第2話

 鏡の中から、一人の男がこちらを見返している。

 長い間牢に閉じ込められていただけあって、以前よりも痩せ細っているものの、鍛え続けたおかげか武骨さは抜け切っていない。

 むしろ、殺げた頬と完全には衰えなかった筋肉が、己の本質を語っているようにも思えた。

 短い黒髪をオールバックにし、太い眉の下で鋭い切れ目が光る。

「お、随分とすっきりしたな」

 声のした方を向けば、両手で荷物を抱えた勇海ゆうみあらたが部屋に入ってくるところだった。

 真智まちあきらは肩をすくめながら、

「まぁ、剃る前は自分でもむさ苦しく感じたからな」

 先程、部隊に所属している美容師の手によって、伸び放題の髪を切り、髭を剃り落としてもらったところである(興味本位で何故美容師がいるのかを尋ねたところ、潜入任務や護衛任務におもむく隊員の容姿を場に合うものにするためだと教えてもらった)。

「ところで、それは?」

「あぁ、あんたの着替えと、うちで用意した身分証明書なんかだ」

 そう言い、勇海は近くの机の上に置く。

 真智は試しに免許証を見てみた。

 驚いたことに、どこで入手したのか、自分の証明写真が貼られ、生年月日なども同じだ……ただ一点だけ、以前とは違う点があった。

「書かれている名前が違うようだが?」

「当たり前だ。あんたはすでに死んだことになってんだ。

 しかも、以前の職業が職業だし、少なからず報道もされた。いつどこで以前のあんたを知る人間に出くわしてもおかしくない。最初は慣れないと思うが、名乗るときはそっちの名前を使え」

