第132話
「大丈夫ですか?」
「この程度、何の問題もない」
まだ殴られた箇所がズキズキとしていたが、明智は努めて平気そうな声を出す。
だが、その程度では彼女の心配は収まらなかったらしい。
「……タオル、冷やしてきます」
そう言い、タオルを持って洗面所に向かうみどり。
明智は頬をさすりつつ、みどりに余計な心配を掛けていることを心苦しく思う。
その時、電話に着信が入った。
「あぁ、渥美さん」
電話をしてきたのは、
『今、よろしいでしょうか?』
「あぁ、大丈夫」
『その……今度の週末のお食事なのですが……』
その言葉を聞き、明智は慌てる。
そういえば、彼女の引っ越しを手伝った後、約束していたのだった。
『場所や時間をそろそろ決めておいた方がいいのでは、と思いまして』
「えぇと――」
明智は少し考え、
「……ごめん」
と、言い訳も思いつかずに謝罪を口にする。
『明智さん?』
「実は、外せない用事が出てしまって……週末は行けないんだ。すまない、早く連絡をいれないといけなかったのに……」
『そうなんですか……』
電話の向こうで、残念そうな声がした。
明智は「やってしまった……」と頭を抱えそうになる。
『お仕事ですか?』
ヒトミの問い。
明智はちらりとみどりを見て、
「あぁ、そうなんだ」
と言う。
別に嘘ではない。玉置みどりの警護も立派な任務だ、と自分に言い聞かせる。
『そうですか――』
さらにトーンの下がった声がする。
「あの、渥美さ――」
『――それなら、仕方ないですね』
慰めの言葉を言う前に、ヒトミの方から切り上げる。
「あの、本当に申し訳ない。この埋め合わせは必ず――」
『――気になさらないでください』
再度、明智の言葉にかぶせるようにヒトミが言う。
『夜分遅くに失礼いたしました。お仕事頑張ってください』
「あ、あぁ、ありがとう」
明智が反射的に礼を言うと、ヒトミは『おやすみなさい』と電話を切った。
明智が通話の切れたスマートフォンを見ながら溜息を吐くと、
「恋人ですか?」
と、みどりが尋ねる。その手には濡れたタオルがあった。
「いや、そういうのじゃないよ」
受け取りつつ、明智は否定する。
「なら、お友達?」
「まぁ、そんなところかな」
そう答えたものの、明智は自分の言葉に違和感を持ってしまった。約束を忘れてしまっていた自分に対し、嫌悪感を抱く。
――本当、何やってんだろうな、俺――
「はぁ……」
渥美ヒトミは電話を切ると、ベッドの上にスマートフォンを放った。自身も顔を埋めるように枕を抱き締める。
そして、昼間のことを思い出した。
恋人、
明智真が、知らない女性と一緒に墓参りに来た。
水場が入り口から離れたところにあるためすれ違うことはなかった。二人はまっすぐ明智の婚約者の墓に向かい、手を合わせていた。
時折、親しげに話をしながら。
ヒトミは声を掛けることも出来ず、結局二人が墓地から出て行くのを待った。
「はぁ……」
本日何度目になるのか分からない溜息を吐く。
昼間のことがあったため、思わず電話を掛けてしまった。週末の約束など、方便に過ぎなかったが、まさかのお断り。
明智は仕事だと言っていたが――あの女性の存在が、それを嘘だと告げているようだ。
脳裏に、彼女と話している時の明智の表情を浮かべる。
彼女にはその時の明智の感情が、推測できた。自分も、彼と似たような思いを抱いたことがある。
――あれは、大切なものに向ける笑みだ。それも、もう手の届かないものを見るような――
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