PhaseⅠ act1-8
太平洋
航空護衛艦《あかぎ》
July 23.2024
笠原は麻井と別れ、訓練に復帰した。
着艦すれば次に待っているのは当然、発艦となる。発艦後の訓練のブリーフィングを行い、四人は搭乗を開始する。
夜間の飛行甲板は様々なライトで煌びやかに照らされていた。笠原はまるでスポットライトのような光を浴びてライトアップされた、第101飛行隊の狼のエンブレムが垂直尾翼に描かれたラファール・928号機に向かって歩いた。
四人は分かれてそれぞれの機体に向かう。笠原は整備員に敬礼して機体の周りを目で見て、時には触って飛行前点検を終えると、コックピット左側の電動格納式の乗降用ラダーを登ってコックピットに乗り込み、飛行前点検を済ます。
列線員とインターコムで交信し、
「デッキコントロール、こちらシーウルフ11。エンジン始動完了。カタパルトへの進入許可を求む」
『シーウルフ11。こちらデッキコントロール。了解した。艦はピッチング1度、ローリング2度。艦首方位080。相対風方位260から7ノット。
「カタパルト1へ進入、高度計規正値3001に補正。ラジャー」
列線員が輪留めを外したことを合図する。
「グランド、コックピット。カタパルト1へ前進する。インターホン、ディスコネクト。チョークアウト」
『コックピット、グランド、了解です。チョークアウト。ディスコネクトフォン。お気をつけてお帰り下さい、またのお越しをお待ちしております』
「コックピット了解。どうもありがとうございました」
冗談口調の列線員は機体から外したインターコムを、両側の列線員はチョークを掲げる様にしてコックピットに見せる。
航空護衛艦の甲板要員は、海自と空自の双方が担当していて、ヘリ誘導、エレベーター操作要員、牽引車運転要員、メッセンジャー、電話通信要員、航空燃料取扱員は主に海自が担当し、その他、カタパルト、アレスティング・ワイヤーの担当や航空機管制等を担うのは空自だった。
飛行甲板はいつも混み合っている。夜間でも各種役割に応じた色の服を着た甲板要員が走り回り、機体の間を縫うように神経を使いながらカタパルトへラファールの機体を進めていく。
『ちょい前ー、ちょい前ー、もう少ーし、良し!』
ギアブレーキを踏み込んで機体を止める。すぐさまカタパルトの
『シーウルフ11、射出位置宜し!』
後方のブラストディフレクターが起き上がる。列線員の一人がコックピットに向かってボードを掲げた。ボードに書かれた離陸重量と離陸出力を確認した笠原はサムアップした。その列線員は頷くと下がる。
目の前にはHUDとキャノピー越しにカタパルトのレールが闇に包まれた海に向かって伸びていた。《あかぎ》の飛行甲板はいずも型同様、飛行甲板の先端部が言われなければ気付かない程度にわずかに反りあがったスキージャンプになっていた。
「デッキコントロール。こちらシーウルフ11。発艦準備完了」
『シーウルフ11、こちらデッキコントロール。風は220度から6ノット。カタパルト1からの発艦を許可する』
「ラジャー、クリアード・フォー・ランチ、テイクオフ」
発艦要員を統率する黄色い作業服を着た
その発艦士官が右手を差し上げ、二本指を立てた。エンジンを最大出力まで上げろ、という指示だ。笠原はスロットルレバーを
緑色の作業服を着た男が駆け抜け、
機体の正面に立っていた発艦士官は飛行甲板の端へ移動した。
笠原はMFDに表示した燃料流量計、エンジン回転計、排気温度計などをチェックした。どの確認項目にも問題はない。笠原は深く呼吸した。
隣で秋本機が第2カタパルトから射出された。一気に加速したラファールは飛行甲板を離れると一瞬だけ飛行甲板より機体を沈ませ、今度は上昇に転じて高度を上げていく。ナビゲーションライトやアンチコリジョンライトの光を遮るアフターバーナーの青い炎のコーンを二本生やしたラファールが闇に向かって吸い込まれるようにあっという間に遠ざかっていった。
