第91話
弾を込め直したローマンを左手に構え直し、明智は左目だけで敵を確認する。
敵は二階にいた。その顔は、ブリーフィングで確認している。
乾のライフルが、文字通り火を噴いた。銃身が短いライフル特有の、激しい発射炎が、銃口の大型のマズルブレーキから噴き出しては周りの空気を焦がす。5.62mmNATO弾が次々と着弾して、コンクリート片を撒き散らした。
射撃が止んだ瞬間に明智は左手と左目だけを柱の陰から出して、二発発砲する。その時には乾が逆に身を隠し、銃弾が無駄に浪費される。
おそらく、ライフルの弾倉交換を行っていた乾が再度姿を現し、銃撃を加えてきた。
隠れていても埒が開かない、と明智は考え、遮蔽物から敢えて飛び出す。
相手は好機とばかりにさらに連射し、床に弾痕を残しながら明智を追い立ててくる。
明智は転がりながら回避しつつ、ローマンを両手に構え直した。片膝立ちの姿勢になり、銃弾を放つ発射炎の先を狙う。
発砲。
放たれたマグナム弾が、乾の持つK1A1ライフルを弾き飛ばした。機関部に弾丸が命中し、細かい部品をばらまく。
さらに引き金を絞ると、乾の顔から赤い飛沫が舞った。乾が二階スロープの手摺りの向こうへ倒れ込む。
――やったか?
明智がローマンの残弾を確認し、弾薬を交換しようか考えた時だった。
二階から、飛び出した影が、真っ直ぐ明智に向かって飛び降りてくる。
咄嗟にローマンを撃ったが当たらず、それは振りかぶった手を振り下ろした。そこに鈍い金属の輝きを見留め、明智はバックステップする。
手に装着された
再度向けたローマンを、逆の手の爪が明智の手から弾き飛ばした。
明智は右手を脇差しの柄に伸ばし、相手に向け、一閃する。
相手が斬撃を僅かに後退しただけで避けると、脇差しを蹴り飛ばした。
「……さっきのは痛かったぞ」
まるで獣の呻きのように男が唸った。乾は、銃弾が掠って出来た右頬の傷を、右手首で撫でる。出来たばかりの傷からは、まだ鮮血が垂れ続けていた。
「痛かったぞぉぉぉぉぉ!」
乾が吼えた。両手に装着した鉄爪を構え、狼のように明智に飛びかかった。
振るわれる爪を、明智は避けた。今、手元に武器がない。回避に専念する他なかった。
それでも、乾の技は恐ろしく速い。避け切れなかった斬撃が、時に明智の髪の毛の先端を斬り飛ばし、皮膚に掠っただけで鋭い痛みを生む。
明智は長期戦になったら不利だと判断した。突き出された右腕を、身を逸らすと同時に左手で叩いて弾く。右拳を、乾の顔面目掛け突き出す――
「がっ!」
悲鳴が漏れた。
乾は、明智の拳を容易く避け、カウンターで左の爪を明智の腹に刺していた。
防弾用のセラミックプレートで、守られている部位ではあった。
だが、それすら鋼鉄の爪は貫通し、その先端が明智の腹の肉を抉った。
幸いだったのは、防弾ベストのおかげで爪が深く刺さらず、内臓まで刃が達しなかったことだ。また、セラミックプレートに刺さったことで、平行に並んだ爪をそこから動かせず、傷口を抉ってさらに重傷に出来なかったことも大きい。
しかし、この痛みで明智の動きが鈍ったのも事実だ。
乾が爪を抜くために、明智の腹を蹴り飛ばした。その衝撃で、散々傷だらけにされていたセラミックプレートが、粉々に砕ける。
よろけた明智に向け、乾が回し蹴りを放った。これを受ければ、確実に殺される。
明智は、自身のこめかみに迫る爪先を、必死に避け――
結果、避け切れなかった。脳が揺さぶられ、身体が吹っ飛ぶ。宙を舞った明智の身体は、床に叩き付けられた。
意識が、闇の中へ落ちていく。
戦わなければならない――なのに、瞼が重い。
深く沈んでいく意識の中で、
急に、子供の頃のことが、頭の中を駆け巡る。
