エピローグ-3
夜の東京湾に、様々な船が浮かんでいる。
大抵の輸送船やコンテナ船は、さすがに寄港し、碇を降ろしている。今、暗い海に浮かんでライトを灯しているのは、観光船やパーティー船の類だ。
その中に、一隻、加わろうとしている。最後の乗客が姿を現したのだ。
側近の若衆が運転するベンツが停まり、後部のドアを開ける。利彰は、杖を突きながら外に出た。
それを囲むように、船から複数の男達が現れる。いずれも中国人だ。
「お待ちしておりました、Mr霧生」
その中の一人が、流暢な日本語で迎える。
「お出迎え、感謝する」
利彰はにこやかに李に返した。微笑んでいる姿からは、何万という日本のヤクザをまとめ上げる犯罪組織の長とは想像できない。
「申し訳ありませんが、乗船前に、ボディチェックをお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
李が言うと、二人程が利彰に一歩近付く。
「もちろん。ただ――」
「――ただ?」
李が怪訝な表情を浮かべる。
「最近は、物騒なもので、今懐に武器を持っているのですよ。拳銃とナイフが出てくると思うので、それを後にいる若い者に預けてくれませんか?」
そう言うと、利彰の手下が、空のアタッシュケースを開けて利彰の後に立つ。
「分かりました」
李は承諾し、中国語で指示を出す。利彰の言った通り、拳銃ーーワルサーP38と、ナイフが二本出てきたため、それをアタッシュケースに入れる。念を入れてさらに武器の類が出てこないか調べたが、利彰の申告以上のものは出てこなかった。
「結構です。御乗船ください」
「手間を掛けさせたな」
利彰は頷き、
「お前達はここに残れ」
と、部下達に指示を出した。部下達は自分達のボスの命令にあっさりと従う。
「では、参りましょう」
利彰と李が乗船し、出港した。
彼らが乗っている船は、周りの船に比べても一際目立つ、中国風の装飾が施されたクルーザーだ。後部のデッキには、黒服の男達が、見張りとして立っている。
船内では七人の中国人達が顔を揃えていた。黄鱗会、日本担当の幹部である
クルーザーの中央に長く伸びるテーブルが置かれ、そこには各種中国の高級料理が並んでいる。
その机の左側に劉等黄鱗会の七人が座り、その向かい側に、霧生利彰が料理を挟んで座っていた。通訳を務める李は、幹部七人の右側に立っていた。
幹部の一人が、並ぶ料理を取って、ガツガツと食っていた。
「やっぱり、我が中国の料理は世界一ぃ! さぁ、あんたも喰いな! もっとも日本のクソ料理ばっかり食っているあんたにこの味が分かればいいがな」
と、下品に笑いながら、中国語でまくし立てる。
「どうぞ、お食べください。お口に合うかどうか判りませんが」
李が日本語に訳して利彰に伝える。李は先程から通訳に困っていた。幹部達は露骨な物言いをし、仮にもゲスト――それも、同盟組織の長に対し、そのまま伝えるわけにはいかない内容ばかりだったからだ。
「ビジネスの話が終わってから、ゆっくりといただきましょう」
利彰が、にこやかに返事する。
それを通訳し直し、幹部へ伝えると、
「ふん、生きて帰れるとでも思っているのか」
と、また下品に笑った。さすがにこれを伝えるわけにはいかず、李は冷や汗をかく。
「ビジネスの話なら、単刀直入に言わせてもらう」
ここで、劉が口を開いた。
「どうぞ」
利彰が促す。当然、これらの会話も李が一々中国語と日本語に訳して互いに伝えているため、話は長くなるし、李の手間も多い。
「我々は、霧生組との同盟を切ろうと思う」
李は、どう訳そうか、困った。だが、どう言い繕ったところで、最終的には、この話に行き着くだろうと判断し、そのまま伝える。
「理由をお伺いしても?」
利彰の疑問が、李を通して劉に伝えられる。
「自分の胸に聞いたらどうだ?」
劉から、侮蔑の視線が利彰にぶつけられる。
