第68話

「失敗? どういうことですか?」

 ホテルの一室で、声を上げる女性がいた。黒めの褐色肌に、短めに伸ばした黒髪が特徴の女だ。

 防衛省特殊介入部隊諜報部所属、忍坂おしざかあゆみ。彼女は今、上司に電話をしている最中だった。

『言った通りよ』

 電話の相手は冷静だった。

『情報通りの拠点に、確かに霧生きりゅう組、黄鱗おうりん会の雑魚・・はいた。そして、主力に囲まれた。幸い被害は最小限に食い止めたけど――』

 相手は、上司の邑楽おうらみやびだ。

『これは、おそらく意図的に流された情報だった――これが、貴女にとって、何を意味するか……分からないわけないわね?』

「……はい」

 忍坂は何とかはやる心を必死に押さえ、努めて静かに応える。

『このままの潜入は危険と判断。直ちに証拠を消し、帰投せよ』

「承知しました」

 通話が終わった。

 忍坂は電話を仕舞うと、

「聞いての通りよ。これ以上の黄鱗会への介入は危険。あんた達も身を隠した方がいいわ」

 と、同室で成り行きを見守っていた、子飼いの情報屋二人に声を掛けた。二人は中国人で、チンモウと名乗っている。忍坂が黄鱗会の日本での行動を探る際に、協力してくれた。

「私はまだ処理が残っている。二人は先に部屋を出て。また必要なときは、頼りにさせてもらうわ」

「へい」

「分かりました」

 二人とも、忍坂の言葉を聞き届けてくれた。椅子から立ち上がり、部屋から出ようと、ドアに近付く。

 沈がドアノブに手を掛けたときだった。

「がっ!」

 沈の口から、突如断末魔が漏れる。

 木製の扉を突き破り、沈の胸に深々と刀の切っ先が突き立った。

「沈!」

 孟が懐の拳銃に手を伸ばす。

 次の瞬間、扉を貫通して大量の弾丸が部屋に吐き出された。孟は拳銃を出す前に蜂の巣になって倒れる。

 ――すでにバレていた!

 忍坂は咄嗟に近くのテーブルを倒し、即席の遮蔽物を作った。テーブルに乗っていた水が落ち、部屋のカーペットにシミを広げる。

 忍坂はバッグから拳銃サイズの短機関銃、マイクロUZI《ウージー》を取り出し、コッキングハンドルを引く。

 ――返り討ちに出来るか?

 答えはNoだ。敵の戦力に対し、こちらは非力すぎる。

 ――増援を呼ぶか?

 これもNoだ。間に合わない。

 忍坂は、マイクロUZIを撃ち返しながら、携帯端末を操作。遠隔操作でノートPCを初期化し、端末そのものも初期化してしまう。

 そして、胸のポケットから、小さな袋を出した。開けると、中から三粒のカプセルが出て来る。それを、忍坂は一息で飲み干す。これで、いざという時の保険が出来た。

 忍坂は短機関銃を扉に向けて、敵の突入に備える。だが、待てども踏み込んでくる気配がない。

 訝しんでいると、窓ガラスが割れる音がした。振り向くと、窓から一人の男が進入してきた。おそらく、屋上か上の部屋からロープでラペリング降下してきたのだ。

 アジア系の男だった。角張った輪郭に、針金のように堅そうな短く揃えた髪。両腕が、不自然なまでに長い。

 男に向け、忍坂が短機関銃を向けたときにはすでに遅かった。男は手に持っていた軍用ナイフを、忍坂へ投擲した。

 ナイフが、UZIの側面を削った後、銃を保持する右肩を浅く斬り裂いた。

 忍坂は銃を床に落としてしまう。

 次の瞬間、男の長い右足が、滑らかな蹴りの軌道を描いた。スピード重視のテコンドーのハイキック。咄嗟に腕を上げた忍坂を、防御関係なく壁まで蹴り飛ばす。

 背中からぶつかり、忍坂の肺から空気が無理矢理吐き出された。

 さらに近付いてきた男へ、忍坂は左フックを繰り出す。

 その腕を男は掴んで、一瞬で手首の間接を極めた。

 ――この技、テックンムスール!

 テックンムスールとは、テコンドーや韓国合気道などをベースに作られた軍隊格闘技だ。その有効性は、世界中の特殊部隊で注目されている。

 そのまま腕を折られるかと思ったが、男はそのまま忍坂を床に引きずり倒し、もう一方の腕も極め、拘束した。

「いいぞ!」

 男が叫ぶ。

 この段階で扉が破られ、廊下の敵が入ってきた。

「ご苦労、ハンヨン」

 入っていた敵の中に、見知った顔がいた。

 黄鱗会幹部、ウェン・フォンファの腹心、ジー・イーシャンだ。

「女スパイめ、手間取らせおって」

 ジーが吐き捨てる。

「……あの話……『各拠点の兵員、武器を増強を通達しろ』と言ったのは、私を炙り出すための嘘だったのね?」

「その通りだ」

 ジーが肯定する。

「よくも今までこちらの情報を流してくれたな? 今度は、お前が自分の組織の情報を吐く番だ」

「……そう簡単に行くかしら?」

 忍坂が嘲笑する。

「黙れ!」

 ジーが忍坂の顔を殴る。

「連れて行くぞ! この女ネズミめ、懇願するまで痛めつけ――」

 そのときだった。

 部屋の外から銃声がする。

 男達が一斉に武器を構えた。

「何事だ!」



 勇海ゆうみあらたのS&W M686から放たれた.357マグナム弾が、トカレフを構える男の眉間を貫いた。

 弾丸が頭蓋を容易く貫通し、後頭部から爆発的な鮮血がぶちまけられる。

 これで、ホテルの入り口にいた敵は片付いた。

 黒いバイクから降りた勇海は、獰猛な笑みを浮かべながら、歩を進める。

「白馬の王子様じゃあないが――黒馬に乗った暗殺者がお迎えにあがったぜ? 覚悟はいいか?」

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