エンゲージ――交戦宣言――

PhaseⅠ act1-3

中華人民共和国北京市

中南海

July 16.2024

　中国三千年から四千年の歴史の中でも栄華を極めた北京の街は寝静まることを忘れ、活気に満ちている。一万人に達するとみられる市民がプラカードや旗を掲げ、抗議活動を行っていた。

　台湾独立容認への反対、香港への諸外国の干渉の反対、米国による経済制裁への反発、主義主張は様々だったが、それが暗に中国共産党政府を批判しているのは明らかだった。爆発的増長を続けていた中国経済に陰りが見え始め、米国はここぞとばかりに中国への経済的圧迫を強め、攻勢に出ている。米国を中心とする欧米諸国の政府系機関を中心に中国製品排斥の動きも見られ、それはオーストラリアや日本でも起きつつあった。

　中南海。中国共産党中央と中央政府が置かれた中華人民共和国の中枢。その一室では国務院――日本の内閣に相当――の一部国務委員や党中央の高官や部下らが集っていた。

「もう寝る時間だというのに熱心なことだ」

　国家主席の肩書を持つ男は不敵な笑みを浮かべて呟いた。

「夜間外出禁止令を発令いたしましょうか」

　国家主席の言葉に反応したのは淡白な表情の国務委員公安部部長だった。

「そうした強権的なやり方が反感を呼ぶ。……まったく自由主義という毒はおぞましい」

「党の権威が落ちていると謳う愚か者もいる」

「しかし、連中の怒りの矛先を変えることしか出来ないのではな」

　欧米諸国、そして日本への怒りの声は高まっている。政府は共産党員を動員し、その怒りの矛先を政府ではなく、外国へ向けることに注力していた。とてもデモ活動を警察力で抑え込むには国民の怒りは沸点に近すぎた。

「権威が落ちている……か。我が国がどれほど強大になったのかを実感できていないのなら可哀そうな者だ。今や世界二位の経済力と軍事力を擁した中華人民共和国はこれからも発展を続けていくというのに」

　国家主席は嘲笑の笑みを浮かべながらコーヒーカップを取った。

「香港のように民主主義に毒された者達には我が党のやり方は古く見えるのだろう」

「正義の民主主義か。民主主義の弊害を見て見ぬふりして社会主義を批判するのなら誰にでも出来る」

「台湾島の反乱分子が正義面をしていられるのも我が党が寛容であるということを忘れているからだ」

「そう……我が国が強く、正しく発展していくためには台湾や香港のような不穏分子の問題は早期に片付けるべき課題だ」

　国家主席は微笑みながら会議に参加する者たちを見渡し、続ける。

「汉堡包（ハンバーガー）食いの豚どもの干渉を避けてそれらの課題を解決して我が国が発展していくためにはまず攻略すべきは台湾、そして日本だ。国防部とも相談を続けていたが、豚どもが減った今、第一列島線を確保するのが先決だという結論に達した」

　盛んに自分たちの意見を発言していた党委員や政務委員たちは黙って国家主席の顔に注目した。

「どうかな？」

「賛成です」

　外交部部長が即答する。

「現状、琉球本島をはじめとする南西諸島は、中国大陸を邪魔する蓋そのものであり、台湾の反乱分子を片づけるにもこれらの島の確保は必要不可欠だ。在日米軍が縮小している間に片をつけなくては再び脅威になるのも連中の選挙次第だ」

　米軍の世界規模の再編が行われている今、再び戻ってくる米軍はさらに最新鋭の装備を整えてくる可能性もある。現民主党はリベラル派政党で経済的な問題から中国への対応を軟化させつつあるが、国内経済が回復せず支持率を勢いよく落としている。

　アメリカンファーストを唱えた共和党が政権に返り咲けばアジア太平洋地域への影響力を回復させるために軍備を増強し、南シナ海をはじめとする中国包囲網を強める可能性が高かった。

「その通り。作戦は台風の季節が到来する前に実行します。連中が増援の準備を整えたころには天が我らに味方する」

　そこで発言したのは中国共産党中央軍事委員会委員の国防部部長だった。

「性急ですね」

　始めて聞かされた公安部部長を始めとする高官らは戸惑っていた。特に中央銀行金融政策委員は顔を強張らせる。

　日本単独と戦争をすれば共産党軍の勝利を疑わないが、もし長引けば中国経済に大きな影響を及ぼすことになる。大陸国家である中国だが、貿易は海運が大半を占めている。文字通り中国に蓋をしている日本が粘れば輸出入には致命的な影響を及ぼすだろう。そして米国が介入に乗り出せば戦力比は覆る。

「この作戦は速度が肝となる。迅速に行動し、既成事実を作り、実効支配を認めさせなくてはならない。美国の介入の隙を与えずにな」

　穏やかな表情の国家主席の決心に金融政策委員は凍り付いた。