PhaseⅠ act1-1
日本国神奈川県
厚木飛行場航空自衛隊艦上航空隊第101飛行隊
July.16 2024
神奈川県に存在する唯一のジェット機が離着陸可能な飛行場、厚木航空基地。この厚木と名がつく自衛隊及び在日米軍の航空基地は綾瀬市と大和市に跨がる位置に存在し、厚木市との関連性はない。
ここは旧日本海軍が、主に東京防衛の拠点として一九三八年に着工、一九四二年に完成させた飛行場だ。東京に最も近い海軍の航空拠点として重視され、整備訓練航空隊である相模野海軍航空隊や戦闘機操縦士練成部隊である厚木海軍航空隊が置かれた。太平洋戦争後期に防空隊である三〇二空が開隊して以降は、陸軍の調布飛行場、柏飛行場、松戸飛行場、成増飛行場などと並び、首都圏防空の要となった。そして日本がポツダム宣言を受託してからはアメリカ軍の基地として使用され、その後海上自衛隊も運用を開始し、再び日本の翼が羽ばたくようになる。
在日米軍が財政難から縮小再編され、米海軍第五空母航空団が岩国に移駐してからは戦闘機部隊の配置は途切れたが、自衛隊が航空母艦型の護衛艦を配備するとその艦上航空隊がこの厚木基地において発足した。
航空母艦型護衛艦、いわゆる空護配備のきっかけとなったのは二十年以上前に遡る。
二〇〇一年、那覇空港が民間機の事故によって閉鎖され、那覇の航空自衛隊第83航空隊が対応できないタイミングで中国軍機が領空侵犯し、在日米軍嘉手納基地を偵察するという事件が起きたことを皮切りに、南西方面及び太平洋の防空態勢の欠点や複数事案対処の観点から、対領空侵犯措置が可能な固定翼戦闘機及び早期警戒機の運用能力を持った航空母艦型護衛艦の取得の検証が開始された。
早期実行の可能性があるプランとして、開発中のSTOVL(短距離離陸・垂直着陸)ステルス戦闘機であるF-35Bを調達し、当時13中期防において計画されていたはるな型
ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦として就役した16/18DDHに続き、しらね型ヘリコプター搭載護衛艦の後継となる22DDHは、航続距離と搭載兵装の拡充を図るため、固定翼艦上戦闘機及び早期警戒機の運用能力を持った本格的な
飛行甲板に船首方向に対して斜めに配置された固定翼艦上機の着艦用飛行甲板であるアングルドデッキを備え、カタパルト二基を装備し、DDHからDDVへ艦種を変更した戦後初の本格的な航空母艦となるいずも型航空機搭載護衛艦が建造された。
ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦はあくまでヘリコプター搭載護衛艦としての体裁の元、F-35Bが調達可能となるまでヘリコプター搭載護衛艦に徹した一方、その次級となるいずも型航空機搭載護衛艦は、E-2C早期警戒機等を運用可能な航空基地機能を求められており、当初から固定翼機を運用する前提で建造されていた。いずも型の進水に先立ってその艦載機の選定が行われ、E-2Cの後継としてE-2Dが採用された他、艦上戦闘機はF-35の
その候補となったのは米海軍が運用する大型の艦上戦闘機ボーイングF/A-18F戦闘攻撃機とフランス海軍が運用する機体規模は比較的小型なダッソー・ラファールM多用途戦闘機だったが、ラファールMは日米同盟の状況や過去航空自衛隊で採用実績の無い欧州機であり、自衛隊の標準的な規格と異なることなどから当初から本命として有力視されていたのはF/A-18Fで、ラファールMは事実上の当て馬といえた。
しかしながらF/A-18Fありきの選定で入札情報がボーイング側に漏れる等の官製談合が問題となって一度白紙化、結果的に国内企業の参画と運用コスト、総合的な性能が優れているとされたラファールMが逆転採用される前例のない事態となった。
アビオニクスをはじめとする日本独自の電子機器類の搭載や兵装への対応と仕様変更等を認めたライセンス生産で調達が行われたラファールMは平成27年度配備開始の計画から航空自衛隊内での型式はF-27Aとされ、当初は旧式化したF-4EJ改戦闘機を運用していた第301飛行隊及び第302飛行隊を機種更新する形で二〇一九年度までに二個飛行隊分が調達され、《いずも》の進水を待つことなく初期作戦能力を獲得しており、現在は新編された艦上航空隊へと配備されている。