端へ移動した発艦士官が右手を高々と挙げ、次いで前方を指差した。
笠原は喉を鳴らした。発艦の衝撃を覚悟して緊張を覚える。発艦士官は膝を折って、腰を屈めながら発艦士官の指で甲板に触れ、前方を指さす。
首を前に乗り出すような格好をして笠原は衝撃に備える。カタパルト、射出。
一気に発艦速度まで加速させるときに生じる慣性が笠原の身体を締め付けた。
飛行甲板を
『ナイアッドよりシーウルフ11、発艦完了。方位一七〇へ旋回、高度六千フィートまで上昇し、それを維持せよ』
《あかぎ》の管制官が呼びかけてきた。笠原はそれに従い、マーシャルへ向かう。黒江、佐渡も次々打ち上げられてきた。
空護のスケジュールの都合上、二機しかタッチアンドゴーを実施する時間がなく、佐渡と秋本がタッチアンドゴーを実施することになった。笠原と黒江は上空待機だ。
何かしらのトラブルや訓練の遅滞など航空護衛艦の運用は非常にデリケートだ。マーシャルも混雑しており、航空灯を点したラファールが何機も周回飛行している。
笠原は暇で黒江が話しかけてくれないかと期待していたが、通信は沈黙したままだった。機体に備わる光学センサーをいじって遊んでいると指揮系無線に早期警戒機が呼び掛けてきた。
どうやら中国軍機が太平洋の防空識別圏すれすれを飛んでいるようだ。その監視を継続する新田原基地の戦闘機からの続報だ。
今日のトラブルの原因はこれだったようだ。
「ったく、迷惑な話だ」
笠原は独り言を吐き捨ててため息をつく。中国軍機の行動は偵察や牽制よりも挑発や嫌がらせのようだった。
予定を繰り上げ、秋本達のタッチアンドゴー訓練を終えると空中給油を開始した。
編隊を維持して
空中給油機の配備によって航空自衛隊の作戦能力は飛躍的に高まった。ただ単に航続距離を伸ばすだけでなく、燃料消費を考えた速度で飛ばなくてはならない戦闘機も、空中給油機の存在によって、発揮できる最高速度を高めることが出来、作戦空域への到達時間も大幅に向上している。
航空自衛隊は近年、最新型の空中給油機である米国製のKC-46ペガサス空中給油機四機を導入しており、それ以前に取得していたKC-767J四機もKC-46相当に近代化改修を受けていた。そのため、KC-767Jも給油機側がブームの動きを操作し、給油を受ける航空機の
航空自衛隊が運用する戦闘機は、艦上戦闘機のラファールと
タンカーの識別灯を目視で確認し、笠原たちは空中給油の態勢をとった。
笠原と黒江がまずタンカーに一千フィート下の高度から接近した。五マイルまで接近したところで、笠原は空中給油チェックリストを確認する。
レーダー発信停止、マスターアームスイッチ・
空中給油チェックリストが完了していることを確認し、タンカーに注意を向けた。
燃料系統が加圧されておらず、給油の準備が整っていることを示すJHMCSに表示された
「コビー31、こちらシーウルフ11。現在距離五マイル」
笠原は無線に吹き込む。
『こちらコビー31、貴隊を捕捉した。シーウルフ編隊、接続前位置につくことを承認する。コビー31、準備よし』
タンカーのブーム操作員が応答した。ラファールの空中給油はフライングブーム方式ではないが、ブーム操作員の指示で空中給油を実施する。これがKC-46ペガサスであれば主翼の左右に一か所ずつと胴体後方の一か所の計三か所から空中給油が可能だ。
「シーウルフ11、接続準備よし」
『シーウルフ12、
ブーム操作員が呼びかけると黒江のラファールは笠原から離れて、ずっと左──タンカーの左翼後方につけた。
『シーウルフ11、接続位置を承認する。コビー31、準備よし』
「シーウルフ11、接続する」
