第8話

 明智あけちが目を開けたとき、最初に目に付いたのは木目の刻まれた天井だった。

 身を起こすと、自分が布団に寝かされていたことに気付く。

 ――今朝も似たようなことなかったか?

 明智は溜息をくと、辺りを見渡す。

 部屋の中は薄暗い。

 明智は立ち上がり、布団の傍に置かれていた上着を羽織る。

 いつの間にか、服も着替えさせられていたようだ。

 障子戸を開く。

 外はすっかり日が暮れており、顔に当たる風も冷たい。

 縁台に腰掛け、日の落ちかけた景色を眺めながら、明智は先程の出来事を思い出した。

 ――あの時。

 一本目を呆気なく取られ、後が無くなった明智は相手から仕掛けられたとき、遮二無二攻め立てた。

 だが、どの攻撃も相手に容易く捌かれ、相手と自分の腕の差を思い知らされた。

 その負の流れを絶ち切るために、一度鍔迫り合いをして間を開けようとしたが、その時点で、すでに明智は相手に飲み込まれていた。

 相手は鮮やかに二本目を決め、逆にこちらはその衝撃で気を失った。

 ――情けないものだ。

 明智の口に自嘲的な笑みが浮かぶ。

 今の自分はどうだ。赤子の手を捻るよりも簡単に叩き伏せられ、一矢報いることなく失神して布団に寝かされている……滑稽と言う他あるまい。

 明智が拳をきつく握り締めていると、

「目が覚めましたか」

 と、女の声がした。

 振り向くと、侍女を伴った喜三枝美妃きみえみきが、悠然と歩んでくる。

「先程は見苦しい姿を見せました」

 明智は立ち上がり、頭を下げる。

「身体の方は大丈夫ですか?」

「起き上れるぐらいには」

 明智の答えに美妃は一つ頷き、

「なら、もうすぐ夕食が出来上がります。母屋の方へ移動しましょうか」


 母屋の方も、「ここは何百年前の武家屋敷だ」と言いたくなるほど、内装は和風だった。違いといえば、照明器具が蝋燭ろうそくなどではなくLEDで、床暖房によって畳が適度に暖かくなっているくらいか。

 明智と美妃は、互いに向かい合って正座していた。

 美妃の方は、出された茶を喫しているが、明智はどちらかといえば、居心地が悪そうにしていた。これは、別に部屋がやたらと広いせいではない。

「そういえば、まだ感想を聞いていませんでしたね……どうかしら、ここに来てみて?」

「……ここは、実は訓練所ではなく、時代劇のセットか何かですか?」

 明智の発言の何がツボだったのか、美妃はコロコロと笑い、

「面白いこと言いますね」

「……自分としては、悪口のつもりだったのですが。それにしても、よくこんなに土地がありましたね」

「えぇ、元々は夫の会社の支社が建つ予定だったのですが、経費削減で中止になりまして……そこで、私が役員の権限を使って――」

「夫とは、喜三枝きみえ一郎いちろう氏のことですか?」

 美妃は「あら」と漏らし、

「さすが警察官、詳しいのね」

「元、警察官です。それに、かの喜三枝コーポレーションの御高名は常々伺ったもので」

 喜三枝コーポレーションは、二〇三六年現在もっとも日本で力を持った企業であり、様々な方面へ事業を展開し、海外にいくつもの支社を持った大企業だ。

 最初に名前を聞いた時から、明智は彼女が喜三枝コーポレーションの関係者ではないかと疑っていたが、まさか社長夫人とは……

「なるほど、その洞察力、うちに欲しい人材ね」

「……先程は、命知らずにも挑んで叩きのめされましたがね」

 明智の口調が皮肉めいたものになっていたが、美妃は気に留めることもなく、

「ご安心なさい。何ヶ月もまともに身体を動かしていない方が勝てることなどまずありませんから」

 と、さりげなく美妃の方が酷いことを言った。

「そもそも、あの試合は勝敗などどうでもいいのです」

「……なら、何のために?」

「私の言葉をお忘れですか? その人の真価を知りたければ、実際に剣を交えればいい。

 私が見たのは、貴方の腕ではなく中身です」

「中身?」

「えぇ。剣の構え方、視線の動き、試合での行動……それらを見れば、どんな人間か、大体分かるものです」

 一息入れ、「そして」と続けようとする美妃。

 明智は黙って耳を傾ける。

「貴方の剣には“迷い”があります」

「迷い?」

「えぇ。貴方の剣は、攻める時は大胆に、受けに回れば虎視眈々と反撃の機会を待つ……要は、慎重でありながら、機が熟した時の爆発力を兼ね揃えている……それが、貴方の持ち味なのでしょう。ですが」

 美妃が目を閉じる。

「肝心のその爆発力……激情、あるいは決意、と言ってもいいかもしれませんね……それを鈍らせてしまうものが、貴方の中にある」

「……それが、迷い?」

「心当たりはございませんか?」

 今度は、明智が目を閉じる番だった。

 瞼の裏に、一人の女性が浮かぶ。

「……自分が、真智まちあきらが何故死刑となったか……そして、今日あの墓地で何をしていたか……分かりますか?」

「えぇ。その辺りのことは知っているわ。貴方の婚約者のことも……ね」

 一応、真智明だった頃の情報は聞いているようだ。

「自分は、そこで一人の女性に出会いました」

 脳裏で、その女性が泣いている。

「その人は、俺が殺した男の……その男の恋人でした」

 明智は目を開く。

 美妃は、一見先程までと変わらない態度でいるように見える。

 だが、明智には、彼女の目が僅かに見開かれているのが分かった。

「その人の、涙が、悲しむ顔が、言葉が、どうしても自分の頭から離れない……」

 美妃は絶句していた。

「そして、こうも思ったのです。

 何故、自分は生きているのか、と」

 ここにきて、美妃が再び口を開く。

「真智明は死にました。今ここにいるのは――」

「――たとえ死んでも、罪は決して消えません。明智真と名を変えても、真智明として犯した罪は決して……」

「なら、今ここで、明智真としての命を絶ちますか?」

 美妃の舌鋒ぜっぽうが険しくなった。

「死んでも罪は消えない……それはそうでしょう。なら、今ここで貴方が死んでも罪は消えませんね」

「それは……」

 美妃の先程とは別人のような語調に、明智は戸惑う。

明智あけちまこと

 美妃が今の自分の名を呼ぶ。

「今、貴方がすべきことは、捨てた名の記憶を引きずることではなく……今出来ることをする……違いまして?」

「出来ること?」

「そう。そして、今やることは……」

 美妃が言いかけた時、

「奥様、夕食の支度が整いました」

 と、侍女の一人が報告に来た。

 美妃は、一度口をつぐみ、考える素振りを見せたが、

「……そうね。なら、まずは夕食にしましょう。

 うらら、運んでくるように伝えてくれる?」

「かしこまりました」

 麗と呼ばれた侍女が一礼して部屋を出ていく。その後、何人かの侍女が料理を持ってきた。

 食事の間、先程の話題が出ることはなかった。

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