中華人民共和国による不透明かつ急速な軍備増強と尖閣諸島周辺海域を含む東シナ海及び南シナ海への海洋進出(二〇一三年一一月二三日の中国の一方的な防空識別圏の拡大も含む)は日本を含め、東アジア地域の国際情勢を非常に緊迫化させつつあった。
特に日中間では排他的経済水域の問題でも対立があり、先島諸島近海では中国の科学調査船による無許可海洋調査(事実上の侵略事前調査)が頻発しており、調査船の護衛名目で中国人民解放軍海軍の艦艇の威力航海が何度も行われている。そして尖閣諸島の領有権を主張し、新たに発足した中国海警局の警備船を領海に侵入させるなどの挑発行為を繰り返し、ウクライナから購入した空母を練習空母として正式に就役させ、海軍戦力の急速な近代化を背景にその行動はさらに増長しつつあり、確実に海洋進出と覇権の拡大を進めていた。
その一方、東アジアにおいて大きな
日本の国内世論も悪化する国際情勢に伴い、安全保障分野での関心が高まり、日本は南西方面の防衛上の空白を埋めるべく、航空母艦としての機能を持った航空機搭載護衛艦を保有し、その艦上航空隊を新編、さらには日本版海兵隊とも呼ばれる水陸両用作戦能力を持った水陸機動団を編成するに至った。ようやく国境の島々にほとんど自国の国防戦力が配備されていないという、国際常識から考えて異常ともいえる状態は解消されつつある。
日本の軍事プレゼンスが存在感を増したことにより、中国による挑発行為は一時期減少した。しかしその一方、台湾では中国からの独立を志向する最大野党が国民党に代わって政権を握るなど、大きな政治の転換点ともなっていた。中国はこの台湾の独立運動に対し、上陸作戦の訓練を目と鼻の先で行うなど牽制を繰り返し、台湾の独立を容認しない強硬な姿勢を見せていた。
依然として日本周辺の国際情勢は緊張状態であり、自衛隊も警戒の目を緩めることは出来ない。
特にこの航空自衛隊航空総隊直轄の艦上航空隊は航空機搭載護衛艦に展開し、最前線において日本の広大な領空を守らなくてはならなかった。この艦上航空隊が置かれたのが、海上自衛隊の航空基地である厚木基地だった。
各国の空母艦載機部隊の所属は海軍だが、日本は予算や訓練期間、運用基盤の関係から固定翼の艦載機は航空自衛隊がその運用を担っている。航空自衛隊内に新たに新編された艦上航空隊は、F-35Bを運用する一個飛行隊とF-27Aを運用する二個飛行隊で編成され、F-27Aを運用する第101飛行隊及び第102飛行隊はこの厚木基地へ、F-35Bを運用する第103飛行隊は岩国基地へ配備されている。
航空機搭載護衛艦はひゅうが型二隻、いずも型二隻の計四隻だが、整備ローテーション上、常時洋上展開可能なのは一隻もしくは二隻だ。また規模もひゅうが型でF-35B戦闘機、ヘリを合わせて最大二十機程度、いずも型でF-35B又はF-27A戦闘機、E-2D早期警戒機、ヘリを合わせて最大で四十機程度しか搭載出来ないため、艦上航空隊といえど基本的には地上の基地で運用されていた。
その艦上航空隊第101飛行隊は航空護衛艦《かが》への
厚木の朝は早い。まだ午前六時だと言うのに厚木基地のエプロンには艦上航空隊のF-27Aラファール戦闘機などの機体が整然と並び、海上自衛隊のP-1哨戒機は離陸を始めていた。
第101飛行隊の航空機格納庫の横に隣接して建てられた隊舎内のブリーフィングルームでは、朝礼を兼ねたモーニング・レポートの
第101飛行隊のブリーフィングルームは戦術面など機密を扱うので関係者以外立ち入り禁止のパイロットたちには神聖な場所でもある。広い会議室のような部屋の正面には大型のスクリーンが設置され、そのスクリーンに向かって三十脚ほどのサイドテーブル付きのパイプイスが並んでいる。
第101飛行隊隊長、TACネーム、〈ジーン〉の
進行を行うために的場の前に立つのは今週の当直幹部である