笠原はタンカーをまずは指標に接近、後に左主翼の空中給油システムから垂れ下がったドローグ、そして受油プローブの位置を考慮して機体を修正していく。さらにスロットルを調整し、三から五ノットの接近率で近づく。
極端に遅い接近率ではタンカーのドローグバスケットが機首に接近した際に、パイロットは気流によって振動するバスケットを相手にフェンシングをすることになる。
アプローチの最終段階ではドローグが自機の機首先端を通り過ぎる際、機首とドローグバスケット間の気流相互作用によりバスケットが右上に逸れる傾向があった。
それも頭に入れて笠原はラダーペダルを踏んで機体を調節する。
着艦並みに神経を使う。
遂に受油プローブがドローグバスケットに接続した。さらに五フィート前方に押し込む。
するとタンカーの黄色の待機ライトが緑色の燃料移送ライトに切り替わった。接近追尾編隊の状態で機体を飛行させ続ける。そこでやっとほっとして息を吐いた。
「シーウルフ11、接続した。受油準備よし」
『コビー31、了解。燃料移送を開始する』
笠原は燃料計を見た。数値が目まぐるしく増えていく。その間に右側のドローグに黒江が接続、空中給油を開始する。
その手際は手慣れたものだった。笠原も慣れないときは何度もフェンシングをしかけたものだ。一度で決められないとイライラして余計にミスをする。
佐渡と秋本もそれに続いて空中給油を開始した。佐渡は非常に慎重なため、時間を要したが、何事もなく、四機は空中給油を終えた。タンカー後方の位置から離れる。
「コビー31、感謝する」
『シーウルフ編隊、良い夜を』
慣れたものでコビー31のブーム操作員が言う。もうすぐ今日も終わる。
「方位350へ旋回」
笠原は無線に呼び掛け、バンクをとりながら機体を旋回させ、機首を厚木に向けた。三機ともそれに従い、同じ動きをした。戦闘機パイロットは常にリード機の動きに合わせて飛べるよう訓練されている。フィンガーチップ隊形という親指を除く指の位置に各機がつき、編隊を組んだ。
まだ《あかぎ》の警戒機からの管制で中国軍機の動向が実況されている。百里から上がったF-2の二機編隊が監視を引き継いだようだ。
欠伸がこみ上げ笠原はそれを噛み殺した。
『シャドウ、ちょっと遊んでかないか?』
秋本が呼び掛けてきた。一昔前、訓練がもっとアバウトに行われた時代はパイロットが訓練計画にない“機動訓練”を勝手に実施していたこともあった。
「阿呆、中国軍機が
笠原は即座にそれを跳ねのける。
『お堅いな、シャドウは。今はコントロールの狭間で丁度良いのに。なあ、ファルコ』
今飛んでいるのは空護の警戒機からのコントロールか、厚木のコントロールか正直曖昧な空域なのだ。
『今はやめた方が良いだろう』
黒江も意外と理性的だった。しかし、今は、というのだから真面目というわけでも無さそうだ。
『そうですよ。百里か横田から
佐渡も笠原に賛同する。
『サド、お前、 裏切ったな』
『裏切ってないですよ!』
二人の口論が始まり、笠原はやれやれと苦笑する。
「口論で貴重な電波を使うんじゃない。帰ったらチクるぞ」
『シャドウってホントにTACネームのまんま、陰湿だな』
秋本の言葉に笠原はつい反応してしまう。
「なんだと。大体な――」
『貴重な電波、じゃないのか』
反論しようとしたところで黒江が呟き、笠原は振り上げた拳を力なく下ろすように黙った。
『はは、一本取られたな』
秋本が笑う。笠原は恨めし気に黒江機を見たが、コックピットに収まる黒江はマスクとHMDバイザーで隠れた顔のまま正面を向いていた。
俺を咎める時しか、君は俺に話しかけないつもりか。
その横顔に小さく呟く。もちろん黒江は無機質なバイザーとマスクに覆われたまま何も答えなかった。