 そこまで言われれば納得せざるを得ない。

 真智はとりあえず着替えようとして……再び手を止めた。

「なぁ、この帽子は?」

「ん? ソフト帽」

「いや、帽子の種類じゃなくて……なんで当たり前のように着替えの中に混ざっている?」

 それを聞いた真智が溜め息をき、

「さっきも言っただろ、あんたはすでに死んだ身だ」

「そうだな」

「だが、死んだ人間と同じ顔が歩いているのも問題だろ?」

「まぁ、そうだが……」

「だから、隠せ」

「は?」

 真智は間の抜けた声を出してしまった。

「言っている意味がよく分からないが……」

「そうか? じゃあ今度は分かりやすく言ってやる……外に出るときは常にその帽子で顔を隠せ」

「……拒否権は?」

「無い」

「いやいや……むしろ、不審者に思われて職務質問される気がするが?」

 真智の前の職業は警察官である。なので、帽子をかぶった、見るからに怪しい自分が警察官に目を付けられることが容易に想像できた。

「だろうな。俺も何度かあった」

 勇海の声には、諦観があった。

「……拒否権は?」

 真智は再び同じ質問をした。

「無い……俺達には」

 何か釈然としないものを感じつつ、仕方なしにさっさと着替える。

 着替え終わったところで、別の部屋に行っていたはずの勝連かつらたけしが入室した。

「サイズは合ったようだな」

「一応は……で、これから俺はどうすれば?」

「焦るな。

 さすがに、入ってすぐに任務というわけにもいくまい。

 まずは拘置所にいる間に付いた身体のさびを落としてもらう。そのためにこちらの指定した訓練施設に向かってもらいたいのだが……」

 そこで勝連は言いよどむ。

「何か問題でも?」

「うむ、先方も別の任務があったから、来るなら二時過ぎにしてくれと言うのだ。

 そして、悪いことは重なるのか、その時間帯は送迎用の人員を割けない」

「そういや、脱獄に参加したメンバーも、医療班の磨志葉ましば先生以外すぐに別の任務に飛んでいきましたしね……」

「そうだ、勇海。まさか、磨志葉に送らせるわけにも行くまい。

 そういうわけだから、待ち合わせ場所で先に待機し、先方に迎えに行ってもらう。向こうにも、これ以上文句は言わせん」


 ――そんなやり取りがあった後、真智は勝連が運転する車で訓練施設への中継地点へ向かっていた。どういうわけか、助手席に勇海も乗っている。

「……思ったんだが」

「なんだ、突然に」

「さっきのやり取りから察するに、勝連さんの方が階級上だよな?」

「お、そこに気付くとはさすが警察官。いい観察力だ」

 と、勇海が称賛する。

「元、だ。というか、誰でも気付く気がするが……」

 真智は一呼吸置き、疑問をぶつける。

「なんで、上司の勝連さんが運転して、あんたは悠々と助手席に乗っているんだ?」

「そりゃあ適材適所ってやつよ。でしょ、勝連さん?」

「そうだな……とりあえず、生き永らえたんだ、遠回しな自殺願望は止めてもらおうか」

「どういう意味ですか!」

 勝連の回答に、勇海が憤慨する。

「言った通りの意味だ。せっかく入った隊員をむざむざ見殺しに出来るか」

 ――その一言で、大体分かってしまった。そこまで言わせるとは、どれほどの技術かと思いつつも、怖いもの見たさという名の好奇心を今の真智は持ち合わせてはいない。

 そのとき、車の無線機から着信音が鳴った。勇海が口論を止め、無線機を取る。

「もしもし? 今取り込んでるんですけど?」

『お、勇海か? 勝連さんは一緒じゃないか?』

「おっと、太刀掛たちかけさんでしたか」

「勝連です。何事で?」

 二人が反応し、太刀掛と呼ばれた男がさらに続ける。

『人手が足りないんだ。本部に連絡したら、二人が近くを走っていると聞いた。応援に来れないか?』

「おいおい、こっちは新人を訓練所に送ってる最中ですよ?」

「いくらなんでも、そんな状態では無理だ」

『そこをなんとかならないか? ここで逃がすわけにはいかないんだ』

 この発言で、引っかかるものがあったらしい。

「……ちなみに、相手は?」

『国際テロリスト「ナインテラー」の構成員だ』

 それを聞いた勇海と勝連が顔を見合わせる。

 そして、どちらからともなく頷くと、

「場所は?」

『四丁目の奥の、無人ビルばかりが立ち並ぶエリアだ。人通りがほぼ無いから、絶好の機会だろう』

「三分間だけ待ってくれ!」

 そう言って、勝連は車をUターンさせた。あまりにも急だったため、車体が傾ぎ、真智の身体が揺さぶられる。

「勇海、武装は?」

「してますよ。何があるか分かりませんしね!」

「ならいいな」

「……あのぅ」

 すっかり話から取り残された真智が声を開く。

「どうした?」

「訓練は?」

「予定変更だ! 新人研修と行こうぜ!」

(なんて破天荒な……)

 ――ひょっとして、とんでもない組織に入ってしまったのではないか。

 そう思わずにはいられない真智なのであった。


 勝連の宣告通り、約三分ほどで目的地に到着した。

 車が止まると、初老の男性が近づいてくる。

「待たせたな、太刀掛さん」

「いや、急な対応、本当に申し訳ない」

 太刀掛は真智に気付くと、

「初めまして、だな。太刀掛たちかけひとしだ。よろしくな」

「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 真智は太刀掛が差し出した手を慌てて握った。

 太刀掛は、白髪と小皺だらけの顔に笑みを浮かべている。ニヒルさと愛嬌が混ざった、何とも独特な笑みだった。

 だが、真智は表面上の笑顔だけで太刀掛という男を判断しなかった。元警察官として培った感性が、この男の裏の顔――内側に抑え込まれた「凄み」を感じ取り、胸中で警鐘を鳴らす。額に冷や汗が浮かんだ程だ。

「安心しろって。訓練受けていないやつにいきなり突っ込めなんて言わねぇからよ」

 緊張している真智を見て、勇海が笑う。

 ――連れてきた時点で、もう何かが遅い気がするが。

「敵は?」

「そこのビル二階の喫茶です」

 と、太刀掛が標的のいる雑居ビルを指す。

「他に客がいたら大変だな……そんなところに向かって、大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない。あそこは、元々暴力団や海外マフィアどもの溜まり場だ」