朝のブリーフィングは、まずウェザーブリーフィングが行われ、厚木基地気象隊の気象予報官がレーザーポインターを手に進み出る。オリーブグリーンのフライトスーツに身を包んだパイロット達と異なって、空自の制服である水色の半袖のワイシャツに紺のスカート、シニヨンで団子のように髪をまとめた清潔感のある
厚木基地では六十名ほどの規模の気象隊が、交代制のシフト勤務で二十四時間、気象状況を監視している。高精度の局地的な予報なしに戦闘機などの作戦機を飛ばすことは出来ないから、パイロット達を縁の下で支える地味ながら重要な部隊だった。深山は特に第101飛行隊とは関わりのある予報官で、航空護衛艦にも飛行隊と共に出張することもある。凛とした
深山の説明に従ってスクリーンに映る天気図が極東天気図、広域天気図、そして厚木地方のそれへと切り替わっていった。パイロット側からも細かい質問が行われる中、若い気象幹部の二尉は淡々と応答していた。
「以上です」
深山二尉はにこりともせずに頭を下げた。続いて
艦上戦闘機であるF-27Aは元々洋上の空母での運用を想定しており、機体疲労の点検・監視システムが備わっており、別途機器を使って計測する必要はなく、各機の状況は常に掌握され、機体をローテーションさせ、効率的な運用を実施できる等、整備性、信頼性は従来の戦闘機よりも遥かに向上しており、稼働率が非常に高い。整備班も優秀だ。
その他、連絡事項などが済むと布施が壇上に立った。
「先日、南西方面でシャドウとブッカーが要撃した殲撃20だが、本日に至るまで再来は確認されていない」
布施と一瞬、目が合った笠原は無表情を貫いた。一瞬だけ布施の口元が緩む。
「しかし人民解放軍がステルス戦闘機を実戦配備したことが明らかになり、監視体制の強化が決定した。それに伴い、予定を繰り上げて
その言葉を聞いてパイロット達はわずかに驚く。
「こりゃ定期異動者は大変だ……」
小声で秋本が呟く。自衛隊では四月と八月に定期異動があり、全国で人員が入れ替わる。引っ越しの荷ほどきも出来ないまま空護へ展開することになると思うと笠原も同情を禁じ得ない。
「台湾と中国の対立も含め、南西方面の情勢は緊張が高まり、我々
静かだが重い響きのある言葉を布施は残し、モーニング・レポートを締めくくった。
モーニング・レポートが終わり、パイロットたちは訓練の準備に取り掛かる。笠原は
「常在戦場だってよ、シャドウ」
そう声をかけてきたのは秋本と同じく笠原の同期である
背側は大型バイクを持っていて笠原とは同期であり、ツーリング仲間でもある。マイペースな性格だが、スピード狂という反面を持ち、その大型バイクで休日にタキシーウェイを爆走させ、空でもその性格が反映された直線的な飛び方をする。
戦闘機の最高速度はF-15ならマッハ二・五、F-27でもマッハ二・〇に達するが、実際にその速度を発揮するには武装や搭載燃料の制限を受け、また戦術的にも出す場面は無いため多くのパイロットは戦闘機の最高速度を出すことなく、退いていく。しかし瀬川はすでにF-15の最高速度であるマッハ二・五を経験した数少ないパイロットの一人だ。
瀬川は本人の名前と、レーサーのアイルトン・セナからTACネームを〈セナ〉と命名された。
「隊長と目が合ったよ」
「気に入られてるみたいだな」
瀬川にからかわれ、笠原はため息を吐く。笠原が常在戦場をモットーに後輩パイロットを育てていることは隊長にも知られていた。
「今日は常在戦場の話じゃないだろ。忌々しい殲撃20だ」
笠原の言葉に瀬川は笑った。東シナ海の対領空侵犯措置において嘉手納の第204飛行隊のF-15と共に殲撃20を“サンドイッチ”して無理やり変針させたことは第101飛行隊内では話題になっていた。一歩間違えれば事故になりかねない危険な飛行であったとして笠原は隊長室に呼び出され、指導を受けた。幸い注意や訓戒などの懲戒処分沙汰には至っていないが、笠原は正直納得している訳ではなかった。
「まあ怒りは殲撃20の舐め腐ったパイロットに向けるとしても指導は素直に聞き入れないとな」
「……そうだな」
しかし他にどうすればあの殲撃J-20を領空から遠ざけられたのか。その答えを笠原は聞いていない。嘉手納のパイロットと話がしたかった。
