PhaseⅠ act1-2
太平洋
July 16.2024
太平洋上の高度一万二千フィートの空を、二機の
編隊飛行では、特別なことが起こらない限り、無線交信をすることなく、ウィングマンがリーダーにぴったりと歩調を合わせて飛ぶことが要求された。速度の遅いプロペラ機であれば、リーダーの動きを見ながらスロットルレバーを動かしても間に合うが、ジェットでは常にリーダーの考えを読み、早め早めに操作をしなければならない。ファイター・パイロットの世界では、ひな鳥の時代から、編隊飛行を繰り返し叩き込まれる。リーダー機を見つめながら随伴飛行することは第二の本能といえるほど身に付くまで訓練されていた。
リーダーを務める高平は二機編隊長資格取得に向けた練成を続けている身だ。そんな高平を普段なら見守るような気持ちで見ているが、今は厳しい眼差しを向けていた。
耐Gスーツとサバイバルベストに身を包み、
対抗役となるのは因縁の同期である藤澤と高平の同期である福原。藤澤には意地でも負けたくない笠原はかなり気を張り詰めていた。
今回の訓練は
レーダーの発達やミサイルの技術が進歩した現代の空戦は、ほぼ
今のミサイルも万能ではない。最大射程ギリギリで撃てばミサイルの届かない距離に逃げることが出来る。そのため最大射程の約半分ほどの必中距離まで接近して確実に仕留める手法もある。しかしそれは自ずと敵機の射程にも入ることになり、自機も危険に晒されるのだ。また接近すれば格闘戦は避けられない。
特に自衛隊は専守防衛──つまり常に先制攻撃を封じられているため、日常的に行われている対領空侵犯措置も含め、未確認機に接近して目視で正体を確かめ、警告しなくてはならない。そのため、現代も未だにACMは基本中の基本として重視されている。このACM訓練は艦上航空機パイロットにも必須の項目なのだ。
この
また敵が高性能なステルス戦闘機である場合、レーダーにも映らず、IRSTでの探知も難しくなる。目視に頼った索敵では目標との接触の際、すでに格闘戦の間合いに入っていることもある。
『シャドウ、こちらガイ。アットユア・スリー・オクロック、ロー』
藤澤から無線が入る。三時方向の下方から藤澤と福原のラファールが接近してきた。
二機は
『レディ……ブレイク、ナウ!』
藤澤が声を張り上げ、笠原と高平は左へ急旋回し、藤澤と福原は右へ急旋回する。
『ファイツ・オン!』
高平が声を張る。二機はお互いに分かれる様に旋回する。笠原は高平に合わせてラファールを急旋回させた。
ドッグファイトで重要な要素は速度と高度だ。旋回のたびに速度は失われ、高度を速度に変換したり、速度を高度に変換しながら戦うことになる。正面からミサイルを撃ち合える現代でもミサイルを必中させるには後方からの攻撃が有効だった。その後方を奪い合うのに必要な要素である高度と速度を保ち続けなくてはならない。
体をGが締め付ける。Gメーターは4G、5Gと徐々に上がっていき、体重は四倍、五倍に感じられる。耐G呼吸をしながら笠原は敵を警戒するために首を回す。戦闘機パイロットは上空、左右と絶え間なく首を回して警戒するためにフライトスーツの内側に首が擦れ、皮が剥けることさえあった。現代になっても
ハイネックのコンプレッションシャツで首を守った笠原が首を回して警戒する視界の中に何か違和感を覚えた。
『
高平が叫ぶ。笠原と高平は
『シャドウ、オフェンシング・スプリット』
オフェンシング・スプリットとは二機編隊の戦法の一つだ。先行する一機が敵編隊の前を通り過ぎて囮役となる。囮を追尾し始めた敵の後方にもう一機は回り込み、敵が囮を無視するようであれば、囮役の機が後方へ回り込む。
笠原は高平の指示に思わずニヤリと口元を歪めた。
(その意気やよし!)
「ウィルコ」
了解実行すると答え、笠原は緩やかなバンクを取って旋回する。
対抗機の姿を目の端に捉えながら笠原は急旋回する。一機の対抗機が加速し、笠原を追ってきた。
(……一機?)
