エンゲージ――交戦宣言――

小早川

Prologue

太平洋宮古島の南南東二百キロ

いずも型航空機搭載護衛艦《かが》

July 29.2025



 闇に沈む暗黒の太平洋の海面を灰色に塗られた巨大な鉄の塊が引き裂いて進んでいた。それは船の中でも特に研ぎ澄まされた性能を持つ戦闘艦だった。特徴的な全通型甲板を有するその形は、現代における戦闘艦の中でも航空母艦のそれであり、この海を進む彼女は、日本の国防を担う海上自衛隊の護衛艦であり、艦名を《かが》と言う。

 いずも型航空機搭載護衛艦二番艦《かが》の艦橋、警戒待機アラート搭乗員待機室パッドにブザーの短音が繰り返し鳴り響いた。

 待機室の端の飛行管理員の三等空曹が赤い電話機の受話器を直ちに取り上げ、耳に当てる。それと同時にデスクチェアやソファに腰かけていた飛行服やサバイバルベストの装具を身に付けた男達も腰を浮かせる。


「ホット・スクランブル!」


 三曹が声を張り上げ、同時に壁に設置された状況表示灯はS/Cスクランブルの文字が書かれた赤い表示灯が点滅する。

 その頃にはすでに立ち上がった男達は床を蹴り、待機室を飛び出していた。艦橋構造物アイランドの水密扉を開け放ち、飛行甲板に踊り出した男達は耐Gスーツやサバイバルベストの重みにも負けずにスプリンター並みの全力疾走で足を動かし続ける。同時に艦橋の待機室から飛び出したパイロット以外のアラート要員達もパイロット達と共に飛行甲板を駆け抜けていく。

 彼らの目の前には機体各所の曲線が優美なシルエットを形作った三角デルタ翼の主翼とその付け根の前方の延長線上に先尾翼カナードを配置したクロースカップルドデルタ翼の戦闘機が駐機されていた。

 群青色の洋上迷彩が施され、空対空ミサイルを抱えたそれは、航空自衛隊がF-27A戦闘機として採用した、仏ダッソー・アビアシオン社が生み出した全方位オムニロール多用途マルチロール)戦闘機、ラファールMだった。


『艦載機緊急発進。準備でき次第、発艦。飛行甲板、緊急発進態勢』


 飛行甲板には唸るサイレンと共に放送が響き、全ての甲板作業はスクランブル発進が優先される。

 航空護衛艦の甲板要員は海自と空自の双方が担当していて、ヘリ誘導、エレベーター操作要員、牽引車運転要員、メッセンジャー、電話通信要員、航空燃料取扱員は主に海自が担当し、その他、カタパルト、アレスティング・ワイヤーの担当や航空機管制等を担うのは空自だった。

 飛行甲板は多忙で大抵混みあっている。各種役割に応じた色の服を着た甲板要員が動き回っていて、先ほどまでMCH-101掃海輸送ヘリが発艦の準備を行っていたが、それは今中断されていた。

 パイロットの一人である笠原樹かさはらいつきは、自身のアサインされたF-27Aラファール戦闘機に添えられたラダーに取り付くと一気に駆け登り、コックピットへと滑り込んだ。

 半ば飛び込むようにコックピットに収まった笠原は早鐘を打つ心臓と乱れ切った呼吸を整える間もなく、酸素マスクのホースを接続し、HMDハムドと呼ばれるヘルメットマウンティドディスプレイを備えたフライトヘルメットを被る。その間に甲板要員の列線員がラダーを登ってコックピットに身を乗り出し、ハーネス等の装着を支援した。

 笠原は続いて戦闘機の緊急発進のため、通常より簡略化されたチェックリストを元に各種点検や操作、機器の作動を確実安全に実施する手順を素早く進める。

 バッテリースイッチを入れて電源を立ち上げ、隣の二番機のパイロットと同時に、右手の人差し指をコックピットから突き出す。補助動力装置APU始動の合図だ。列線員がそれを認めたのを確認した笠原は左手でAPUスイッチを押し込む。

