第7話 日常とその意味
「というわけで、新入生の歓迎会を始めたいと思いまーす!」
ある日の部会が終了した直後のことだった。
「は?」
部長のその唐突な宣言に俺は間抜けな声を漏らす。
「歓迎会だよ、歓迎会。まだやってなかったでしょ?」
言われてみれば、少なくとも俺が入部してから、歓迎会なるものが開かれた記憶はない。一度、部会終わりにパンケーキ屋に連れ込まれたことがあったが、あの時は俺と部長と瀬尾の三人だけだった。
「えっと、聞いてないんですけど……」
俺は戸惑いながら、そう言うと、
「うん、言ってないし」
部長はさも当然という顔をして答えた。
「サプライズだよ、サプライズ! パーティにはサプライズがつきものなの」
なぜか部長はわざとらしくうっとりとした表情を作って言う。
俺は困惑しながらも他の部員の様子を窺う。瀬尾は俺と同じようにキョロキョロと周囲の様子を窺っているし、彩音も訝しそうな顔で部長を見ている。二人にも知らされていなかったのだろう。
唯一すまし顔なのは日下部先輩だ。
彩音は日下部先輩をじろりと睨む。
「……先輩は知ってたんですか?」
彩音のどこか責めるようなもの言いに日下部先輩は平然とした調子で答える。
「知らないよ」
そんな風に言って彼女は自分の毛先をいじっている。
「でも、驚きはないかな。予想はついてた。ひびきさんとは、それなりに長いしね」
そんなことをさばさばとした調子で呟いた。
日下部先輩の言葉に部長は噛みつく。
「ええ! サプライズなんだから、驚きなよ!」
……そこは重要なのか?
俺は心の中でそっとツッコミを入れる。
「ともかく、今日は歓迎会だ! そのために部会だっていつもよりもだいぶ早く終わらせたんだ! 今日は用事あるから帰るだなんて言わせないぞ!」
部長はおどけた調子でそんなことを叫んだ。
……こないだこの二人が先に帰ったことを気にしていたのか。
日下部先輩はやっぱり澄ました表情で言う。
「別にいいよ。こうなったひびきさんが聞かないのは経験で知ってる。それに――」
そこで不意に先輩は俺の方を見る。
「私だって歓迎したいって気持ちがあるのは確かなんだから」
そんなことを言って、にこりと微笑みかけるのだ。不意打ちの彼女の笑顔に俺は思わずどきりとさせられる。
「いや、夏樹少年だけのためじゃなくて、彩ちゃんと舞ちゃんのためも入ってるから……そこんとこ頼むよ」
部長は呆れ顔で日下部先輩を見る。
「解ってるって」
そう言って、日下部先輩はにやりと笑った。
「で、歓迎会とは具体的に何をされるのですか?」
次に口を開いたのは彩音だった。
「もち、お菓子を食べる!」
「いっつも食べてるんですけど……」
瀬尾は何故かげんなりした表情を見せる。
「ひびきさん、毎回お菓子を持ってくるからついつい食べてしまって……」
彼女は自分の腹部に手を当てている。
「お腹周りが……」
その様子を見た部長はあっけらかんとした調子で笑って言う。
「ええー、舞ちゃん、全然細いじゃーん。ていうか、若いんだから、ダイエットとかしちゃ駄目だぞ」
若いって……。あんたはいったい何歳なんだ……。
瀬尾は明らかに不満げな顔をして、部長を睨む。
「そりゃあ、ひびきさんは良いですよ」
彼女の目線が部長の発達した胸部へと注がれる。
「スタイルいいですから……!」
「いや、どこ見てんの……」
瀬尾の射殺す様な視線に、さしもの部長もたじろいでいる。
「私は凹凸に乏しいですから、少しお腹が出るだけで大惨事になりかねないんですよ……!」
「いや……そんな……ことないって……」
瀬尾の剣幕に部長は押されている。
部長は助けを求めるように周囲を見渡している。
そして、部長の視線が注がれた先は――
「夏樹少年!」
「は、はい?」
「ここは、男の意見を聞いてみよう!」
「はあ?」
「え……?」
この人は何を言いだすんだ……?