福原のラファールのみが高平を追尾しにかかった。藤澤機が笠原のラファールを追ってくる。ここでの順当な行動であれば笠原を二機で追い、その二機の後方を脅かそうとしてくれば二機で対処する。非効率なようだが、性能差が大きくない戦闘機同士であれば一対一では決定打を得られず戦闘をいたずらに長引かせ、時間と燃料を浪費しかねない。福原であればまずはセオリー通りの対処を行うはずだった。
(フクの指示じゃない)
福原たち被教育者が編隊長として指示を出し、その援護に徹するのが藤澤たち教官サイドの役目のはずだ。
「あのヤロウ、なに考えてやがる」
笠原はスロットルを押し込んで機首を巡らし、大G旋回で高平の援護に向かった。
「カーン。ボギー、
高平に警告していると敵機からの攻撃レーダー波を
『シャドウ、
「シャドウ、
笠原は、高平が状況を掌握していることに満足しつつも、藤澤機の動きに苛立ちを覚えていた。
「何やってるんだ、あいつ……」
笠原は吐き捨てながらも冷静に対処する。対抗機と二番機の双方を視界に入れながら戦わなくてはならない。高平が今、懸命に編隊長としての務めを果たしながら頭をフル回転させて戦術を練っていることは想像がついた。笠原は操縦桿を引き、上昇に転じた。すぐ頭上の雲を突き破り、そのまま
『カーン、
高平が福原と交戦している。笠原は大Gに耐えながら再び雲を突き破り、追ってきた藤澤機の左後方に回り込む機動を取る。藤澤は六時方向を取られまいと左旋回に入り、笠原は藤澤機が旋回する円の右に飛び出しながらも追い縋る。
「こっちは
『ラジャ。シャドウ、こっちに来てくだ……来い』
慣れない命令口調で高平がGに耐えながら指示する。その間に藤澤機は笠原を振り切ろうと急降下する。笠原は藤澤を追尾しつつ高平を確認しようとするが、視界に捉えることが出来なかった。笠原は適当に藤澤を追いかけ回すと反転し、高平の援護に向かった。
高平と福原は尻の奪い合いの最中だった。
「カーン、良いぞ。Gを緩めるな。すぐに援護ポジションにつく」
笠原は福原の回避する方向へ回り、プレッシャーをかけた。高平はジッパーコマンドで辛うじて応答する。福原は接近する笠原のプレッシャーで高平に対して無防備に後方を晒した。
『……
高平が赤外線誘導空対空ミサイルの発射をコールする。ただし、これは訓練なのでもちろん発射されることはなく、攻撃レーダーでロックオンした、というコールだ。この訓練でのロックオンが表す意味は撃墜。つまり死刑執行済みという判定となるため、福原は旋回機動を止めて作戦エリアからの離脱を開始した。
喜ぶ間もなく、笠原の後方に藤澤機が回り込んだ。
「シャドウ、
笠原は急旋回で回避機動を取る。藤澤のついたポジションは絶好の位置だった。笠原はすでに速度、高度共に藤澤に劣る。藤澤の位置は福原に対し、攻撃を仕掛けている最中も気にかけていた。
『シャドウ、レフト・ブレイク』
高平が息切れした声で指示する。笠原はその声を聞く前から左に急旋回を行う。急旋回している笠原はアフターバーナーを点火していたが、速度が回復する前に藤澤は笠原の機動に割り込み、旋回半径の中に入ろうとしていた。
「くそ……」
最新の空対空ミサイルのシーカー視野角とHMDを使えばオフボアサイトで真横にいる敵機も撃つことが出来るが、訓練では敵機の後方を取って攻撃するしかない。笠原の反撃手段は無かった。
高平も反転して直ちに援護しようと向かってくるが、その機首がこちらを捉える前に藤澤機が笠原にかぶさってくる。
耳元に攻撃レーダーが自分を捕捉し、ロックオンしたことを知らせる耳障りな警告音が早鐘を打つように鳴り響く。笠原は藤澤にロックオンされた。
笠原を撃墜した藤澤はその後、高平と一対一のドッグファイトを繰り広げた。一対一となれば性能差の無い戦闘機同士で戦うのは純粋なパイロットの技量の勝負となる。機体を手足のように操ることが出来る操縦経験の豊富なベテランパイロットとラファールへの機種転換訓練を終えて一年が経つばかりのパイロットでは圧倒的な差だだった。
着陸し、基地に帰投した笠原はラダーが渡されるなり、機体を飛び出すように降りた。怒気滲む表情の笠原に機付長の渡辺三曹がたじろぐほどだった。