 JFSジェットフュエルスターター――主機メインエンジンを立ち上げるための小型のガスタービンエンジン――が回り始め、甲高いエンジン音が飛行甲板に鳴り響く。


「SEAWOLF with 2 flight, check in. Deckcontrol,request CAT1and2 Stat UP, scramble. Information Delta.(シーウルフ二機編隊、緊急発進のフライトプランにチェックイン。飛行甲板管制、第一、第二カタパルトでのエンジン始動許可を求む。ATIS航空情報「デルタ」を取得済み)」


海狼シーウルフ」が笠原達に付与されている符丁コールサインだった。笠原はそのシーウルフ編隊の編隊長であるシーウルフ01を務めている。

 笠原は飛行甲板管制デッキコントロールへ呼びかけながらもなおもチェックを続ける。計器板には左右に高密度カラーLCDディスプレイのMFDマルチファンクションディスプレイ──フランスではVTL──とその中心の戦術状況ディスプレイと呼ばれるMFD──フランスではCTM──が配置され、それらのMFDにはレーダーやデータリンクで得た情報などをパイロットの任意で表示することができため、今は発進前の点検に必要な機体のコンディションを表示している。

 F-27Aは本国のラファールMのバージョンF4.2をベースとした日本仕様の次世代型コックピットになっていた。


『SEAWOLF01,Deckcontrol.Lima Charley.Cleared to Start UP.QNH2996.(シーウルフ01、こちら飛行甲板管制。無線感明良好。エンジン始動を許可する。高度計規正値QNH2996に補正)』


「SEAWOLF01 Roger. QNH2996.(01了解。高度計2996に補正する)」


『Two(二番機了解)』


 エンジンが自立回転アイドルの回転数に達したことを確認し、デッキコントロールの許可を得ると、心の中で「レフトサイドクリア、ライトサイドクリア」と呟きながら周囲を見渡し、機体の左斜め前に位置する茶ジャケットを着た列線員にエンジンスタートの手信号を送る。


「右エンジン始動」


 JFSが生み出した圧縮空気が右エンジンに送り込まれ、F-27AのM88-IHI-4Eターボファンエンジンが低い唸りを甲高くしながら始動する。右エンジンの始動状況を確認しつつ、さらに左エンジンを始動。

 両エンジンの回転数が上がり、MFDに表示したエンジンのコンディションが正常なのを確認した笠原は列線員に親指を立ててサムアップする。

 その間にもアラート列線員たちは機体のチェックを行い、車輪止めチョーク、ミサイルのカバーとセフティピンを回収する。

 笠原はスクランブル発進の手順に従ってチェックを一部省略し、整備員へ準備完了の合図を送り、風防キャノピーの閉鎖レバーを引く。右側に倒れていたキャノピーが頭上を覆い、閉じる。

 エンジンの低い唸りの中、外の喧騒はわずかに伝わりにくくなり、呼吸の音が大きくなる。

 赤いジャケットの武器員オードナンスがミサイルのセフティピンを掲げて取り外しが完了したことを伝えた。さらに茶色のジャケットの列線員が離陸重量と離陸最低出力、兵装の種類と数を記したホワイトボードを掲げてくる。

 笠原はそれを確認すると列線員にサムアップし、僚機のコックピットに目をやる。第二カタパルトで準備を進める僚機ウィングマンのパイロットである秋本俊介あきもとしゅんすけ二等空尉もまた笠原に向かってサムアップし、発艦準備が整ったことを伝えた。


「Deckcontrol,SRAWOLF01.Ready at CAT1・2.(飛行甲板管制、こちらシーウルフ01。発艦準備完了)」


『SEAWOLF01 Deckcontrol roger.Scramble order.Vector310 climb angel30 by buster. Contact HAWKEYE03 Channel November.readback.(こちら飛行甲板管制、了解。緊急発進命令。発艦後方位310度、最大速度で高度三万フィートまで上昇。ホークアイ03と周波数ノベンバーで交信。復唱せよ)』


「01,vector310 climb angel30 by buster contact HAWKEYE Channel November.(01、発艦後方位310度、最大速度で高度三万フィートまで上昇し、ホークアイと周波数ノベンバーで交信)」


『SEAWOLF01 readback is corect.Corpen 310.Speed 20kt.Relativewind 300 at5.truewind 300at11.Pitch2,Roll3.QNH2996.CAT1 and 2 Cleared for LAUNCH TAKE-OFF.(シーウルフ01、復唱はその通り。艦の針路は方位310度。速力20ノット。相対風方位300度から五ノット。真方位風方位300度から一一ノット、艦の縦揺れ二度。横揺れ三度。QNHは2996。第1及び第2カタパルトから射出発艦を許可)』


