PhaseⅠ act1-7
麻井は航空学生から艦上戦闘機操縦課程まで共に汗を流し、切磋琢磨し合ってきた仲だった。笠原は今にも過去にも社交的とはお世辞にも言えず、閉鎖的で孤独を好んだが、そんな笠原を麻井は放っておかなかった。航空学生時代を楽しむことが出来たのもこの麻井がいたからだ。そんな麻井が再会を喜んでくれると黒江のことで頭を悩ませる笠原も気が楽になった。
デブリーフィングのホットウォッシュを終え、フライトプランを提出した笠原は休憩時間を利用して《あかぎ》艦内の航空隊のラウンジで麻井と合流した。自動販売機が設置され、長机とベンチが幾つか置かれた簡素なラウンジの壁はまだ就役前にも関わらず、試験に参加したパイロット達の寄せ書きが書かれた旗が飾られ、誰かが《あかぎ》に一番乗りした証が残されていた。
「もう最後に会ってから一年も経つのか」
寄せ書きに目を向けた笠原に麻井が言った。
「そうだな……」
最後にいつ会ったのか思い出せないような月日がすでに経っていた。
「変わらないな、アイクは」
「シャドウは少し老けたよ」
面白そうに麻井は笑う。笠原は面白くない。
「どこら辺だ?」
笠原は無意識のうちに髪に触れた。
「雰囲気なんかは特に。貫禄が出てきたって感じかな」
「貫禄か、自覚は無いな……」
昨今の人員不足の影響で、笠原のような新人に毛が生えた程度のレベルのパイロットでも飛行隊では主戦力にカウントされる。編隊長としての業務ばかりで責任を負うことは増えていた。
「アイクも落ち着いたんじゃないか」
「子供も大きくなってきたしな。昔みたいに無茶ばかりは出来ないし、下の世代も増えてきた」
「最近はどうだ?」
「うちは日米豪の合同演習に向けて射爆訓練を結構やってたんだ。何トン落としたか覚えてないよ。その合間に《あかぎ》の試験支援さ。そっちは?」
「こっちはエレメントリーダークラス総出で若手の錬成だ。すぐにまた東シナ海でデプロイだよ」
「またか。この前の話聞いたぞ」
麻井がにやりと口元を吊り上げた。
「何?」笠原は怪訝な表情を浮かべた。この手の顔をするときはろくなことを言われない。
「殲撃20をサンドイッチにしたんだって?」
「くそ、誰に聞いた」
「殲撃20だぞ。よっぽどぼうっとしてる
この分だと大半の者たちに自分の所業が広まっているに違いない。麻井は続けた。
「新人の教育をやってるわりにはウィングマンはどうなってるんだ、黒江二尉とは」
麻井の視線の先にはスポーツドリンクを片手に佐渡と話す黒江の姿があった。腰に片手を当てて立つ姿は凛々しく、勇ましい。
「知ってるのか」
「おいおい、俺達とは区隊は違うが同期だぞ。それにただでさえ少ない女性パイロットの中でもあれだけの美人だ。民間からの取材も受けてるし、広報誌にだって載ってるよ。知らないパイロットの方が少ないんじゃないか?相当な手練れだし。お前、モグリじゃないのか」
航空学生教育隊に同期で入ったということは、十八歳から二十歳になるまでの時期をともに過ごしたというだけではなく、仲間がパイロットとして不適格という烙印を押されて脱落していく中、ともに戦々恐々としながらも、励まし合い、操縦課程をこなしてきた仲間だった。第一線の飛行隊に配属される以前に、すでに厳しい競争を生き抜いてきた戦友ともいえる間柄になっている。
笠原は航空学生時代の自分を思い返して溜息を吐いた。笠原はパーソナリティに問題があると言われ、仲間意識も希薄で一人で黙々と教育に当たっていた。というよりは仲間に気をかけるほど余裕が無かったと言える。
高校は県内有数の進学校に進んだが、授業について行くのに精一杯でいくら勉強しても成績はいつも上位に食い込む手前程度で、劣等感を持ち、自信がなく、ネガティブ思考だ。麻井はそんな笠原にも積極的に声をかけ、同期の輪に加えてくれた。
「人を気にしてる余裕なんて無かったぞ。日々ケツに火がついてたからな」
笠原は熱心に黒江を見ている麻井に、黒江がマスコミからの質問に真っ直ぐで素直な返答をしている姿を想像しながら言った。どうせ下世話なマスコミが期待しているような返答はしなかっただろうなとも思う。だが、自分に対してよりは愛想よく答えるに違いない。