オペレーションの自分の机に座ってコーヒーを飲んでいると予定の時間よりも一〇分ほど早く、カーンこと
高平はこの第101飛行隊では一番の若手パイロットであり、現在は戦力化のための訓練を受ける身だ。笠原が担当して指導を行っている。
高平は以前いた飛行隊では
笠原と高平は本日の訓練のブリーフィングを行う机へ向かった。
「今日の訓練の目的と目標、課題を書き出せ」
「はい」
高平が固い返事と共にホワイトボードに書き出し始める。
「なんだお前。もう緊張してるのか」
「だって相手はあのガイですよ?」
「相手にとって不足は無いってやつだ。弱音を吐く前に勝つために何をすべきか考えろ」
「まだ一〇分前だぞ。そんなに早くやりたいのか」
そう不敵な言い方をしてきた藤澤に笠原は目を細める。
「シャドウは新人いじめすぎなんだよ。アグレッサー教官みたいな指導することは俺たちには求められてないんだぜ」
一方の笠原はというと、現在緊迫の度合いを増す南西方面の嘉手納第九航空団の第204飛行隊から転属しており、同年代のパイロット達と比較すると飛行時間が長く、
笠原は、常在戦場という言葉を意識しており、担当している学生に気を許すことは無いような厳しさを持っていた。そのせいで元から悪い顔付きに加え、常日頃の渋面でさらに険悪な顔立ちになっており、自然と人が寄ってくるのが藤澤なら自然と人が寄り付かなくなるのが笠原だった。馬が合うはずがない。
藤澤の挑発的な言葉に、笠原の中でくすぶっていた怒りが燃え上がった。
「なら聞くが、手抜きの指導でパイロットが育つと?」
「手抜きじゃない。お前の
「喧嘩を売ってんのか、貴様」
「二人とも落ち着けって」
笠原が声を荒らげ、立ち上がろうとすると、呆れた様子で
他のパイロット達も苦笑しながら自分の仕事をしている。笠原と藤澤のいざこざは日常の光景だった。
「イエスサー」
藤澤が余裕の笑みで答え、笠原はますます苛立ちを募らせた。
「了解」笠原は感情的な自分を恥じながらも、固い口調で返事を返す。「ブリーフィングを始めよう」
本日のファースト・ピリオド(飛行隊全体の最初の訓練)は
プリ・フライト・ブリーフィングは、これから共に飛ぼうとするパイロットが一つの机を囲み、航空路図や天候データなどを並べ、フライトの内容、注意事項、不測事態への対処などを互いに確認するものだ。
第101飛行隊においてその進行役は、被教育者が担当する。今日は〈フク〉こと
笠原は始終、厳しい表情でブリーフィングを見守り、藤澤から質問を浴びせられた福原の様子を見ていた。進行役は口ごもることなく、その質問に答えなくてはならない。
この時ばかりは被教育者達にとって、先輩パイロット達が餓えるハイエナにも見える。熟練のパイロット達の鋭い眼光に晒され、自分の欠点を見透かされている。隙を見せれば食われる。すらすらと答えられれば任務の理解が充分だということだ。
笠原は被教育者への質問が他の者からあればブリーフィングを進める被教育者にその不足事態が起きる兆候や原因などを続けて追求する。被教育者がそれに答えられなければ淡々と追い詰める。被教育者達はこれを乗り切って初めて飛べるのだ。
こんな地上での場面で緊張や尻込みしているようでは空でも満足に戦えない。この飛行隊は創隊間もないが、発足させた当初の要員の多くは元飛行教導隊――現在の飛行教導群――のパイロット達で、飛行教導隊の伝統も受け継がれている。
プリ・フライト・ブリーフィングを終えると笠原と高平はさらに個別のブリーフィングを行った。今回の訓練の課題や目標を確認し、ウィングマンとの連携の仕方を確認し、お互い無言でも連携が取れる様にする。今回の編隊長役は高平であり、高平の計画だった。様々な条件を想定しなくてはならなく、高平の説明だけでは満足しない笠原は様々な質問をして高平の理解度を確認する。特に藤澤との対抗訓練のため、笠原の質問は多岐から細部に渡った。普段はお調子者の高平も緊張した面持ちでこと細かく説明しなくてはならなかった。
ようやくブリーフィングを終えると二人は救命装具室へと向かった。
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