「SEAWOLF01,corpen310.QNH2996.CAT1 cleared for LAUNCH TAKE-OFF.(シーウルフ01、艦の進路方位310度。QNH2996。第1カタパルトより射出発艦する)」


『Two.(二番機同じ)』


『コックピット、デッキ。ケーブル、取り外すディスコネクト幸運をグッドラック


「ディスコネクト、ラジャー。サンクス」


 緑色のジャケットを着た列線員が機体に繋がっていたインターコムの有線ケーブルを外し、コックピットに掲げる。

 笠原は了解のハンドシグナルを送り、黄色ジャケットの射出士官シューターの一等空尉にサムアップする。

 シューターは了解のサインの後、機体後方で立ち上がったジェットブラストディフレクターのアップ完了と周囲の安全を指差しで確認し、バイザーダウンのサインを笠原に行う。

 ヘルメットのHMDバイザーは射出直前まで列線員とのアイコンタクトの為上げておかなければならないため、この段階で下ろす。

 笠原は操縦桿とラダーペダルを踏み、操縦系統に異常が無いかを再確認する。カナード翼や垂直尾翼、ラダーの動作を確認。異状なし。

 シューターが右手を差し上げ、二本指を立てた。エンジンを最大出力まで上げろ、という指示だ。笠原はスロットルレバーを最大出力ミリタリーゾーンまで押し込んだ。機体が小刻みに震える。

 緑色の作業服を着た男が駆け抜け、機首脚ノーズギアとカタパルトの牽引索プライドルが繋がっていることをチェックする。

 機体の正面に立っていたシューターは飛行甲板の端へ移動した。

 笠原はMFDに表示した燃料流量計、エンジン回転計、排気温度計などをチェックした。どの確認項目にも問題はない。笠原は深く呼吸した。

 端へ移動したシューターが右手を高々と挙げ、次いで前方を指差した。


『CAT1ローンチシークエンスコンプリート。CAT1クリア、エジェクション!!』


 笠原は喉を鳴らした。発艦の衝撃を覚悟して緊張を覚える。シューターは膝を折って、腰を屈めながら二本の指で甲板に触れ、前方を指さす。

 首を前に乗り出すような格好をして笠原は衝撃に備える。カタパルト、射出。電磁式航空機EMA発艦システムLSの電磁式リニアカタパルトが笠原の乗るF-27A戦闘機を強制的に百六十ノット(時速約三百キロ)まで加速させて、文字通り打ち出す。

 周囲の景色が一瞬にして過ぎ去り、一気に発艦速度まで加速させるときに生じる慣性が笠原の身体を締め付けた。

 飛行甲板を離れる瞬間、首脚ノーズギアのジャンプストラットが伸びあがり、機首角度を持ち上げ、主脚メインギアが離れると機体が浮いた感覚が激しいGの中、伝わってくる。笠原は操縦桿スティックを引いてカナード翼を立て、機首を上げて上昇した。


『シーウルフ01!グッドショット!グッドラック!』


 Gに耐えながら機体をコントロールする笠原の耳にシューターの声が響く。

 激しいGから解放されると、F-27Aは広大な大空の中にあった。発艦後チェックリストを実施しつつ笠原は三万フィートまで上昇させ続けた。

 F-27Aは雲を貫いて上昇していく。速度は八百ノットを越え、音速に近づきつつある。《かが》はすでにはるか後方に遠ざかり、眼下には太平洋のコバルトブルーの海が広がっていた。


「Departure, SEAWOLF flight airborne. Climb 01, for 30.(ディパーチャー、シーウルフ編隊離陸した。現在千フィートから二万四千フィートへ上昇中)」


 笠原は進入管制ディパーチャーと交信し、安全な航路の指示を仰いだ。


『SEAWOLF flight, radar contact. Turn heading 310, climd and maintain alti08.(シーウルフ編隊、レーダーで捕捉した。方位310へ旋回、高度八千まで上昇し、それを維持せよ)』


