第1章 亡霊の誕生

第1話

 男は、暗い中を彷徨っていた。

 無限に続くかと思われた、その空間の先に一人佇んでいた。

 彼女は背を向けて立っていたものの、真智まちあきらにはすぐに分かった。

 それと同時に理解する。

 彼女がいるということは――自分も死んだということか。

 真智は彼女の名を呼ぼうとしたが――

 彼女は遠ざかっていった。

 真智は必死に追いかけようとするも、距離は縮まるどころか広がっていく。

 ついには、彼女の姿が見えなくなったところで――

 真智は目を覚ました。



 真智の目に最初に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。

 耳には、何かの電子音が届く。その正体を確かめるために横を向けば、心電図が規則正しく波を刻みながら、一定のリズムで音を鳴らしている。

 そして、動いたことで、自分の身体が様々なコードに繋がれていることに気付いた。左腕には点滴のチューブが刺さり、胸に張られた電極板が、心電図のモニターとコードで繋がっている。

 真智が困惑していると、

「おっと、ちょうどお目覚めか」

 声のした方に視線を向けると、壁際に男が立っていた。

 その男は腕時計を見ながら、

「午前十時、真智明死亡――どうだ、あの世に来た感想は?」

 と、茶化して言う。

 その男の顔には見覚えがあった。処刑の日時を伝えられた後、長い間話しかけてきた男だ。

 真智が何か言い返すのをノックが遮る。

「どうぞ」

 何故か、男の方が許可を出し、扉が開かれた。

 入ってきたのは、三十代後半から四十代前半と思われる男性だった。

 僅かに白髪の混ざった髪は短く揃えられ、彫りの深い顔の中で、鋭い眼光をもってこちらを見据えている。

「目が覚めたのか」

「ついさっきのことです。わざわざ報告の前に来ないでも……」

 先ほどまで軽い調子でいた男は、姿勢を正して敬礼しつつ、言い訳めいた言葉を吐く。

「いや、解毒剤を打ってから一時間経ったのだ。そろそろだろうとは見当がついていた」

 真智は男達の会話についていくことが出来ず、首を傾げる。

 ――そもそも、ここは何処で、彼らは何者なのだろうか?

 幸いにも、その疑問を呈する前に、答えてくれた。

「申し遅れたが、私は防衛省特殊介入部隊所属、勝連かつらたけしだ」

 こっちは、壮年の男だ。

「同じく、勇海ゆうみあらただ、よろしくな」

 そして、比較的若い男の方も名乗った。

「さて、まずは君の現状を説明しなければならない……単刀直入に言おう。

 君は、五分前に死んだ」

 真智はそれを聞いても特に表情を変えなかった。

「肝が据わってるというか、ノリが悪いというか……もう少し分かりやすい反応してほしいな」

「そんな気分じゃない」

 残念そうな顔でぼやく勇海と、真顔で返答する真智――どちらを見て呆れたのかは分からないが、勝連は溜め息をき、

「死んだ、とはいっても表向きの話だ。少なくとも、真智明という男は、本日午前十時に刑が執行され、この世にはすでに存在しない」

「だが、今俺は普通に話してるし、こうして身体も動くようだが?」

 そう言い、真智は右腕を上げ下げし、右手を握ったり開いたりして見せる。

「ちょっと端的過ぎたか? 言い方を変えりゃ、適当に見繕った別の死刑囚があんたの代わりに処刑されたんだよ」

 答えたのは、勝連ではなく、勇海の方だった。

「……質問いいか?」

「どうぞご自由に」

「どうやって出した?」

「あぁ、昨夜、看守に化けた俺があんたと長話しているときに、あんたの部屋に気化した薬を充満させたのよ」

 真智は顔を顰めつつ、「薬?」と疑問系にすらなってない文法で尋ねる。

「おぅ。それは、うちの科学班特製のものでね、そいつを一定量吸った人間は、たちまち仮死状態に陥っちまうのさ。それは別の薬品で中和するまで起きることもない。

 そして、眠っちまったあんたと身代わりを、それぞれの部屋に移し換える。それなりに体格が似てる奴を選べば、髪も髭も伸び放題だから、パッと見でバレる心配はぇ。

 あとは、身代わりが元々いた部屋に、仮死状態で転がっているあんたを今朝見つけ、偽装した救急車に乗せて……現在に至るわけよ」

「……もう一つ、いいか?」

「おぅ、じゃんじゃん来い!」

「何故、俺を助けた?」

 その問いに答えたのは、勇海ではなかった。

「君には、我々の仲間になってもらいたい」

 勝連の言葉に、鼻で笑い飛ばしやりたくなった。

「ふざけてるのか? 俺は殺人犯で、死刑囚だぞ?」

「そして、我々の求めている人材でもある」

「俺の何を知っているというんだ!」

 ついに耐え切れず、真智は声を荒げた。

 逆に、相手は落ち着いた様子で、

真智まちあきら二十五歳。二〇一〇年八月二十六日生まれ、血液型はA、千葉県出身――」

 真智は目を見開くが、相手は気にも留めた様子なく続ける。

「――中学、高校時代ともに剣道部に所属、インターハイにて個人、団体ともに千葉県代表に選ばれ、団体戦優勝、個人戦も三位の好成績を修める。玉竜旗全国高等学校剣道大会への代表選手として出場経験もあり、現在の段位は五段。

 大学へは剣道の推薦によって進学、この頃から柔道や空手に手を出し始めているな……一応段位持ちだったか。

 大学卒業後は警察学校に合格するも、射撃の適性が低く、本人が希望していた機動隊への道は断念、千葉県警察の刑事部に配属。

 二〇三五年七月、とある暴力団の麻薬経路の壊滅に多大な功績を挙げ、巡査部長への昇進が決定される。

 しかし、同年十月、千葉県内で起きた交通死亡事故にて――」

 相手の話す履歴があの忌わしい事件に差し掛かったところで、明は歯が砕けんばかりに噛み締める。

「――偶然、その現場に居合わせた君は、事故を引き起こした被疑者を取り押さえようとしたが、所持していた拳銃が暴発、被疑者は死亡、その刑事責任を問われる裁判にて死刑を求刑……」

「よく知っているな」

 皮肉を込めて放った一言も、相手は意に介さず、

「これが我々の仕事なのでね」

 真智が睨みつけても、悠然とその敵意を受け止めていた。

「仕事、か……さっき、防衛省とか言っていたな。まさか、自衛隊絡みか?」

「いや、我々は自衛隊とは違う」

「そもそも、表向きは実在しないことになってるからな……今のあんたと同じでな」

 二人はそう言って一時的に口を閉ざした。

 これ以上詳しいことは言えない、ということか。

「最後の質問だ……俺に、拒否権はあるのか?」

 特に期待せずに問いかけると、予想外の答えが返ってくる。

「ある。

 しかし、それはあくまでも入隊の是非だけだ。

 そして、君は生きているはずのない人間だから、どちらにせよ保護プログラムに従ってもらうことにはなる」

 つまり、脱獄した時点で自分の取れる選択肢は二つに絞られてしまったわけか。

 一つは、存在しない人間として、保護プログラムによって影に隠れて暮らす道。

 もう一つは、特殊介入部隊という実在しないはずの組織の一員として、働く道。

「さぁ、こちらも最後の質問と行こうか。

 君は、どうする?」

 ――結局のところ、自分は一度死んだ身、存在が抹消された者……

「俺は……」

 真智は、後悔さえ許されない決断を下した。

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