第3話 甘いお菓子と苦いため息

「いやあ、ついにうちの部活にも男子が入部してくれるとはねえ。これもあれだね、グローバリゼーションってやつかねえ」

「………………」

「あ、遠慮しないでいいよ。食べて食べて、今日はこの私、ひびきちゃんの奢りだからね」

「………………」

「さあさあさあ、お食べー」


 俺はにこやかに笑う相手の顔を見ながら、思わず零れそうになるため息をぐっと堪えていた。

 どうして、こんなことになったのだろうか。




 それは、俺が文芸同好会に入部することが決まった次の日だった。


「お、もしかして、君が文芸同好会に入ることが決まった新人かな?」


 昼休み、いつものように食堂で昼食を取ろうとしていたときだった。俺は注文したラーメンを受け取ると食堂の外にあるテラス席の一つに陣取る。季節は初夏。このテラス席は昼休みには、日が当たる位置にあるため、生徒からはあまり人気がない。俺はだからこそあえてこの席をよく使っていた。一人でいても極力目立たないようにするためだ。

 そこに声をかけてきたのは、一人の少女だった。制服のネクタイの色から判断するに三年生。


「……まあ、はい。そうですけど……」


 いきなり声をかけられて戸惑うが、かといってむげにすることもできない。俺は無難な返答をする。

 すると、女子生徒は太陽に向かうひまわりのような笑顔を浮かべて言った。


「おお! ビンゴか! やっと見つけたぁ! やったね、私」


 そして、なぜか両手で、ちょきちょきと蟹の鋏のようなピースをする。

 ……なんだ、この人?

 俺の中にある何かが告げている。

 この人、なんだかヤバい人な気がする。

 何か理由をつけて立ち去りたかったが、俺の前にあるラーメンはまだ湯気を立ち込めている。この状況で席を立つのはさすがに不自然である。


「私は文芸部……じゃなかった、今は同好会か。その部長の轟ひびきね。轟って苗字はあんまりプリティーさがないから、ひびきって下の名前の方で呼んでね」

「はあ」


 気の無い返事をしながら気がつく。

 ああ、この人、以前、新入生歓迎の部活勧誘会でステージの上で話していた、変な人か……。

 俺は思わず、席を少し後ろに引いてしまう。

 轟ひびきと名乗った女性は俺の様子を気に留めるでもなく、にこにこ笑って話を続ける。


「いやあ、見つけるの苦労したよ。何せ私、よく考えたら君の顔知らないんだもんなあ。あ、よっこいせと」


 おばさんくさい声を出しながら、この先輩は俺の向かいの席に我が物顔で座る。

 俺は問う。


「……じゃあ、なんで俺が新しい部員だって」

「舞香ちゃんに聞いたら、君は食堂だって言うから。食堂に居る男子全員に『君、新入部員?』って声かけた」

「………………」


 俺は思わず絶句する。

 普通しないだろ、そんなこと……。どんなコミュニケーション能力だよ……。


「ほら、うちの学校にいる男子って、まだ五十人くらいでしょ? 今年から共学になったから一年生にしか男子いないし。その中で食堂に居る人間は限られてるし」


 もちろん、数字としてはやってやれないことではないのだろうけど、そういう問題ではないと思う。


「あ、食べて食べて。別に私先輩だからって偉そうにする気ないから。ラーメン伸びちゃうでしょ?」


 別に先輩だから遠慮していたわけではなく、ただ呆気に取られていただけだったのだが……。とはいえ、食事している方が会話の間に対する心配は軽減されるような気がする。俺はラーメンに手をつけ始める。


「私も食べるね。あ、お菓子あるよ。食べな食べな」


 食堂の隣の購買で買ったのだろうか。手に持っていたビニール袋から様々なお菓子をテーブルの上に広げる。チョコレート、ポテトチップス、せんべい、クッキー。本当に手当たり次第といった感じだった。