「これで勝ち越しだな」
にやりと笑った藤澤が捨て台詞を吐きながらウィングマンを務めた福原の方へ歩いていく。
「すまないな、援護が間に合わなかった。でも良い動きだったぞ」
「あ、はい」
純粋で気弱な福原は複雑な気分だろうが、笑みを浮かべている。空では我慢できても地上では無理だ。笠原は怒りを爆発させた。
「どういうつもりだ、ガイ! これはこいつらの教育なんだぞ! 明らかにフクをおとりにしただろうが!」
笠原の鍛えられた腹筋によって腹から出た怒声は広い飛行場にもよく響いた。何事かと海自の隊員がこちらを振り返っている。藤澤は明らかに福原を見捨て、笠原の撃墜を優先していた。
「負け犬の遠吠えほどみっともないのはないぜ、シャドウ。負けたからってムキになるなよ」
嘲笑混じりの藤澤に笠原は掴みかかってやりたかった。
「指導ったってカリキュラム通りに進めるだけしか能にないのか。時にはリーダーの見本も見せてやらないと駄目だろ」
「それを判断するのは貴様じゃない」
「先輩、行きましょうよ」
笠原の顔に若干怯える高平が笠原をなだめる。笠原はクソッと吐き捨てるともう一度藤澤を睨んでから高平と共に大股で指揮所へ歩いていった。
無性に腹が立った。藤澤のような、自分の立場と責任、そして何を優先すべきかを理解していない男が同僚であることが許せなかった。
戦闘機パイロットは国を背負って飛んでいるのだ。そして同じく国を背負って飛ぶことになるパイロットを育てなければならない。それは使命であり、義務だと笠原は考えていた。
デブリーフィングには四人のデブリーフィングをさらに指導する立場で今井一尉と安藤一尉も同席していた。
高平が進行役を務めたが、高平はいつも以上に冷静かつ的確に説明している。高平の冷静さが逆に笠原の血を冷ました。自分のとった行動、そして僚機への指示、僚機の行動等を客観的に説明している。あの空戦の中でそれをすべて把握しながら戦っていたと思うとやや心強く感じ、同時に自信を取り戻した。
自分は被教育者の教育に集中すればいい。他のことに気を取られる必要はないのだ。
高平たちの報告の後、笠原は淡々と指導事項を述べ、福原に質問した。
「お前は編隊をコントロール出来ていたのか?」
「いえ、ウィングマンと分断され、自分が間違った指示を……」
「無線を聞いていた限り、お前の指示と判断は間違っていない。ウィングマンが
「はい」
福原を励まし、藤澤には精いっぱいの皮肉を送っておく。
「ガイ、お前の行動はリーダーとしてのフクの行動を確認するための意図したものか」
黙って聞いていた今井が突然目を細めて聞いた。思わず藤澤だけでなく笠原も緊張する。二機編隊長である笠原も藤澤も四機編隊長資格を持つベテランの今井や安藤を前にすれば吹けば飛んでいくような存在だ。
「はい。フクは先入観や固定概念に囚われやすく柔軟さが足りず、応用が利きにくいため、それを打破したく行動しました」
辛うじて藤澤はたじろがずに答えているのが分かった。
「フクの技量に合わせた段階的な訓練が必要なことは分かっているな」
「はい」
藤澤は堂々と返事をする。デブリーフィングを終えると安藤が笠原の肩を叩いて引き留めた。そして他の者達に聞こえないよう話しかける。
「感情的になり過ぎだぞ、シャドウ。自分が正しいと思っていても怒りに任せて感情をぶちまける奴にリーダーは務まらない。気を付けろ」
「はい」
エプロンでの笠原の言動はすでに安藤にまで伝わっているらしかった。笠原は自分の行いを恥じ、顔が熱くなるのを実感する。
「頼むぞ」
安藤は再び労いを込めて笠原の肩を叩くと出て行く。
今井に釘を刺され、真剣な表情をしていた藤澤だったが、安藤と今井が出て行くと、笠原には悪びれることもない態度で、挑発するような目を向けてきた。
「懲りない野郎だ」
笠原は藤澤の去ったブリーフィングルームで舌打ちをした。
「そんなカッカしなくても。訓練じゃないすか」
高平がデブリーフィングをまとめた記録簿をファイルに入れながら言う。笠原は丸めたノートで高平の頭を叩いた。
「イテ」