利彰自身は、それでも涼しい顔をしていた。
「今回の損害は大き過ぎる。麻薬部門もそうだが、構成員の多くを失った。ロシアや東南アジアの組織のいくつかが、我々との同盟を解消する動きを見せている」
「それで? まさか、私にその責の全てがあると?」
李が、迷った末に利彰の疑問を訳した。
「何を舐めたこと言ってやがる!」
「島国の猿が!」
「ぶっ殺せ!」
幹部達が怒り狂った。利彰は、紹興酒を口に運び、その罵声を聞き流す。
「申し訳ないが、こちらも辛い状態にあるのです。何より、テロリストを支援したことで、謎の武装勢力に目を付けられたのが痛いです。我々は我々だけでビジネスを行います。どうか、同盟の解消を」
李は、言葉を慎重に選び、日本語に通訳した。
「どうか……」
「もういいよ、Mr李」
利彰は李を制し、紹興酒のグラスを掲げ劉に言った。
「いいお酒ですね。乾杯しましょうか、劉先生」
それは
一同は愕然とする。この男が、中国語を理解していたという事だ。つまりーー
「それとも、
――幹部達の罵詈雑言も、全て利彰に伝わっていたことを意味していた。
船内が異常な緊迫感で固まった。
何か一つ、きっかけがあるだけで、惨劇が始まるーー誰もがそう理解していた。
最初に口火を切ったのは、利彰だった。
「ぶっ殺せ、だと?」
そう言って、幹部の一人を睨みつける。
その瞬間、他の幹部達が動いた。緊張に耐えられなくなった幹部の一人がトカレフ拳銃を抜き、それに釣られる形で次々と銃を構える。
刹那、利彰が動いた。机に立てかけていた杖を手に取る。
白刃が煌めき、船内の天井に吊り下げられていたシャンデリアを切り落とした。船内を闇が支配する。
幹部達が発砲した。暗闇の中で、発砲炎が瞬く。
だが、利彰には当たらなかった。暗い中、ろくな狙いも点けずに撃てば当然だった。
一方で、この状況は利彰には有利に働いた。発砲の際に銃口から生じる炎が、敵の位置を知らせてくれる。
接近と同時に、杖の仕込み刀を振るった。頸動脈を斬り裂き、鮮血が噴き出る。
頭を抱えて床に伏せていた李は、頭に流れてきた生ぬるい液体で我に返った。それが倒れた幹部の血だと分かった時、李は悲鳴を上げた。
利彰が仕込み刀を一閃する度に、一人、また一人と斬られ、床に倒れ伏す。
ここで、銃声に気付いた、後部デッキの男達の内、二人が中に入ってきた。彼らは銃ではなく、暗器で武装していた。
――やはり、
しかし、利彰は焦ることも無かった。彼らが振るう匕首の刃をあっさりと避けると、その首を撥ね飛ばして返り討ちにしてしまう。
幹部六人、妛尤の殺し屋二人を殺し、後は劉一人だけだ。
劉がトカレフを連射するが、一発も当たらない。
利彰が無造作に刀を振るうと、トカレフを握った腕が床を転がった。
劉が絶叫する。
ここで、ようやく目が暗闇に慣れ始めた。そこには、もはや惨劇しか広がっていない。
「――
劉が死を覚悟し、別れの言葉を言う。
「お前とは二度と会うつもりはない」
仕込み刃の切っ先が、劉の喉を貫いた。
船の中で、利彰の他に生き残った人間は、通訳をしていた李だけとなった。
反射的に逃げようとした李の首筋に、利彰は刃を突きつける。
「黄鱗会、日本支部は、お前が長となってまとめろ」
思わぬ発言に、李は目を白黒させる。
「そして、本国の連中に伝えろ――『会合の最中に、幹部が日本人に皆殺しにされました! 屈辱です! 同盟の霧生組は協力するとのことなので、報復のための兵隊をください』とな」
李は激しく何度も頷いた。そうしなければ、自分も殺されると察したのだ。
「よし、いい子だ。俺の言うことさえ聞けば、これまでとは考えられない程の金と権力を持てるぞ。よかったな」
仕込み刃を杖に納め、利彰は労うように李の肩を叩いた。
「さぁ、お楽しみはこれからだ」
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