第2話 手の中の光
相変わらず、弱まることを知らない太陽は、僕らを熱い視線で照らし続ける。
その光は、傲慢にも僕の部屋にさえ上がり込んできて、あろうことか部屋の温度をぐんぐん上げていく。喉はカラカラに乾き、汗を含んだ服は身体に張り付いてくる。僕は苛立たし気に机に当たり、腰を浮かしかけ数日前にカーテンを売ってしまったことを思い出す。
もう一度安物の椅子へと腰かける。ギシギシと目障りな音がするが、精一杯無視してまた残高の勘定をし始める。
僕はあの時――中学卒業して琴音と別れた時から落ちぶれ始めた。
落ちぶれる速度は、尋常でないほど早かった。あの時から一年半ほど経った時から僕は、生きる意味、理由を見出すことが出来なくなってしまったんだ。
ただひたすらに勉強、勉強、勉強。友人と呼べる存在も誰一人おらず、張り合う仲間も当然いない。あるのは時間と金だけだった。
最初は、誇れるものとして頭の良さがあったが、大学へと進学してから半年足らずでそれすらも無くしてしまった僕は、ただ死という存在に抗う為だけにアルバイトの量を増やし、寝る間を惜しみ働き続けている。
たが、そろそろその生活を送るのも限界が近いようだ。
それは、つい先日の事だった。
僕はいつもと同じように身支度を済ませ、徒歩でバイト先へと向かっていた。
その時の天候は雨で、結構な量の雨が降っていた。
僕はそんな中を一人歩いていたのだが、切り詰めすぎていたのだろう。ぼーっとしていて階段から落ちてしまったのだ。
落ちただけならまだ良かったのだが、如何やら打ち所が悪かったらしく、左手の腕を複雑骨折してしまったのだ。その分の医療費のお陰で、いよいよ僕の懐事情が限界を迎えようとしている。
僕は仕方なく、ただでさえ数の少ない自分の本やCD、ヘッドホン等を売ることを決意する。
もうすぐ僕の手元から去る本やCDなどを袋に詰めながら、僕は思う。
今のどん底の状態から、どうしたらあの時の生活の質にまで持っていけるかどうかという事を。
もう一度
ジリジリとアスファルトの照り返す熱に体力を奪われつつも、先ずは古本屋へと向かう。
そこは、僕の行きつけで、歳を食ったおじいさんが会計をしている。
「すいません」
僕はその人に声を掛ける。
「これらの本を売りたいのですが」
そう僕が言うと、その老人はまるで旧友に裏切られたかのような顔をして言った。
「なんだ、お前も結婚して幸せになっていくのか」
予想より斜め上を行った発言は、しかし僕の心を揺さぶるという役割を果たすことは出来なかった。
「いえ。本は、頭の栄養にはなっても、血液の源になったりはしませんから」
それだけでどうやら伝わったらしい。
だが、同情するような表情は何一つ見せずに、「一時間後にまた来てくれ」とだけ言ってきた。
僕はその間に、これまた行きつけのCDショップへと足を運んだ。
そこでも、全く同じことが起きた。
だが、査定時間は三十分と短めだったのでその間僕は、室内で涼んでいる事にした。
様々なCDを物色していると、後ろから肩を叩かれた。
「ねぇ君。もしかして
「あ、はい・・・」
僕は咄嗟にそう答える事しか出来なかった。
「うんうん、やっぱりそうだったんだね。私の事、覚えてる?」
そう訊かれて、僕は反射的に「いえ、わかりません」とだけ答えてしまった。
その時に初めて、彼女の容姿に目を向けた。
亜麻色の髪に活発そうな表情。顔の輪郭も整っていて、僕とは控えめに言って不釣り合いな美人な女の子だった。
そんな彼女の顔は、少しずつ曇っていった。
当然その原因を作り出したのは僕なのだが・・・これは不可抗力だ。
だが、一応形式上は聞いといた方が良いと思った僕は、「何方ですか」と聞いておいた。
「・・・そっか、ほんとに覚えてないんだ。じゃあ改めて自己紹介するね。私は
彼女はそう念押ししてくる。僕は形だけの返事をし、再びCDを物色し始めた。
すると彼女はよっぽど暇なのか、僕の横に並んで手元を覗いてきた。
僕は鬱陶しげに、僕の肩に触れている華奢な腕を振り払う。
恐らく彼女は、僕が彼女のことを疎ましく思っていることを感じ取ったのだろう。だが彼女は、何故か笑みを浮かべた。
「神夜くん、この後時間空いてる?」
唐突にそう聞いてくる。僕は反射的に「空いてます」と答えそうになり、慌てて口を噤んだ。
「いや、この後は大学の方でちょっと用事があるので。」
そう嘘を吐く。
だが残念なことに、彼女はこの嘘には乗ってこなかった。
「そこを何とかできない?神夜くんに会いたがっている子がいるんだけど・・・さ」
更に質の悪い事に、僕にお願いをする形で約束を取り付けようとしてくる。
いや、今はそれ以上に気に掛かることがある。
・・・今、僕に会いたがっている人がいると彼女は口にした。
生まれてこの方、そんな経験をした事が無かった為、少し興味を惹かれてしまった。