「バカ野郎。ファイターパイロットが勝ちにこだわらなくてどうするんだ。訓練であんなのに負けてんじゃねぇよ。だからお前はトン・チン・カーンなんだ」
高平のTACネームは元居た部隊に三人の新人として配属された際に三人まとめて適当に決められた杜撰なTACネームだった。TACネームを変更することもできるが、その場面は限られているし、相応の技量があって部隊に認められなければ自分の希望は叶わない。高平はTACネームを早く変更するためにも早く強くなりたいと常々言っていた。
「勘弁してくださいよ。経験が違うじゃないですか」
飛行時間がものを言うのがパイロットだ。だが、笠原は自分よりもベテランのパイロットととも互角に戦えることもあると自負していた。
「そんな言い訳は聞きたくない。お前は有事で飛行時間が倍以上の敵と当たった時にそう言って言い訳するつもりか? シミュレーターの申請書類書いとけ。明日の課業外に補備やるぞ」
「えぇー、まじすか」
「ぶっ飛ばすぞ、お前」
笠原はもう一度ノートで高平の頭を叩いて凄むとブリーフィングルームを出た。被教育者の高平は清掃当番だ。
天気予報通り天候は悪化し、雨が降ってきた。笠原は事務室に使用したファイルを戻し、訓練報告などをまとめると一人、飛行隊の
エプロンから撤収された機体がハンガーにはひしめいていた。今は整備員達の姿はなく、第三ピリオドの機体の点検に当たっている。
厚木基地は全国の基地同様、戦闘機部隊用に掩体化されたハンガーが整備されつつあったが、まだ一個飛行隊分の建設しか終わっていなかった。第101飛行隊もしばらく掩体運用は行われない。
笠原は今日乗った機体を見上げた。
F-27A戦闘機928号機。
ラファールの愛称で呼ばれるフランス生まれ、日本育ちの戦闘機は実に優美な曲線美で構成された機体だ。日本では平成27年度制式配備されたことからF-27Aと呼ばれ、空対空兵装以外にも対地・対艦等多様な兵装を使いこなすことの出来る
日本ではこれまで戦闘機の更新の度に欧州の戦闘機もその候補にはなっていたが、採用されなかった理由はこうした規格の違いにより整備基盤が流用できない点もある。
フランスは過去の採用実績が無い日本への売り込みには当初消極的だったが、日本が導入する空母型護衛艦の規模が自国の
F/A-18Fを下して採用された経緯は偶然だったが、最大限日本の要求に対応したラファールはまだまだ運用面で課題はあるものの、稼働率も高く維持され、性能面でも現場では満足されている。
しかし、こうして航空自衛隊はF-15、F-2、F-27、F-35と戦闘機だけでも四機種(正確にはF-15JとF-15EJ/FJ、F-35AとF-35Bを含めて六機種)を運用することとなり、現場は悲鳴を上げている。まず飛行隊新編によって、ただでさえ充足率の低いパイロットの数が足りない。航空学生の採用枠と教育の規模は大幅に増えたが、採用水準を落とすわけには行かず、女性の戦闘機パイロットへの採用も認められた。充足されても機種転換訓練が間に合わないため、F-2とF-35への機種転換訓練は米国でF-16戦闘機やF-35戦闘機を使って実施されていた。
整備する側にも大きな負担がかかっている。空自の術科学校だけでは不足するため、やはり米国に赴いて整備を学ぶことになる。
真新しかったラファールも笠原が来てからだけでだいぶ使い込まれ、相当な稼働率を保っていた。
笠原は機体の外部点検をして回った。苛々してもこうして自分が没頭できることをしていれば気が紛れる。しかし、そんなことばかりしているからデスクワークは溜まるのだった。
「シャドウ、また整備か」
秋本の声が聞こえて笠原が振り返ると機付長の渡邊三曹と共に秋本が格納庫に入ってきた所だった。
通常機体の整備は一機につき、大体三名で行われる。一名はその機体の専属である機付長で、先任となってあとの二名を束ねて整備を行う。愛機を持つのはパイロットではなく、機付長だけだった。
「これはルーチンワークの一つだろ。時間かけてるだけだ」
笠原は目もくれずに機体を見ながら答えた。
「相変わらず険しい顔だな」
「聞き飽きたわ」
