第1章 餓狼の船

第32話

 ――二〇三六年二月――


 日本海を一隻の船が進んでいた。

 海上保安庁第九管区保有の巡視船「えちご」である。

『こちら「こしかぜ」、オケアノス号を補足!』

 海上保安庁の巡視艇「こしかぜ」から通信が入った。

『こちら「ゆきつばき」、同じくオケアノス号を視認しました』

 もう一隻の巡視艇からも通信が入る。

「よし、二隻共にオケアノス号へ停船信号を送るように伝えろ」

 それを受けた巡視船「えちご」の船長、長尾ながお保安監は通信士に命じた。

「向こうが大人しく停まってくれると思いますか?」

 長尾に同乗者から声が掛かる。

「相手は表向き貨物船ですが、実体は――」

「麻薬の密輸船」

 長尾が男に向き合った。男は、三十代後半から四十代前半、僅かに白髪の混ざった髪は短く揃えられ、いかにも軍人然として直立している。

勝連かつらさん、だったかな? あの密輸船の情報には感謝しているが、ここからは我々海上保安庁の管轄だ。口出しは控えてもらおう」

 そう言い、長尾は男――勝連かつらたけしを睨む。一方、相手は彫りの深い顔から鋭い眼光をもってこちらを見据えている。

 結局、先に目線を反らしたのは長尾だった。

(何なのだ、この男は)

 長尾はこの勝連という男が苦手だ。

 今から一時間程前、新潟港にてトルコ船籍の貨物船オケアノス号が降ろした荷から麻薬の原料が発見された。普通に考えれば、荷を降ろす際に査察官が気付くようなものだが、驚くべきことに、査察官の一部がグルになっていたというのだ。

 発覚した時にはオケアノス号はすでに出港していたものの、船速からまだ領海内にいるという判断の元、海上保安庁に出撃要請が来た。

 直ちに巡視艇「こしかぜ」、「ゆきつばき」および巡視船「えちご」の三隻はオケアノス号を追跡し始めた。巡視艇二隻および搭載されているヘリ「みさご」を先行させ、「えちご」も出港した直後だった。一機のヘリコプターが接近、「えちご」への着艦要請を出してきた。同時に入ってきた本部からの通信によれば、そのヘリは防衛省所属のものであり、オケアノス号追跡に加えろとのことだった。

 渋々着艦を許可したところ、そのヘリにはパイロットを除けば武装した人間四人が搭乗していた。各々特殊部隊が着るようなタクティカルベストを纏い、銃器を装備していた。

 その中の隊長格がこの勝連武という男だった。現在は隊員とパイロットをヘリに残し、操舵室に入ってきてこちらの活動に一々口出ししてくる。

「船長」

 ここで、通信士から長尾に声が掛かる。

「オケアノス号、停船信号を送っても依然止まる気配ありません」

「よし、強制捜査だ。オケアノス号に乗り込むように伝えろ」

 長尾は即座に決断した。

 通信士を通じ、長尾の指示が先行している二隻と一機に伝えられる。

『こちら「みさご」、これよりオケアノス号へ――』

 通信が、最後まで続かなかった。

「どうした?」

「分かりません、急に通信が……」

 直後、巡視艇「こしかぜ」から通信が入る。

『こちら「こしかぜ」! 「みさご」、撃墜されました!』

「は?」

 あまりにも突拍子もない報告に、長尾が一瞬呆ける。

 なおも「こしかぜ」の通信は続く。

『相手は武装を――』

 直後、通信機越しに爆発音が響く。

 その状況に船内が騒然とする中、勝連は通信機を取り出した。

「こちら勝連です。司令部、応答を願います」

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