俺がぽかんとしていると、部長は瀬尾の後ろに回り、瀬尾の肩を抱く。
そして、
「夏樹少年、舞ちゃんみたいな子は別に無理にダイエットしなくても充分可愛いよな?」
と、とんでもない問いかけを俺に投げかけた。
俺は思わず瀬尾の身体を見てしまう。
つい先日、制服は夏服に変わったばかり。瀬尾の服装は、白のシャツに薄手のサマーセーター。分厚いブレザー越しでは解らなかった彼女の身体のラインが多少なりとも解る様になっていて――
「やめてください! ひびきさん!」
瀬尾は俺の視線を避けるように自分の背後に居た部長の影に隠れる。
部長の背後から首だけを出して、瀬尾は俺を睨む。
「み、見ちゃだめだから!」
「えっと……」
「とにかく、今は見ちゃ駄目! ちゃんとダイエットするから!」
瀬尾は赤面して、そんなことを叫んでいる。
いや……俺にどうしろと……。
俺は周囲に助けを求めようとする。
彩音は、
「はぁ……」
と小さく息を吐きながら、俺から目を逸らした。
日下部先輩は、にこりと笑って、
「じゃあ、私の身体を見る?」
などと言っている。
部長は部長で瀬尾の剣幕に押されて苦笑いを浮かべるだけになっている。
「ともかく、見ちゃ駄目なんだからね!」
瀬尾はもう一度、俺に念押しするのであった。
「というわけで改めて……」
時間の経過が混乱を収めた後、部長は全員を再び席につかせた。
「彩ちゃん、舞ちゃん、夏樹少年、文芸部にようこそ!」
そして、改めて俺たちの歓迎会なるものを始めた。
まだどこか不機嫌な瀬尾は部長に対して、拗ねたように口をとがらせながら呟く。
「で、またお菓子ですか」
「そう。だけど、今日のはすごいぞ……!」
部長はにんまりと得意げな笑みを浮かべている。
「これを見よ!」
部長は部室の奥に置かれていた紙袋から何かを取り出した。
それは――
「これ……クッキー?」
部長が取り出したのは袋に入れられたクッキー。しかも、それは――
「全部手作り……?」
彩音がぽつりと呟く。
部長が取り出したクッキーはどう見ても手作りだった。
「これはプレーン。こっちのはココア。あとこれはチョコチップで、こっちは抹茶。あと、この赤いのはキャンディー味ね」
白いクッキーから黒、緑、そして、赤。まるで宝石箱の様な色取り取りのクッキーが、丁寧にラッピングされていた。
これだけの量のクッキーを作ろうと思ったらいったいどれだけの手間がかかるのだろうか。料理ができない俺には想像もつかない。
「やった、ひびきさんのクッキーっておいしいんだよね」
日下部先輩が嬉しそうな声を出す。
瀬尾は目を丸くしてクッキーを見ている。
部長は笑顔で言う。
「お菓子作るのは趣味だからね」
そう言えば、以前、そんな話をしていた様な気がする。
「ひびきさん、私たちのために……」
瀬尾は部長に潤んだ視線を向ける。
「ほら、いいから。お食べ」
部長は笑って言う。
「今日は君たちの歓迎会なんだからさ」
「……はい! ありがとうございます!」
瀬尾は笑って、クッキーを手に取る。
「ダイエットは明日からがんばります!」
そして、歓迎会は始まった。
部長の作ったクッキーを食べ、ゲームをして、互いの好きな本を言い合って、くだらない冗談で笑った。
これがきっと俺が求めていたものなのだろう。
これこそが「偽りの青春」と呼ぶべきものだ。
俺は観察者として上位からこの現実の経験を咀嚼する。
歓迎会に満ちる空気を、熱を、想いを俺は取りこんでいく。
こうした経験を積み重ねれば、俺にもごく普通の学生の様な感性というものが手に入るかもしれない。
俺は心の中で密かにほくそ笑む。
「楽しんでるか、少年?」
部長は珍しくどこか大人びた笑みで俺を見た。
「……はい」
俺はそれに笑って答えた。
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