「Roger.」


『Two.』


 二機は指示に従って上昇し、問題無くディパーチャー管制空域外に達する。管制塔から要撃司令室へと指揮が移った。


『SEAWOLF flight, frequency change uploaded. Good-rack.(シーウルフ編隊、周波数の変更を許可する。幸運を祈る)』


「Roger, thanks」


 管制塔と通信を切り換えるとすかさず、一時間前に嘉手納の早期警戒機と交代で《かが》から飛び立ち、南西海域の空を見張っていたE-2D早期警戒機AEWの要撃管制官から無線が入った。


『SEAWOLF flight,This is HAWKEYE03. You are under my control. Target Vector290.Range170. Altitude27.Follow data-link.(シーウルフ編隊、こちらホークアイ03。要撃管制を実施する。目標、方位290度、距離百七十ノーチカルマイル、高度二万七千フィート。以後はデータリンクに従え)』


「Roger, follow data-link.(了解、データリンクに従う)」


『Two.』


 二機は高度二万八千フィートへ向け、アフターバーナーを点火したままさらに上昇を続け、HMDバイザーと前方視野内表示装置HUDに表示された高度計の数値は跳ね上がっていく。

 Link16戦術データリンクを介して共有された情報が中央のMFDに表示される。戦術データリンクの指示に従って二機は針路を取った。

 笠原は操縦桿を倒して翼を傾けて方位290度へ機首を向けながら、自分に続く僚機ウィングマンの位置を目視で確認する。ウィングマンの秋本二尉が駆るF-27Aは笠原に合わせて翼を傾けながら二機編隊エレメントの基本であるスプレッドを組み、左後方を飛んでいた。

 ここまで怒濤の勢いで手順通りに迅速に機体を発艦させ、目標へ向かうことに集中していたが、ここからは目標の動きに対応しながら僚機と連携しなければならない。笠原はこの二機編隊エレメントの編隊長だった。


「時間が無いぞ、秋本ブッカー。遅れるなよ」


了解ウィルコ笠原シャドウこそ肩肘張るなよ……にしてもホットは何回経験しても心臓に悪いなぁ』


 笠原が秋本をTACタックネーム――戦術上のTactical名前――で呼びかけると、 秋本は緊張感のない口調で応答してきた。

 TACネームは戦闘機パイロット達が持つもう一つの名前のようなものだ。決め方は渾名のようなもので、その腕が認められれば自分で変更も出来るようになるが、若いうちは上官によって決められる。

 秋本は名前の本を取ってブッカー、笠原のTACネームはその陰気さと様々な事情からシャドウだ。

 秋本は笠原と同じ航空学生出身で、その同期に当たるが、二機編隊長エレメント・リーダー資格を取ったのは笠原が先であり、この編隊では笠原が先任だった。

 秋本も笠原に迫る場数を踏んでおり、笠原に遅れてエレメント・リーダーを取得している。気が置けない同期がウィングマンであることは幾らか気が楽だが、それでもウィングマンに対する責任を笠原は重く感じていた。

 通常、防空識別圏ADIZに接近する対象機は、はるか遠方から防空監視所レーダーサイトや早期警戒管制機などによって捕捉され、要撃発進スクランブルが必要かどうか判断される。対応するアラート待機部隊には事前に情報が入るため、突然ホットで上がることは珍しい。とはいえ現在は、珍しかったと過去形になりつつあり、中国機の急接近は日を追うごとに数を増している。


『ちゃんと航空護衛艦くうごを東シナ海に張り付けてれば太平洋からこんなに慌てて出てこなくてもいいのに、何のための空護くうごなんだか』


 空護と略して呼ばれる、海上自衛隊の保有する最大の艦艇である航空機搭載護衛艦DDVは、固定翼の艦載戦闘機などの航空機運用機能を持つ、諸外国で言う航空母艦だ。

 那覇基地から航空自衛隊第九航空団が移転して以来、現在の南西方面唯一の防空基地である嘉手納から尖閣諸島まで約四百キロ。戦闘機がスクランブル発進しても二十分の時間を要するが、この航空護衛艦を配備することによって嘉手納から最西端の国境までの防衛上の空白を埋めるはずだった。しかし実際に就役し、本格的な運用が開始されてからも周辺諸国の顔色を窺って前面に出せない正面装備となっている。