「なるほど……誰も警察のお世話にはなりたくない、ということか」

「むしろ、店員も一緒になって鉛玉で歓迎してくれるだろう」

「なら、俺達も相応の準備をしていかねぇとな」

 そう言って、勇海が懐から回転式拳銃リボルバーを取り出す。

「コンバットマグナム?」

「形状は、な。お前が言っているのはおそらくスチールモデルのM19のことだろう? こいつはステンレスモデルのM66だ」

 M19とM66はSスミス&Wウェッソン社製の小型リボルバーだ。強力な.357マグナム弾を使用できる。

「そこまでの違いは素人には判断できないだろう」

 太刀掛も回転式拳銃を抜き、装弾を確認する。こちらの銃は、勇海のものより銃身が短い。

「コルト・ローマン?」

「ひょっとして、君は刑事ドラマが好きだったりするのかな?」

「まぁ、それなりに。その銃、日本の警察で採用されてないことを知ってがっかりしました」

「ドラマと現実を混同してはいけないよ」

 コルト・ローマンは、.357マグナム弾の発射に耐えられるように銃身が肉厚に作られている。ローマン(法執行人)の名の通り、警察や法執行官向けに作られた、火力とコンパクトさに優れた拳銃だ。

「銃の知識を披露するのは結構だが、任務中なのを忘れるな」

 勝連が注意した。彼は、M1911ガバメントのカスタムモデルを構えている。

「私が非常口に回る。太刀掛さんと勇海は正面からターゲットを追い立ててくれ」

「追い込み漁ですか」

啄木鳥きつつき戦法ともいう」

「前者はともかく、後者は失敗しそうで嫌だな……」

 三人が持ち場に着こうとしたところで、「そうだ」と勇海が、

「一応、こいつを渡しておこう」

 と、もう一丁別の回転式拳銃を取り出す。五発装弾型の小型リボルバーだ。

「S&W M49ボディガード、のステンレスモデルM649だ。引き金を引くだけで撃てる」

「新人の俺に?」

「あくまでも万が一の護身用だ。よっぽどのことがない限りは撃つなよ? 絶対に撃つなよ?」

 念を押さなくとも、自ら危険に足を踏み入れるつもりはない。足手まといになるのだけは御免だ。



 真智まちを一人外に残し、勇海ゆうみ太刀掛たちかけは喫茶の入り口に来た。今頃は勝連かつらも非常口でステンバイしているだろう。

「さぁて、始めますか」

 勇海は深呼吸をし、己の集中力を高めた。手加減、油断――これらは銃を持つ人間が決して持ってはならない。獣と違い、人間は爪も牙も無い。それは限られた状況でしか武器が必要でないということだ。今がまさにその時――戦いの最中に気を抜いてしまったものから死んでいく。そこにいるのは、先程まで軽口ばかり叩いていた男ではなく、獲物を求める猟犬だった。S&W M66という名の、強力な牙が血に飢えている。

 太刀掛も同様で、その顔から笑みが消えた。代わりに眼光が一層鋭くなる。

 互いに頷き合うと、勇海は右足を突き出した。防弾ガラス製のドアが吹き飛び、床に転がる。

 狭い店内には四人用のテーブルが五脚設置されていた。テーブルの一つに四人の男が固まり、ターゲットは一際奥の席に腰掛けている。

「全員動くな!」

 勇海の言葉に、ターゲット以外の四人の男が手のコーヒーカップを捨てながら、懐に手を伸ばす。

 しかし、男達が銃を抜いた頃には、勇海のM66が火を噴いていた。

 勇海は男達の頭に照準を定め、四連射。放たれた弾丸が正確に命中し、男達は一発も撃つことなく絶命する。

「動くなって言っただろ」

 レジにいた店員が、何事か喚きながらマカロフを勇海に向けた。案の定、こいつも海外マフィアの一員だったというわけだ。

 店員が引き金を引く前に、太刀掛がローマンを撃ち込んだ。胸に二発のマグナム弾を受け、男がひっくり返る。

 ここまでは順調だった。

 だが、厨房から出てきた男達を見て、勇海は思わず「げ」と唸る。

 数は二人。その手には、イスラエル製のUZIウージー短機関銃が握られている。

 勇海と太刀掛は傍のテーブルを引っくり返し、即席の遮蔽物を作った。ぎりぎりのところで身を隠し、弾幕をやり過ごす。

「ちょっとタチさん? UZI持ってるなんて聞いてないんだけど!」

「私も今知ったんだ!」

 勇海に怒鳴り返す太刀掛。

 その時、標的の男が信じられない行動に出た。拳銃を乱射しながら窓まで走ると、ガラスを割って外に飛び出す。

 ――何故非常口を使わない?