笠原は機体の点検を終えて格納庫脇のベンチに座る。降り頻る雨の音が落ち着く。
「ほれ」
秋本が投げて寄越したのは自販機に売られるパックの牛乳だった。渡邉にはバナナオレを奢っていた。牛乳パックを見つめてしばらく笠原は固まった。
カルシウムとれってか。
「今日の笠原二尉は自分がここに来てから五番目くらいに怖かったですよ。ビビりました」
「そんなにキレてねぇよ」
笠原はため息を吐き、パックにストローを差して牛乳を吸う。よく冷えていて喉越しが良い。心なしか張っていた肩の力が抜けたような気がした。
「笠原二尉は熱いですよね、いつも」
「あんなんしょっちゅうだろ。血の気が多くて脳ミソがターボ・ファン・エンジンなんだ。すぐ血がアフターバーナーになる」
「うるせぇな」
笠原は機体を見上げた。真剣なだけだ。心の中で笠原は呟き、悶々とした顔で牛乳を飲む。
一つ一つのフライトがステップアップに繋がる大切な訓練だ。一秒たりとも無駄な時間はない。真剣にならなくてはならないのだ。笠原はそう信じていた。
「藤澤二尉とよく対立されてますけど、性格の問題なんですか?」
渡邉に率直に聞かれ、笠原はストローから口を離す。これが高平だったらあしらえたが、自分の機を整備する機付長とあってはそれはできない。
「それもあるし、俺はあまり冗談が通じない固い奴だからな。それに育った畑違いもある」
「畑違い?」
そこからは秋本が語った。
「シャドウは
日本で行われる艦上戦闘機操縦課程の教育は一年に二回、艦上航空隊と専門の教育隊で行われているが、それでも艦上航空隊の人員を揃えるには足りない。米国に渡って同等の教育を受けてくるパイロットが現在の艦上航空隊の六割を支えている。米国は空母を十二隻も保有し、本土にも訓練施設がいくつも存在する。規模が日本とは全く違うのだ。
中には訓練の最中、乗っていた空母が任務でインド洋や地中海入りしてしまい、“貴重な経験”をしてくる者もいたりする。日本は第二次世界大戦後、空母の運用は途絶えたが、米国は空母を運用する規模も違えば歴史は長く、ノウハウも異なる。
そして現在も実戦を行っている米軍と、戦後七十年以上実戦を経験していない自衛隊では新しい戦術を取り入れているのがどちらなのかは明らかだ。
「へぇ……」
「日本組のシャドウの同期はこの隊にはいないから立場はあんまりよくないってだけだよ」
笠原はつまらなさそうに滑走路の方を眺めていた。
「もう一か月も経たないうちに“
「ぬかせ」
笠原は言うと腰を上げた。
「どこ行くんだ?」
「売店。これからデスクワークだ」
笠原がそう言うと秋本は納得した。笠原は決まってデスクワーク前に甘味を買って冷蔵庫に入れておき、デスクワークが片付いてから食べるという習性があり、飛行班の大半の者が知っていた。例によって藤澤はそれを女々しいと小馬鹿にしている。
秋本と格納庫を後にした笠原は厚生センターに入る。厚生センター内にはコンビニのような売店や食堂、床屋や本屋等、色々な店が揃っていた。
笠原は売店でミルクティーと無糖のコーヒー、消費期限が近くなって安かったエクレアなどを、秋本は少年向けの某漫画週刊誌を買い、飛行班の事務室に戻った。
ワイズこと
「おお、シャドウ。班長が探してたよ」
「了解です。お気をつけて」
「ああ」
背を向けながら手を上げて応え、救命装具室へと向かっていった。笠原は事務室に入り、奥の飛行班長の机に向かった。
「シャドウ、ちょうど良かった」
的場三佐は机のラップトップに向かっていて笠原に気付くと目線だけ上げた。
事務室の飛行班長の机にはF-27A戦闘機とF-15DJ戦闘機、F-2A戦闘機のプラスチックモデルが置かれていた。F-15DJはかつて的場が所属していた飛行教導群で乗っていた機体で、独特な迷彩パターンが施されていた。
「なんでしょうか」
「来週、転入者が時期を早めて着隊することは知っているな?」
「はい。デプロイ前に202飛行隊から二名来るとか」