「日本が空母型護衛艦の保有を決めるだけで反日感情が燃え上がる周辺諸国だ。おいそれとデリケートな海域に展開させておくわけにはいかないだろう」


『四千億が張りぼてじゃ話になんないよ』


「そりゃ東シナ海に張り付けてれば得られる猶予は大きいだろうが、東シナ海に居ようが太平洋に居ようがどのみち嘉手納より近いのは確かだ。そもそも空護の存在意義は南西有事で嘉手納を失った後や硫黄島以南の太平洋でも制空権を維持するための手段って名目だ。中国を不必要に刺激するリスクを考えたら仕方がない。それに東シナ海に張り付けたらそれこそ火に集る虫のごとく中国機が押し寄せてくるぞ。なら、あとは俺達の腕の見せ所って訳だ」


 戦闘機はたった数人のパイロットの決断と行動で、外交を左右させる存在だ。中国機による異常接近やレーダー波の照射などの挑発行為は日に日に増し、その傍若無人ぶりはこちらの我慢の限度をとっくに超えている。日本の領空を守るパイロットたちには高い技術と忍耐力が求められていた。航空自衛隊の戦闘機パイロットはスクランブルで領空を侵犯しようとする国籍不明機を追い返そうとした時、撃たずに敵を圧倒しなくてはならない。ミサイルを撃つのは簡単だが、撃ってしまえば戦争が始まる。


「この国籍不明機アンノウンもまた中国機だろうな。連中、最近めっぽう元気になった」


『貧乏になったロシアが大人しくなってきたのにねぇ。少しは人も機体も休ませてもらいたいよ』


「それを狙ってもいるだろうな。こっちに無駄な疲労と出費を嵩ませて戦わずして勝とうという戦略だ」


『燃料代とか機体の運用費を請求しないと』


 冗談交じりに言うと秋本も冗談を返した。笠原は苦笑しながら「俺達の給料も忘れるなよ」と付け加える。


『SEAWOLF flight, Target vector265.range100.angel27.heading085.airspeed650.(シーウルフ編隊、目標機ターゲット、方位265度、距離三〇〇マイル、高度二万七千フィート、針路〇八五度、速度六五〇ノット』


 空中警戒監視SAPを行うE-2D早期警戒機AEW要撃管制官コントローラーが淡々と対象機の情報を読み上げた。データリンクを通して正面のMFDにはターゲットの現在位置などが表示され、視覚的に認識することが可能だが、レーダーだけでなく、目視での警戒も怠ることが出来ない戦闘機パイロットには音声による指示による認識も必須だった。


「SEAWOLF Roger.」


 笠原は応答しながら闇に眼を凝らした。まだはるか遠くにいる国籍不明機を想像し、気を引き締める。

 ラファールは多くのアクティブ・パッシブセンサーを備え、それらをセンサー・フュージョンによりレーダーとFSO光学電子センサー、SPECTR電子戦システム、データリンク、赤外線誘導ミサイル、敵味方識別装置等の情報を統合し、必要な情報のみを表示することが可能となっていた。


『シーウルフ、こちらカーム』


 続いて要撃管制官コントローラー女性航空自衛官WAFが呼びかけてきた。要撃管制官コントローラーにも個別のコールサインがある。同じ空護に乗ることもあるE-2D早期警戒管制機AEWを運用する第603飛行隊のカームだが、笠原は顔も名前も知らない。しかしながらそのコールサインは仲間達の間でも覚えめでたい、的確な指示をしてくれる優秀な管制官だった。


『アンノウン、機影単機サイズ・シングル。ターゲットは降下中。高度アルト二万五千フィート25距離レンジ百五十マイル150


 カームの声は毅然としていて冷淡だった。女性の高い声は激動の中でも聞き取りやすく、また気持ちを落ち着ける効果があると言われているため、コントローラーがWAFならカームではなくてもラッキーだと笠原は思っていた。


「シーウルフ、ラジャー」


『シングルか……また偵察機ですかね』


「そうだと思うが、速度は速いな。フラウンダーかもしれない」


 対象機は六五〇ノットで飛行中だった。国籍はいわずとも飛んでくる方向から中国機であることは明らかだが、六五〇ノットの偵察機は珍しい。

 中国人民解放軍空軍と同軍海軍航空隊が運用している殲轟JH-7Aフラウンダー戦闘爆撃機は複座で電子戦装備として電子情報収集システムなども装備している。取得コストが安いことから配備が進み、近年、東シナ海にも顔を見せる様になった。