祖父と明は、釣った魚をその場で簡単に料理をして食べた。
明は、釣りも山登りも何とか付いていけたが、料理だけは最初の頃全然出来なかった。特段不器用だったというわけではない。生き物に刃を入れる感覚が、子供心に好きになれなかったのだ。
イワナの鱗を落として、わた――いわゆる内蔵を取り出す。そのためには、まずイワナのエラの下からナイフを当て、肛門まで切り裂かなければならない。そうやって腹を開いてから、潰すように握ると、切り口から内臓が飛び出す。丸っこくって赤黒い内蔵を初めて見たとき、明は胃の中身を吐いた。
イワナの頭を切り落としてから三枚におろしたり、丸ごと塩焼きにしたりと、色々な料理法を祖父は明に叩き込んだ。料理が出来ない明は、作業途中で泣き出し、魚を川に捨てたりして、「もう出来ない」と悲鳴を上げた。
しかし、祖父はそんな孫の弱音を聞き入れようとはしなかった。むしろ、剣道を教えている時よりも厳しかった。
「生き物を殺して食う。その感覚を身に刻め」
祖父が口癖のように言った言葉だ。
無理矢理やらされている内に、明も次第に魚を殺して食べることに慣れてしまっていた。
時間は掛かった。だが、空腹には勝てない。そうすれば抵抗感も薄れてしまう。
渓流釣りが終わっても、祖父の授業は終わらなかった。帰り道、蛇や兎を捕まえては、料理して食べた。不味くはなかったが、美味いとも感じなかったと記憶している。
食べるために、殺された魚や獣のことを考えると、口の中に生臭い血の味が広がる錯覚に陥る。それは大人になっても薄れなかった。不思議なことに、そのことを不愉快とも愉快とも思わなかった。
「人は、他の生き物を殺してでも生きていくんだぞ。解るか、明」
――それから、随分と長い年月が過ぎた。
「――はっ!」
どうやら、一、二秒程意識が飛んでしまったらしい。危うく、先程の思い出が走馬燈と化すところだった。
「しぶとい奴だ」
乾が笑った。仕留められなかった落胆よりも、活きのいい獲物の抵抗に喜んでいる。
――糞野郎が!
こいつは、相手を殺すことに快感を見出している外道だ。全力で倒す。
しかし、どうやって?
肝心の武器がない。おそらく、相手が素手でもその力量に差が出てくるのに、こちらは丸腰で――
――腰?
いや、あった。最後の武器が。仲間がくれた武器が。
明智は左半身を突き出しながら、右手を密かに右腰に伸ばした。
仕掛ける。
明智は左拳を突き出した。乾はあっさり回避する。
今度はアッパー気味に乾の顔面目掛け、右拳を突き上げた。
明智の突き出した右拳を、乾は僅かに頭を傾けて避ける。
次の瞬間、カウンターで繰り出される右手の鉄爪が、明智を斬り刻む――はずだった。
明智は、己の拳を握り込む。
右手の中に収まっていた
避け切ったはずの攻撃からの不意打ちに、乾が動揺した。突き出された右の爪の速度が、僅かに鈍る。
明智の左手が伸びて、肉に刺さる寸前のところで乾の右手首を掴む。警棒を持った右手も乾の右腕に絡めると、肘に警棒を当てて間接を極めた。乾の肘が破壊され、あらぬ方向に曲がる。
絶叫。
それをかき消す勢いの気合いを明智は吐いた。
「うおぉぉぉ!」
裂帛の気合いとともに、右手が縦横無尽に振るわれる。
小手打ちで左手首を砕き、胴打ちが肋骨を折り、面打ちで眉間を割る。額から噴き出した血が、明智の顔を赤く染めた。
「馬鹿……な……」
乾の身体が崩れる。
もはやその姿は獲物を食らおうとする狼ではない。傷ついて丸まっている野良犬だ。
明智は、警棒を振りかぶる。
止めの一撃が、首の骨を叩き折った。乾は、断末魔すら上げることはなく、絶命した。
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