第2話スウィートサマータイム

 

 僕は今、パン屋で配送はいそうの仕事をしている。大きくはないが地元では有名なパン屋だ。一見、小学校の体育館みたいな工場で各種のパンを焼き、一部は併設へいせつされたショップでじかに販売、他は市内のカフェ、喫茶店、スーパーマーケットなどにおろしている。後者こうしゃの仕事を僕がまかされていて、早朝そうちょう、できたてのパンをんだトラックに乗ってお得意とくいさんをまわるわけだ。


 疲労ひろうとともに仕事を終え、情熱を手放てばなしたことに気づく夜は、今でも学生時代を想い出す。


 夏のある日、みんなでレンタカーに乗って海へを見に行った。

 大きく堤防に囲まれて砂浜がある。左はテトラポットの塊が海に突き出ている。右の海岸線は岬の突端に続いている。海の匂い、いや潮の香り。夏なのに早朝なので少し寒いのは北海道ならでは。まだ少し暗い。

 浜辺はまべでは朝日を見ながらスモールボトルのビールで乾杯かんぱいした。オールナイト明けで空腹のピークに食べたケンタッキーフライドチキンはただの鶏肉とりにくじゃなかった。

「10年後、俺たちは今日のことを笑顔で思い出すだろう」

 海と空のすき間からしみ出るように登場したオレンジ色の太陽を見ながら丸尾まるおが言った。

 3人で東の空を見ていた。ふり向いた理央が僕においでおいでした。僕が理央りおに近づいていくと、彼女はなぜか僕に柔道じゅうどう大外刈おおそとがりのわざをかけた。

童貞どうていを一匹押し倒したぞ!」

 僕と理央は砂浜に重なって倒れこむ。

「理央なんてことを! 神がおいかりになる!」

 丸尾がわざと深刻しんこくそうにはやし立てる。

「童貞の神がお怒りになる」

「きゃはははは、くだらない」

 理央がうれしそうに笑った。

 砂にまみれ僕は理央と重なって横になっている。無邪気むじゃきな理央は下にいる僕の太ももにやわらかいバストを押しつけてきた。

「フライドチキンの消化される音がする」

 理央は僕のみぞおちに右耳を埋め、神妙しんみょう面持おももちで僕の胃がらす音を聞いている。僕は緊張きんちょうしたが心地ここちよさがまさった。

「うお〜っ、俺は太陽を食べてやる!」

 丸尾がデニム、Tシャツのまま水平線すいへいせんに向かって走り、海に飛び込んだ。


「……今日も私は私でよかったよ」

 理央が幸せそうにつぶやいた。僕は両手を理央の肩甲骨けんこうこつあたりにえ、赤ちゃんを寝かしつけるように右手でポンポンポンと軽くたたく。僕と理央は抱き合いながらしばらく砂浜に横になっていた。遠くで丸尾が波とたわむれているのが聞こえた。


 僕はこの日から、初めての女は理央と決めていた。

 こっちとしては中二のとき付き合っていた女とキスをしただけだから妄想は爆発する。願いがかなった場合、理央はベッドの中でどんなことするのか。こんなことあんなことを彼女に要求して怒られないだろうか。

 果たして理央はどんなSEXをするのか?


 それからというもの、僕と理央はおたがいの距離を急速きゅうそくちじめていった。「つかさささげるよ」と宣言せんげんしてから理央がクラブでDJプレイをしたこともあった。遊園地へもレストランへも行った。

 何もかも上手くいくはずだった。

 そして秋の理央の誕生日には彼女のマンションでロウソクの立ったホールケーキを二人で囲んだ。しかしその夜、僕は大失敗をしてしまう。

 僕は理央の過去の恋愛にダメ出ししてしまったのだ。

 1年生の時、理央はろくでなしと付き合っていた。彼女は見るからに自分らしさを失っていた。当時、みんなが彼女を心配したものだ。そのことの原因は理央にあると、僕はそのとき断罪だんざいしてしまった。

 大喧嘩おおげんか。僕と理央は激しく衝突しょうとつした。理央にすれば僕にみずからを否定ひていされたような気になったのだろう。


 丸尾の仲裁ちゅうさいで僕と理央は仲直りをすることはした。しかし、言い争いをして二人の関係が以前より親密しんみつなったかといえば、そんなことはない。それ以来僕と理央はどことなく遠慮えんりょしてしまい、互いに一定の距離をたもつような関係になった。そうして現在にいたる。

 結局、喧嘩けんかにになるのが怖くて僕は理央の心の中にんでいけなくなってしまった。しだいに理央の前で、僕はたりさわりのない意見を言うようになった。よくわかっている。そんなつまらない男を相手に魅力的みりょくてきな女が心揺こころゆさぶられるような恋をするわけないのである。


 その理央が見ず知らずの男といっしょにホテルから出てきたという。何も感じないと言えばうそになる。だからってこの僕にどうしろ、と。本当は理央のことが世界一好きなんだと彼女の目の前でさけぶか。……やめてくれ。もう遅い。何もかももう遅いのだ。


 実質的じっしつてきに僕は女っ気のない人生驀進中じんせいばくしんちゅうである。


 明日は丸尾の結婚披露宴けっこんひろうえんだ。理央と会うことになる。何を話せばいいのだろうか。


 

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