『シーウルフ、こちらカーム。ターゲット、アルト10(高度一万フィート)』


「ラジャー。ブッカー、ARMアーモHOTホットだ。マスターアーム・オン」


『ラジャ。マスターアーム・オン』


 二機は兵装の安全装置であるマスターアームスイッチをオンにして武器を使用可能な状態にした。


『レーダー・コンタクト!』秋本が声を上げた。こちらの位置を逆探知されて特定されないよう、パッシブ状態にしていた機上オンボードレーダーが目標を探知したのだ。『目標正面デッド・アヘッド、レンジ85、アルト10』


『That’s your Target.(それが目標機である)目視確認急げ』


了解ウィルコ。――ブッカー、レフトターン、ナウ」


 二機は編隊を維持したまま機体を傾け、揃って左旋回を開始。目標機の後ろに回り込む機動を取る。正面から接触してから旋回したのでは離される。いったん離されたらいくらパワーを出しても追いつけない。


機影エコーが妙じゃないか……?』


 秋本が訝し気な声で聞いてきた。火器管制レーダーの非協同型目標識別NCTRでは対象を識別不能だった。


「気に入らないな。カーム、距離は?レンジ


『10マイルを切った』


 闇夜に目を凝らす笠原は要撃管制官コントローラーの指示で機体を飛ばし続ける。闇の中でわずかに反射する光を見た。


目標視認タリホー。あれは……」


 笠原はコールすると接近を開始した。機影が鮮明になっていく。笠原は息を呑んだ。


『シーウルフ、どうした』


 ホットマイク状態だった笠原の呟きに、カームが聞き返す。笠原の目にはもはやはっきりと黒い機影の“二機編隊エレメント”が飛んでいるのが映っていた。


『ステルスだ……』


 秋本が呻くように呟く。機影は単機シングルだったはずだが、レーダーに捉えにくいステルス戦闘機の二機編隊は探知されても単機に見えるよう密集隊形で飛んでいた。


「こいつは……J-20か?」


 殲撃J-20ステルス戦闘機。機体はメタリックブラックに塗られ、垂直尾翼に低視認ロービジ塗装の中国機を示す星に八一の国籍マークが見えた。前翼カナードと後縁に緩い前進角を持つデルタ翼に近い主翼を組み合わせたクロースカップルドデルタ翼機のステルス戦闘機で、外側に傾斜した垂直尾翼はステルス性のためにかなり小さく、平たい機体に見える。ミサイルなどの兵装はレーダー反射面積RCSを小さくするために機内の兵装庫ウェポンベイに格納しているようだ。


『凄い……』


 秋本が嘆声を漏らした。笠原は要撃機に備えてある一眼レフのデジタルカメラを構え、撮影する。闇夜を飛ぶ黒い機体を撮影したところでどの程度映るかは分からないが、写真を撮りやすいようポジションを取りながら接近した。

 嘆声を漏らすのも分かる。F-27Aは第4.5世代戦闘機と呼ばれる分類で、航空自衛隊の主力戦闘機であるF-15Jよりも新しい世代の戦闘機だが、殲撃J-20は第5世代機であり、ステルス性を持ち、新しい次元の戦闘に対応した最新型だ。二機の黒いステルス戦闘機は威圧的な存在感があった。


「ブッカー、援護フォロー頼む。後方を占位する」


 驚嘆する秋本とは対照的に、笠原は初めて見る中国のステルス戦闘機を前に背筋に冷や汗を滲ませていた。


『ラジャー。援護する』


 秋本の声も先ほどまで軽口を叩いていたとは思えないほど抑揚が無くなっていた。歴史の浅く、勢力を急速に拡大しながらも発展途上にある中国人民解放軍は、これまで冷戦を通して日本が対峙してきたロシア軍と違って常識が通用せず、どんな反応が返ってくるか分からないという不安があった。