「・・・僕に?・・・あぁ、いや、それでも僕は行けないです」
「どうして来れないの?」
すると彼女は、僕が動揺している事に気付いたのか、理由を訊いてきた。
僕は、どうやったらこの話を突っぱねられるか考えながら、慎重に口を動かす。
「お金が無いんです。だから行けません」
これは事実だ。現に大切にしていたCDと本を売りに出してしまった。
ただ、金を持っていたとしても行かなかっただろうが。
「なんだ、そんな事か・・・。ならさ、お願いを聞いてくれたらお礼に今日の分のお金は出してあげる。これならどう?」
これは、僕にとってはこの上ない好条件。
だが、そうは言ってもただより高いものはないとよく言うものだ。そう簡単には乗れない。
すると彼女は、僕がまだ答えに渋っていることに気付いたのか、僕がその案に乗らざるを得ないことを言ってきた。
僕は仕方なく、売った分の金を受け取った後、彼女に同行することにした。
とりあえずCDと本を売った分の金を受け取りに行き、そこから待つこと十分。
CDショップの入り口から黒髪の落ち着いた雰囲気の少女が入ってきた。
その子は彼女――深山鈴の元へと足を進めていった。
「
そう声を掛けられ、彼女は申し訳なさそうに両手を合わせて謝っていた。
どうやら凛という少女は、前もって聞かされていた程内気な性格ではないようだ。
「で、この人が新太神夜くん。凛、会いたがってたでしょ?」
そう言って彼女は、凛という少女に微笑みかける。
僕は、鈴の紹介に合わせて軽く会釈をする。
鈴は、僕の学年の一つ上で先輩にあたる人物だ。先輩付けで呼ぼうと最初の内は考えていたのだが、彼女に「呼ぶなら呼び捨てだよ!これ絶対!」
と強く念を押されてしまったが何とか妥協してもらい、さん付で呼ぶことにした。
閑話休題。
「こんにちは。
まさか、まったく同じ質問を同じ日に二回もされるとは思ってもみなかった。
だが、焦る頭とは裏腹に、口は勝手に動いてくれた。
「ごめん、覚えてない」
謝罪の意も加えられていて少し驚いたが、表には出さない。
「そう、ですよね」
すると彼女はやはり落胆、というより少し落ち込んだ。
この感覚は、何時までも慣れることは無さそうで、やはり心が痛む。
僕が胸の内で、会った人の事はなるべく覚えていようと決断したと同時に、凛は本題に入っていった。
「その、この後なんですけど――」
「あ、凛。その話なんだけど、来てくれるってさ」
鈴が凛の言葉を遮りそう言った。
すると凛は、安心したようにほっと息を吐き、僕に向かってこう口にした。
「そうだったんですか。なら良かったです。場所は、聞きましたか?」
「駅前のカフェ、だったっけ?」
僕は事前に鈴から、凛とは同い年であることを聞いている。だからわざわざ敬語で話す必要はない。
いつもよりフランクになるよう心掛けたのだが、少しやり過ぎたのだろうか、鈴の目が怖い。後が怖いが、今は無視しておく。
「はい。では、そろそろ向かいますか」
そう凛が言い、僕たちはCDショップを後にする。
自動ドアが開いた瞬間、体中に纏わりつく気持ちの悪い熱気。
人の多さと熱を帯びたアスファルトとが相まって、さながら地獄のような暑さだった。
これなら働くより学生の方が楽だ、などと益体も無いことを考えていると、凛が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「あの、こんな暑い中ごめんなさい」
「いや、大丈夫。君達は大丈夫なのか?」
僕がそう彼女らに問いかけると、鈴から返事が返ってきた。
「うん、大丈夫。君と違ってちゃんと外には出てるから」
嫌味たらたらで。
僕はそれを、鈴と凛との二人称の違いに対する意趣返しと捉えた。
どうしたら矛を収めてくれるのか、それを考えていたら、
「鈴、そんなこと言わないで」
凛が鈴を咎めてくれた。
凛と鈴は、姉妹と勘違いされてもおかしくない程親し気な間柄だった。
「冗談よ、冗談。ごめんね、神夜くん」
軽い調子でそう口にする鈴。
僕自身別に気にしている訳ではなかったため、軽い返事で快諾する。
それに、CDショップと駅は目と鼻の先だ。当然今回の行き先までの道のりも短くなってくる。
もう既に行き先の店は見えている。
僕は高鳴る鼓動を抑え、冷静であろうとした。
そこで僕は一つ、重大なミスを犯していた事に気付く。
容姿だ。服は紺色のジャージ上下、髪はぼさぼさで目元には薄くではあるがクマが出来ている。
これから会う人が、今の僕の装いを見たらどう思うだろうか。笑うだろうか。心配してくれるだろうか。
願望では、圧倒的に後者に傾くが、世の中それほど甘くはないことを知っている。
僕は、前者だと思う。
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