「シャドウは、座学はともかく操縦は上位だっただろ」
「そんなこと無い。実習じゃいつも襤褸くそに言われてたよ。俺は修正力が低かったからな。休んでる暇も無かった。話も合わなければ俺だけガラケー使ってて馬鹿にされたっけ」
「休みくらい外で食いに行こうって言ってもメッセージアプリをそもそも入れられる携帯じゃないからいつも俺が声かけに言ってたんだぞ。それを無下にしやがって」
麻井の言葉に笠原は苦笑した。足繁く麻井は笠原を誘いに来てくれたものだ。そこでようやく記憶の片隅に黒江の面影がよぎった。
「そういえば、いつも食堂で飯食ってる別嬪がいたっけ」
「休日も基地に籠って自主練してたのなんてシャドウや黒江くらいだったからな。黒江は努力家って言われてシャドウだけ根暗って言われたよ」
「残酷な同期どもめ」
笠原と麻井は笑った。
「黒江とお前じゃ仕方がない」
「黒江に気があったのか」
「まさか。他の連中は皆玉砕してたけどな。あの頃から俺は今のかみさんと付き合ってたんだぞ?」
麻井は笑った。麻井は妻帯者だ。人前に出るのに向かない自分をこの男は結婚式の披露宴に引っ張り出してスピーチまでさせた。今ももっと適役がいたと引き摺るように思っている。
「奥さん、元気か?」
笠原は話題を変えた。これ以上黒江の話をすると気が滅入る。
「ああ。今二人目がお腹にいる。妊娠二ヶ月だ。実家に返した。そばにいてやれなくて辛いよ」
麻井は少し寂しい笑みを見せた。笠原はふんと鼻で笑う。
「のろけやがって。子供生まれたら連絡してくれ」
「ああ。出産祝いを待ってるよ。現金で良いぞ」
「ちゃんと奥さんに渡すよ」
「お前なぁ……財布を握られてる俺の立場も考えてくれよ。明後日に帰港なんだ。飲みに行かないか?」
「おいおい、ちゃんと家族サービスしろよ。俺にスピーチまでさせて別れるなんて許さないからな」
「まだ根に持ってんのかよ……悪いが、俺だってお前よりも家族優先だ。だから家に来いよ。嫁も喜ぶ」
「お前の奥さんに気を使わせたくない。子供が生まれて落ち着いたら行くよ」
笠原は肩を竦めた。初対面の頃、麻井の妻は笠原にかなり恐縮していた。
「そしたら飲みに行こう。おごるよ、今回手当もついたし」
「大事に取っとけ。これから大変だぞ。そんな金があれば奥さんに何かプレゼントでもしてやれ」
養育費はいくらあっても足りない。麻井は野球をしていたから子供が男の子なら野球をさせたいはずだ。麻井の妻は吹奏楽を趣味としているので、習い事で音楽などもさせたいだろう。ふと笠原は麻井が美人の妻と子に囲まれた幸せな家庭の中にいる姿を思い浮かべた。羨ましいと素直に思う。
自分の未来にそんな光景はあるのだろうか。暗く冷たい家に帰る孤独な自分の姿しか笠原には想像できなかった。それを望んだわけではないが、そうなるしかないと笠原は諦めている。
自衛官は普通の国民ではない。国家公務員であり、国際的には軍人だ。国をつつがなく運営して、国民の生活を守っていく義務を負っている。だからいざというときは、真っ先に死ぬ覚悟をしていた。
覚悟というのは簡単には言うが、自分が信じる正義のためなら命を惜しまないという信念だ。信念が揺らぐようなものを笠原は背負っていない。
麻井と自分のどちらかが死ぬなら自分が死んだ方がいい。
今時、時代遅れだと言われる。別に特攻がしたいわけではないが、国を守るということは命がけだと考えている。そんな自分が真っ先に死ぬことも厭わずに戦うためには後顧の憂いはない方が良い。他人を幸せにすることは出来ないが、他人の幸せを守るのが自分の義務だと言い聞かせてきた。
映画やドラマのハッピーエンドのように幸せな家庭を持つことが人生のすべてではないはずだ。だから自分は誰よりも任務に適している。そして強くならなくてはならないのだ。それは使命感というよりも義務感だった。
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