第90話

 綾目あやめ留奈るなは両手のトンファーを保持しながら、油断なくギン・ロウを睨む。

 ギン・ロウもまた、両手首に鉄環手をはめた状態で、ルナを見据える。

 ルナの顔を一筋の汗が流れた。やがて顎にまでつたると、床に落ちる。

 永遠に続くかと思われた睨み合いも、突然終わりを告げた。

 先に仕掛けたのはルナだ。右手のトンファーを半回転させ、長棍で殴りかかった。

 ロウが静かに左腕を挙げ、その打撃を受け止めた。左手首のリングに当たり、金属同士がぶつかる音を鳴らす。

 ルナは間を開けず、左手のトンファーでロウの頭を突いた。半回転と同時に先端がロウの眼前に迫る。

 今度は、ロウが右手で止めた。ただ止めただけではない。右手のリングでトンファーを反らすと、ルナの左腕を掴む。

 このままではまずいと判断したルナは相手の足目掛け蹴りを放つが、あっさりと脛で受け流された。

 そこから、ロウの反撃が始まる。鉄環手で受け止めたトンファーを弾くと、左の掌底打がルナの腹部に放たれた。

 咄嗟に背後に跳ぼうとしたものの、左腕が掴まれた状態では退けない。防弾ベスト越しに、強烈な衝撃が襲いかかった。

 危うくルナは胃の中身を逆流しそうになる。

 ――ならば!

 ルナは跳躍した。ロウの一撃を耐え、両足で床を強く蹴る。

 ――そのまま右手のトンファーをロウの身体に引っかけ、落下の勢いで投げ飛ばす!

 しかし、相手はルナの考えを読んでいた。

 ロウが掴んだままの左腕を手放す。身動きの制限というアドバンテージを敢えて捨てながら、前進して右肩からルナにぶち当たった。

 空中にいたルナは避ける間もなく、吹っ飛ばされる。床を転がり、壁際の木の机にぶつかってようやく止まった。

 そこへ、ロウが追い打ちを掛ける。右手を振りかぶった。

 ルナは悲鳴を上げる身体に鞭打って横に跳ぶ。

 振り下ろされた手刀が、机に当たった。木製の机が、一撃で粉砕され、木片が宙を舞う。

 ルナは破片から顔を守り、両手を掲げた。

 ロウが、さらに蹴りを放った。頭を防御して無防備になったルナの腹に、ロウの右足が刺さる。

 ルナの身体が文字通り宙を飛び、やがて別の机に落下した。その衝撃で、机がバラバラになる。その風圧で舞い上がった誇りに、窓から射す月の光が反射した。

「う、あ……」

 ルナが呻き声を上げるところに、ロウが近付いた。

「少しは楽しませてくれると思ったが……呆気なかったな」

 随分と失望した顔をしつつ、

「まぁ、これ以上遊んでいるわけにもいかん」

 と、ルナに止めを刺そうとする。

「……ハハハハハ」

 突如、ルナは笑った。

「狂ったか?」

 ロウが訝しんでいる。おそらく、死の直前の恐怖による情緒の不安定が原因と判断したのだ。

 だが、ルナはそんなつもりはなかった――こんなところで易々と殺されてやる程、自分は甘い女ではない――そう自負している。

「いいの? そこまで近付いて?」

「ん?」

「ここ……窓際よ・・・?」

 ロウが「はん」と鼻で笑い飛ばす。

「だから? 狙撃でも来るのか? 残念だが、周囲三キロ以内にここを狙撃出来る高台もなければ、入院棟も逆――」

 突如、その言葉が途切れる。

 ルナは両腕で己の頭を覆った。

 ロウが背後に下がろうとした。その目は、驚愕に見開かれている。

 銃声と共に、窓が割れた。



 通信を受けた杏橋きょうはしくすのは、外来棟の屋上から垂らしたロープに掴まりながら、壁を走って移動していた。

 三階の周囲を巡っていると、ルナが敵の幹部と戦っているのが見えた。

 楠は左手でロープを掴み、右手でベネリM3ショットガンを構える。

 幸いにも、相手はルナとの戦いに夢中で、こちらには気付いていなかった。

 ルナが劣勢となり、散々殴られたり蹴られたりして楠が待ちかまえる窓まで吹っ飛ばされてくる。

 今すぐにでも救出に行きたかったが、ただ突撃しただけでは無意味であることを理解していた。故に、相手から見えないようにロープを上って待った――ルナが攻撃に耐えながらこちらに誘導してきたように――

『いいの? そこまで近付いて?』

 突然入るルナからの通信。

『ここ……窓際よ・・・?』

 合図。

 楠は一気に三階の窓まで降下した。窓に貼り付き、ベネリM3ショットガンの銃口を窓に向ける。

 発砲。

 窓ガラスが粉々になり、ガラス片と共に散弾が襲い掛かった。



「がぁぁぁぁぁぁ!」

 ロウが、絶叫した。飛んできた窓ガラスの破片と散弾の一部を浴びる。咄嗟に背後に跳び、両腕で顔を守ったものの、腕や足にガラス片が刺さり、窓を破った散弾の何発かが命中した。鉄環手にも鉛玉が当たって砕ける。

 ロウは床に倒れ込んだ。

 その隙にルナが立ち上がり、楠が割れた窓から室内に侵入した。

「助かったわ」

「それは何より」

 二人の女が互いに言い合いながら、拳銃を抜いた。

「ひ、卑怯者、めぇ……」

 ロウが息も絶え絶えに叫ぶ。

「卑怯、ねぇ」

 楠がベレッタ90-twoのスライドを引いた。

「最初に数で押してきた人間の言葉とは思えないけど。まぁ、今は二対一だし?」

 ルナはH&K P2000の安全装置を解除する。

「でも、卑怯って言葉は――」

 二人が、銃口をロウに向けた。照準は、ロウの眉間。

「私達にとって褒め言葉、よ」

 二丁の拳銃が、同時に火を噴いた。

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