基地に帰ると、オペレーションルームの隊員達は皆、情報収集用に設置されたテレビにくぎ付けになっていた。拠点となる厚木基地においては要撃任務などの実戦からは外れている艦上航空隊だが、大規模災害となれば話は別だ。自主的な情報収集のために緊急発進が命ぜられることもある。
オペレーションルームの異様な雰囲気に軽くシャワーを浴びて乾いたフライトスーツに着替えてきた笠原は黒江と思わず顔を見合わせていた。
黒江は顔を見合わせた後、なぜ見合わせてしまったんだとばかりに慌てて顔を逸らす。別にそれくらいで後悔するような仕草をしなくてもと笠原は呆れながら「戻りました」と声をかけた。
「おお、シャドウか。どうだった?」
振り返った瀬川が聞く。
「どうって……別に普通だが」
「あ、そう。お前たちが飛んでる間に厄介なことになってるぜ」
テレビを見上げるとアナウンサーが興奮したように同じことを再び語り出そうとしているところだった。テロップにはでかでかと「自衛隊の戦闘機、中国機に対し警告射撃」と乗っている。
「は?」
思わず身を乗り出すとアナウンサーはまるで自分だけが知っているニュースを伝えたくてしようがないように興奮した様子で語った。
『防衛省は本日夕方、中国の軍用機が沖縄県上空において領空を侵犯し、それに対して自衛隊の戦闘機が警告射撃を行ったと発表しました。中国軍の軍用機が沖縄本島上空を領空侵犯したのは今回が二度目で、領空を侵犯したのは中国空軍の爆撃機、H-6型一機です。航空自衛隊は防空識別圏に接近したことから戦闘機を緊急発進させて無線や機体信号による通告を行ったとのことですが、いずれにも中国軍機は従わず、領空を侵犯した模様です。自衛隊の戦闘機による警告射撃後、中国軍機は領空の外に出ています。自衛隊はこの警告射撃で機関砲弾四百発余りを射撃したとのことですが、現在まで被害はありません。この問題を巡り、日本政府は先ほど中国政府に対し、外交ルートを通じて抗議したことを明らかにしました』
笠原は憮然とした顔でそのニュースを見ていた。アナウンサーの背景には今回、領空侵犯を行った爆撃機と同型機として、防衛省が公開している自衛隊機に要撃を受けた中国人民解放軍空軍の轟炸H-6爆撃機が表示されている。資料映像では嘉手納で運用されているのは第九航空団のF-15だというのにF-2戦闘機やラファールが機関砲を射撃する様子が繰り返し流れ、マスコミのいい加減さが窺い知れる。
「沖縄本島の上空を中国軍の爆撃機が飛んだだと?」
笠原は思わず声を漏らした。この前、全力で阻止したばかりだぞ。
沖縄本島上空を領空侵犯した軍用機が飛ぶのは二〇〇一年に那覇空港が閉鎖された隙を突かれて発生した領空侵犯に続く事件だった。あの事件を期に自衛隊は空母型護衛艦の取得を進めた。
「スクランブルで警告射撃が行われたのも二度目だな」
秋本が言った。過去警告射撃が行われたのは一九八七年に沖縄本島上空を領空侵犯したソ連軍の爆撃機に対して警告射撃が行われた対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件だけだ。事件扱いされるほど実弾を使用する警告射撃は重大な事態だった。
『中国は東シナ海全域を使った前例の無い大規模な軍事演習を行っており、日中及び台湾の間では軍事的緊張が高まっています。日本政府は、中国の弾道ミサイル発射訓練に対応するため南西海域に展開している海上自衛隊の護衛艦を増強することを決め、空母を含む艦艇の増派を検討していることを明らかにしました』
「空護だっつーの」
「マスコミなんて敢えて使ってるんだろう」
秋本の言葉に瀬川は肩を竦めた。
「俺たちの
笠原はそう楽観を装って呟きながら黒江の横顔を盗み見た。黒江も同様、真剣な顔でテレビを見つめていた。
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