「カーム、こちらシーウルフ01。ターゲット確認。目標の右側、所定の位置に占位した。国籍中国、官用機、ステルス戦闘機、J-20二機ダブル


『シーウルフ01、カーム、了解した。領空まで二十五マイル。通告を実施せよ』


 ステルス戦闘機と聞いた普段は冷静なカームの声にも心なしか緊張の色が混じっているように笠原は感じた。


「シーウルフ01、ラジャー」


 笠原は対象機の編隊に接近した。もし中国機が異常な挙動を取れば即座に攻撃できるよう、秋本に位置を取らせ、対領空侵犯措置として通告を実施する。


「Attention, Attention! Chinese aircraft fighter, Flying over East China Sea. This is Japan Air Self Defense Force. You are now approaching to Japanese air domain. Take reverse course immediately!(注目せよ、注目せよ。東シナ海上空を飛行中の中国機編隊に通告する。こちらは日本国航空自衛隊。貴機は日本国領空に接近中。直ちに針路を変更せよ)」


 国際緊急周波数で通告を実施するが、二機のステルス戦闘機は反応も示さず、不気味に飛び続けていた。


「通告一回実施。目標の行動に変化はない」


『了解。引き続き通告を実施せよ。領空まで二十マイル』


「ラジャー」


 続いて英語、中国語を用いて通告を実施した。しかし中国機に針路を変える様子はなかった。


「通告二回実施」


 笠原は苛立ちを表に見せないよう報告する。領空に近づく中国機は相手国の戦闘機に要撃され、通告を受けることを非常事態だと認識していない。これまでの日本の態度がそれを許している訳だが、それにしても友好国にはなり得ない存在だということを改めて認識させられる。


『了解。通告に従っているように見えるか』


見えないネガティブ


『了解。領空まで八マイル。機体信号を実施せよ』


「ラジャー」


 笠原は一度深呼吸をした。


「前に出るぞ」


『コピー』


 秋本の援護の下、右後方から二機編隊の前へと出る。戦闘機相手に背後を晒すのは気分が良くない。笠原は翼を左右に傾ける、ロックウィングを実施し、要撃信号を送った。我に従え、というその合図は世界共通の信号だ。

 しかし、二機の殲撃J-20は意に介さず、落ち着いて飛んでいる。


『撃てないとタカを括ってるよ、こいつら』


 秋本が苛立ちの声を漏らす。

 しかし全くその通りで日本側から手を出すことは決して許されない。

 まったく指示に従う素振りを見せない中国機を相手に苛立ちと焦りが募る。我が物顔で日本の空を武装した戦闘機に飛ばれることは航空自衛隊のパイロットとして許せないことだ。絶対にそれだけは阻止しなくてはならない。

(俺の目の前で日本の空は犯させないぞ……)

 笠原は警告射撃の許可を求めようと左手の送話ボタンに添えた指に力を込めようとする。


『シーウルフ01、タロン03が合流する』


 カームが唐突に呼びかけた。レーダーを見ると笠原たちの右側から急速に二機編隊の輝点ブリップが近づいてきていた。相手機の敵味方識別装置IFF自動応答装置トランスポンダがこちらの問い掛けに応答し、所属も確認できる。嘉手納基地の第九航空団第204飛行隊所属のF-15J戦闘機だ。


『シーウルフ、こちらタロン03。貴機から五時方向アット・ファイブ。合流する』


 若い弾んだ声のパイロットが呼びかけてきた。五時方向に視線を切るとF-27Aに比べ、直線を多用した無骨な実質剛健の印象を与える大型の戦闘機の二機編隊がはっきりと見えるまであっという間に接近する。

 主翼下のハードポイントにAAM-5B短距離空対空ミサイル、胴体部側面のハードポイントにAAM-4中距離空対空ミサイルを二発ずつ装備し、胴体下に増槽タンクを抱えている。

 笠原は二機の援軍を受け、心にも大分余裕が出来た。警告射撃なしでこの不届きもの達を帰らせるために頭を巡らせる。


「こちらシーウルフ01。来てくれて助かった。これよりシーウルフの二機で連中の前に出て針路を塞ぎ、強制的に変針させる。カバーしてくれ」


『ウィルコ。充分注意しろ』


「ラジャ」


 タロン03は一見すると危険なオーダーにも疑義を挟まず、了解実行すると即答した。経験を積んだベテランだろう。

 笠原はスロットルをそろそろと進めて殲撃J-20の前に出る。背後の殲撃J-20からはどうぞ調理してくださいとでも言わんばかりの位置だ。速度を合わせ、距離を保つ。


『Caution. Almost same position. Same altitude.(警告。同位置、同高度)』


 カームが呼び掛けた。レーダー画面上で見たらニアミスが起きる寸前の危険な状態なのは間違いない。しかし、タロン03とのやり取りを聞いているカームはこちらの企図を理解しているのかそれ以上は呼び掛けてこなかった。