百里基地に新編された第202飛行隊から二名異動してくることは承知の通りだ。第202飛行隊は第301飛行隊及び第302飛行隊がF-35A戦闘機に機種更新するに当たり、余剰となったF-27で急遽発足した飛行隊だった。艦上航空隊編成までの繋ぎだったはずだが、航空自衛隊の編成増強によって艦上航空隊に吸収されることなく、第七航空団の飛行隊として歩み始めたという経緯がある。
F-27を運用しているため、有事の際は艦上航空隊の増援や航空護衛艦を利用して補給や中継等を行って作戦に当たることが想定されており、パイロットは艦上航空隊同様、艦上戦闘機操縦課程を経ている。
「その二人の戦力化訓練をデプロイ後、計画している。教官はお前とワイズだ」
「冗談でしょう?」
笠原は思わず声を上げた。二名とも高平ら若手パイロットとは訳が違う。
「ひとりは二尉でお前と同期だったな、確か」
「なおさらです。むしろ自分が教えてもらいたいくらいですよ?」
「フライト・リーダーへの試練の一つだと思え。カーンの教育はブッカー達に任せる」
笠原にとって高平を戦力化するのは当面の目標だった。これから面倒を見るのは、
そんな転任者のことよりも笠原は残された日数で高平にどれだけのことを自分が教えることができるのかを考えていた。できる限りのことをして引き継ぎたい。
「お前ももう少し大人な対応ができるよう学べることは学べ」
東シナ海での殲撃J-20の要撃の件を言っているのだと思うと笠原は顔に血が昇るのを感じた。
「行け」
「戻ります」
笠原は脱帽時の姿勢を正して頭を下げる敬礼をすると的場の机を離れた。
最近は教える立場だったが、自分も訓練を経て学ばなくてはならないのは確かだ。笠原は重い腰で自分の机に戻り、デスクワークに取りかかった。
笠原がデスクワークに戻ったタイミングで第101飛行隊の隊長室には的場三佐が訪れていた。隊長室は常日頃から開け放たれていて、布施は顔には似合わず風通しの良い部隊を作ろうとしている。文書の決済など、業務的には役に立っていたが、隊長室を気軽に訪れる者はいなかった。
防衛大出身の布施はF-2からF-27に機種転換したパイロットだ。飛行教導群出身でF-15パイロットである的場とはお互い異なる視点で意見を出し合って部隊の運用を行っており、的場の意見を布施は参考にすることが多かった。
「新たに転入するパイロットですが、一名は遅れることになりそうです」
「そうか。
第101飛行隊では技量回復訓練に専属のパイロットをウィングマンとして組ませ、教官役と被教育者の両方のスキルアップを図っている。教官役となるのはフライト・リーダー資格取得を目前に控えたベテランパイロットが多い。
「最初に到着するパイロットですが、シャドウと組ませます」
「シャドウと」
布施は意外な顔で的場を見た。まだ二等空尉の笠原のフライト・リーダー資格取得は先だ。ファイター・パイロットとしての能力とその気概は布施も一目を置くパイロットだが、性格には難があると言わざるを得ない。
「シャドウですが、人を育てるのに適しているとは言えません。妥協を許さないキツイ性格です。そして今回転入してくるファルコですが、なかなか難しい性格をしているようです」
隊員の身上書はすでに部隊に届いている。性格や上司の所見や指導等も記録されており、指揮官達はすでに目を通している。
「毒を以て毒を制す気か?」
「互いに成長できなければ今後のアビエイターとしての成長も望めません」
「荒療治になるな」
「同意いただけますか」
布施は的場を意外な目で見ていた。
「お互い反目しあってチームワークが乱れるのは避けたいが、ダメージコントロールは考えているんだな?」
「はい」
布施は迷わず答えた的場に頷いた。そこまで言うなら隊長は部下を信じるまでだ。
「一任する」
「ありがとうございます」
的場が立ち去る後姿を見ながら布施は笠原を思い出す。飛行中の戦闘機に異常接近と言っても過言ではない危険な飛行をしてまで領空への侵入を阻止しようとする気概。それは評価できる。しかし自尊心が強い笠原は自分にも相手にも求めることが大きすぎた。馬が合えばいいが。
新しくやってくるパイロットの身上書の内容を思い出して布施は嘆息した。
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