妙な表情を見せる。

 彼女はいったい何を考えているのだろう。自分で批評しろと言ったのだから、よもや怒ったり、泣いたりすることはないだろうが、不快な思いをしているということはありえる。俺は胃が引き絞られるような思いがする。

 だが、瀬尾は次の瞬間に笑みを浮かべて、言った。


「ありがとう。参考になったよ」


 その笑顔を見て、俺は息を吐く。


「そうか。なら良かったよ」


 瀬尾は言う。


「プロになろうと思ったら、読者に求められる作品を書かないといけないってことだよね?」

「まあ、そういうことだよな」

「そうか。大変だね」


 瀬尾は何気ない調子で言った。


「本当に自分が書きたいものよりも、人が求めるものを書かないといけないなんて」




 その日の帰り道。

 瀬尾と別れて、一人になってから俺は瀬尾の言葉を思い返していた。


「大変だね。本当に自分が書きたいものよりも、人が求めるものを書かないといけないなんて」


 瀬尾はそう言っていた。

 そうだな、大変だ。

 俺は考える。

 プロになるっていうのはそういうことなんだ。

 一作目が不評に終わった俺は二作目で巻き返しを図らなければならない。何作分もの企画書を担当編集の元へと送った。しかし、返ってくる返事は「読者が求めているものとズレている」。俺は何を書いたらいいのか解らなくなっていた。

 俺はプロなのだ。

 たとえ、売れていなくたって、プロなのだ。

 ならば、読者が求めている作品を書かなくてはならない。

 自分が書きたいと思った話でも、今の読者には受けないと思ったのならば、それは書くべきではない。

 それがプロというものだ。

 少なくとも俺はさっきまで、そう疑いなく信じていた。

 だが、瀬尾の言葉は俺の中にあったそうした価値観を揺らす。

 書かなければならないものばかり求めてきた今の俺。昔はきっと自分が書きたいから小説を書いていた。

 今の俺が本当に書きたいものが何なのか。

 俺にはもう解らなくなっていた。

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