 笠原はラダーを踏んで完全に殲撃J-20の前に出ると針路を強引に変えさせるために針路を塞ぐようにして飛ぶ。まるでブルーインパルスの曲芸飛行のような慎重な操作が要求される難しい飛行だ。速度を急激に落とせば殲撃J-20のパイロットが避ける余裕もなく激突する恐れもある。笠原が六時方向の殲撃J-20と距離を保ちながら機体を操っていると、笠原の左斜め後ろを一機のF-15Jが占位する。F-15はぴたりとまるで編隊を組むような正確さで殲撃J-20を笠原と共に挟んだ。

 二機の殲撃J-20は編隊を保ったまま、針路か高度を変えざるを得なくなった。


我の誘導に従えフォローマイガイダンス


 無線に吹き込むが、半ば力づくの強制的な針路変更だった。事故を起こしかねない危険な飛行だが、中国機のパイロットも泡を食ったはずだ。日本の戦闘機パイロット達は類まれな操縦技術を持って空中で二機の戦闘機をサンドイッチにしたのだ。圧倒的技量の差を見せつける示威行動となった。しかしこのような連携が素早く取れるのは、タロン03のパイロットが優秀な証拠だ。プロとの仕事は面白い。


『シャドウ、ターゲット、左に緩徐な旋回を開始』


 先ほどより落ち着いた秋本が笠原に報告する。


「ラジャー。油断せずに見張れ」


 笠原はウィングマンの動向にも編隊長として意識しつつ、殲撃J-20の動きに細心の注意を払っていた。動翼の僅かな動きも見逃さず、殲撃J-20にこのサンドイッチを抜け出す隙を与えてはならない。そして突発的な行動に備え、僚機に出す指示や対処を常に頭の中で組み立てておかねばならなかった。編隊長は神経の磨り減る仕事だ。


『シーウルフ01、目標は我の誘導に従っているか?』


「ネガティブ。しかし針路を領空の外に向けつつあり」


『ラジャー。監視を継続せよ』


 カームもレーダースコープ上で見ているのだろう。二機が前に出て中国機の針路を塞いで無理やり針路を変えさせ、後方の二機がぴたりと後ろを押さえている。カームにもこの飛行が非常に高度で危険なものだという認識はあるはずだ。彼女も早期警戒機の機内で手に汗を握っているだろう。

 そして笠原も機関砲ガンでも落とせる距離でぴたりと相手の動きに合わせて追従しなくてはならず、集中力を費やしている。すでに背中はぐっしょりと濡れ、目にも汗が滴ってきて、瞬きで汗の雫が弾ける。

 完全に領空の反対側に針路を向けさせると笠原とタロン03は下方へ降下旋回し、追尾に戻った。J-20二機編隊は変えられた針路のまままっすぐ飛んでいる。

 追尾監視を続けて十分ほど。報告以外の言葉が交わされなくなり、息を潜めたような飛行が続いていたが、中国の戦闘機は防空識別圏を離れ、ようやく防空指揮所DCから「基地に帰投せよRTB」の指示が下った。

 漂っていた緊張感は重く、肩の荷が下りた途端、笠原は思い出したように呼吸をする。


「ラジャー。タロン編隊フライト、感謝する」


『シーウルフ、こちらこそ良い仕事が出来て良かった。タロン03、RTB』


 二機のF-15Jはバンクを振って笠原達に挨拶すると大きくバンクを取って旋回し、あっという間に離れていった。それを見届けた笠原は溜息を吐く。


「シーウルフフライト、リターン・トゥ・ベース」


『Two.』


 秋本の声は掠れていた。二機のF-27Aも翼を翻し、《かが》への帰路についた。笠原はキャノピーから星空も見えない深い暗闇の空を振り返った。中国機の機影ははるか数十マイルに遠ざかり、見えない。しかしその闇の中で脅威が迫ってきているような圧迫感があった。

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