 そう思って非常口を見れば、ドアの前に荷物が山積みになっていた。馬鹿かこいつら! 火事にでもなったらどうするつもりだったんだ?

 ターゲットを追いかけたいものの、短機関銃の掃射が激しく、迂闊に動けない。

 どうするか――と思っていたところに、非常口の大量の荷が突然崩れた。崩れた荷の間から、ガバメントを握った手が突き出される。こちらに夢中になっていた男の一人が、四十五口径の弾丸でこめかみを撃ち貫かれた。

 もう一人の男が突然の援軍を前に慌て、そちらに銃口を向けようとする。そこへ勇海と太刀掛が残りのマグナム弾を叩き込み、男は倒れた。

「くそ、どうなっているんだ、これは?」

 荷物を押しのけ、勝連が顔を出した。おそらく、待っても標的が来ず、銃撃戦が展開されていることを音で察したのだろう。ドアを銃で無理矢理壊し、援護に現れたというわけだ。

「それは追々……それより、標的が窓から逃げた。追わないと」



 二階から飛び降りた男は、受け身を取って着地した。上では銃撃戦が続いている。男はそのまま逃げることにしたが、

「動くな」

 ソフト帽を被った怪しい男が、拳銃を構えて立ち塞がる。

「武器を捨てろ!」

 その男が持っているのは、S&W社製の五連装リボルバーだ。撃鉄が見当たらないことから、ダブルアクション(撃鉄を起こさなくても、弾倉と撃鉄が引き金と連動する作動方式)の抜き打ちに特化したモデルであると察しがついた。

 男は、手にしていた自動拳銃を地面に捨てた。一瞬、相手の注意が捨てた銃に向く。

そこを狙い、男は飛びかかった。左手で弾倉を握る。撃鉄が起きていない回転式拳銃は、弾倉を動かなくすれば、引き金も撃鉄も動かない。

 そして右手でナイフを抜き、突き刺そうとする。



 階段を降りてきた勇海達は、ちょうどその光景を目撃した。

 真智の持つM649の弾倉を抑えた男がナイフを抜こうとした。

 だが、次の瞬間、真智の左手が、男の襟元に伸びる。掴み、引き寄せると、足を払った。腰の回転と足のばねを利用し、左手一本で男を背負い、地面に投げつける。

 地面に背中から叩き付けられた男が悲鳴を上げた。

 真智は撃鉄を親指で起こし(M649は服に引っかかりにくい形になっているだけで、手動で撃鉄を起こすことは出来る)、突きつける。

「銃を凝視していたから、狙いは読めた。さて、どうする? もう弾倉を押さえても無駄だぞ?」

 男は顔を引きつらせ、投降した。



「なぁ、俺はあくまでも万が一のために渡したんだ。それは分かるな?」

「あぁ」

 勇海は「ふぅ」と一息吐き、

「積極的に敵の前に出ろ、と言った記憶もない……どうだ?」

「その通りです……勝手に出たりして申し訳ありませんでした」

 殊更丁寧に謝る真智。

「反省しているようならいい。だが、君はまだ訓練どころか、投獄で身体にハンデを負った身だ。このような無茶は以後控えてもらおう」

 勇海と勝連にすっかり搾り上げられた真智が車に乗り込もうとすると、「待て」と太刀掛が呼び止める。

「勝連さんも勇海も立場があるから厳しいことを言っているだけだ」

「ですが、正論です。一歩間違えれば、危ないところでした」

「分かっているならいい。私も似た思いはあるからな。

 しかし、君がいなかったら、標的に逃げられていたのも事実だ。あの咄嗟の機転、賞賛に値する。

 あの二人も本心ではそう思っているはずだ」

「そうでしょうか?」

 まさか褒められるとは思わなかった真智は面食らう。

 太刀掛は、笑みを浮かべ、

「次に会うときは、共に肩を並べる仲間として会おう」

 と言い、去っていく。これから、彼は捕まえた標的を連行していくのだ。

 真智は「ふぅむ」と頭を掻きつつ、車に乗り込む。これから自分には訓練が待っているのだ。太刀掛の言う通り共に戦うには、まだまだ時間が掛かる。

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