 別にお菓子が嫌いなわけではないが、さすがにラーメンと一緒にチョコレートを口にする気にはなれない。俺はずるずると麺をすする。

 このときの俺の気持ちとしては、彼女の勢いに圧倒されているのが半分、見知らぬ人間にどう接していいのか解らないというのが半分だった。結果として、俺はただ黙々とラーメンを咀嚼するだけのロボットになり下がる。

 しかし、部長だというこの女性は、そんな俺の態度を気にする様子もなく、一方的に話を続ける。


「いやあ、ついにうちの部活にも男子が入部してくれるとはねえ。これもあれだね、グローバリゼーションってやつかねえ」


 それは何か違うと思う、と言いかけた言葉を俺は飲み込んだ。


「あ、遠慮しないでいいよ。お菓子も食べて食べて、今日はこの私、ひびきちゃんの奢りだからね」


 そう言って、目の前に広げられたお菓子の山を俺に差し出してくる。


「さあさあさあ、お食べー」


 俺はにこやかに笑う相手の顔を見ながら、思わず零れそうになるため息をぐっと堪えていた。


「うちの部に新人が増えるって大事件じゃん。地球も自転を始めるレベルで」


 元々、地球は自転しているのだが……。


「だから、逃がさないように確実に捕まえておこうと思って、こうしてやってきたんだよ」


 それは本人に向かって言ってはいけないことでは……?

 部長の言葉にはツッコミどころしかなかったのだが、俺はやはり何も言えなかった。

 そのときだった。

 それはあまりに不意に訪れた。


「どうして、うちの部に入ろうと思ってくれたの?」


 トーンが変わった彼女の言葉に思わず、俺は彼女の顔をまっすぐに見てしまう。

 そこに浮かんでいた表情は笑顔に他ならなかったのだけれど、先程までの放埓な笑みとは違う、どこか優しい笑みだった。

 俺は思わず、居住まいを正す。

 そして、言う。


「瀬尾が誘ってくれたからですよ……」


 それは紛れもない事実以外の何物でもなかったし、これ以外の返答など俺は持ち合わせていなかった。まさか、「小説を書くための取材です」などとは言えない。

 俺の言葉をどう受け止めたのだろうか。部長はふわりと笑って答えた。


「そっか。なんか嬉しい」


 部長は本当に嬉しそうな顔を浮かべている。

 そのまま、部長は言葉を紡ぐ。


「私もさ。一年生のときに、同級生の子に誘われて入部したんだよね。だから、私も君と同類」

「そうなんですか」

「ああ。だから、私は今まで一度も小説書いたことないんだよね」

「え?」


 俺は思わず頓狂な声を漏らす。そう言われれば、部活紹介のときもそんなことを言っていたような……。あれはただの冗談か何かだと思っていたのだが。

 部長はまた楽しげな笑みを浮かべ、自分が持ってきたお菓子を口に運びながら言う。


「私、そんな文章書くとかそんなキャラじゃないからさ」

「………………」


 確かにそんな感じですね、とは言えなかった。


「本とかはそこそこは読むけどさ。書くのとは違うよね」

「まあ、そうでしょうね」

「一緒に入った友達もやめちゃってさ。いつの間にか私も三年生。年功序列ってことで部長になりました、っていうお話でした。ちゃんちゃん」


 適当な茶々を入れて、部長は言う。


「君はちゃんと小説書く人?」

「ちゃんとっていう定義にもよりますけど……。まあ、書くには書きます」

「そうか。それはいい。私は書けないからさ。一人でも戦力が増えるのはいい事だ」


 それだけ言うと、彼女はさっと席から立ち上がる。


「じゃあね、私は戻るよ。あ、残ったお菓子はあげる。サービスだよ、サービス」


 彼女はウインクをして、手をひらひらとさせながら去っていく。


「じゃあまた、夏樹少年」


 俺は何も言えないままぽかんと口を開けている他なかった。まるで嵐の様な人だなと思った。

 俺はテーブルの上に残された大量のお菓子に目をやる。


「どうすんだよ、これ……」


 未開封ならまだしも、全部あの先輩が開けてしまっている。


「はあ」


 俺は飲み込んでいたため息を、まとめて全部吐き出した。

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