第17話 エビチリ

 酷く、落ち込んだ。

 ここ数日の楽しかった事が、今の自分の醜い行為で汚されたような気分になる。


「最低だ……」


 俺は弁当のはいった袋を小指で引っ掛けて玄関から机の上に置いた。

 惣菜屋で働いているおねーさんが、客である俺に優しくするのなんて当たり前だ。

 それを欲情にかられて厭らしい目で見てしまうなんて、しかも、たまたま住んでいるところが上下なだけなのに、その姿に、さらに興奮して……

 考えれば考えるほど落ち込んでいく。

 あ……これ、久々のやばいスイッチが入ってしまいそうだ……


 事故の後に、何度も味わった、死んでしまいたくなるような暗い闇が自分を締め付けて、世界から何処かの地獄の沼の奥にでも引きずり込んでいくような感覚。

 頻度は落ちたが、今でも、たまに、起きる。

 そして、これが起きると一週間ぐらい倦怠感が続く……

 

「嫌だ……」


 為す術無く落ちていた時には思いもしなかった。堕ちたくないという気持ちが言葉に現れた。

 言葉を発すると同時に吐き出した空気を吸う時に、救いの手が俺を包み込んだ。


 ぐぅーーーーーーーーーーー


 その香りを嗅いだ身体が、大きな声を上げてくれた。

 

 エビチリの香りだ。


 固まった石像のようになりかけていた身体が、カッと熱くなった。

 沈んでいく精神こころが急浮上する。


 ガサガサと夢中で袋から弁当を取り出していた。

 手も洗わずに箸でエビチリ丼をかきこむ。


「うみゃふぃ、ほふ……」


 美味しかった。

 しっかりとした辛味が冷え切った身体と心に熱を注入してくれる。

 ご飯との相性も抜群だ。

 エビはぷりっぷりで噛みしめるとエビのエキスが口いっぱいに広がり、逆方向から鼻孔を刺激する。

 食べながら腹が鳴る。

 ガツガツと口の中にエビチリと米をかきいれる。

 隣においてある八宝菜にも飛びつく。

 豚肉、エビ、イカ、人参、たけのこ、白菜、きくらげ、青梗菜。

 様々な食感と味わいが、絶妙な味付けによって最大限に旨さを引き出されている。

 シャキシャキ、コリコリ、サクサク、もぎゅもぎゅ。

 歯と舌を楽しませてくれる。

 八個の宝とはよく言ったものだ。

 しっかりとしたにんにくの風味が、次の食欲と、身体への活力を補給してくれる。

 間に優しい卵スープを挟めば、辛いエビチリのループも止まらない。


「ごちそうさまでした……」


 手を合わせ、感謝する。

 心の底から、感謝をする。

 今、俺を救ってくれた食事に、感謝をする。


「満腹だ……」


 満たされている。身体が、精神が……

 堕ちかけていた俺を、食事が救ってくれた。


 ざわついた気持ちもすっかり落ち着いていた。


「仕方ないよな、俺だって男だし。

 てか、立つんだな俺……ははっ、ハハハハハッハハハッハハハハハハハハ!!」


 急に腹の底から笑いがこみ上げてきた。

 こんなに笑ったのは、高校の時、友達と馬鹿騒ぎしてた頃以来だ。

 

「ヒーーーー、苦しい……はー、はー……」


 思いっきり笑った。

 うっすら汗をかいてしまうほど笑った。


「喉乾いたな……」


 俺は今度はスムーズに外の自販機でお茶を二本買って、一本は冷蔵庫にしまい、一本は一気に飲み干した。


 時計を見ればすでに7時に差し掛かっていた。


「あ、やべ。早くシャワー浴びないと……」


 約束の時間は7時半だ。

 俺は急いで弁当を片付けて、シャワーを浴びる。

 そして、約束の時間ぴったりにログインする。


「危ない、ギリギリだった」


「あっぶなーギリギリセーフ」


 ほぼ同時にログインしたミーナと同時に同じことをつぶやいた。

 ログインしたばかりの俺達は思わず見つめ合ってしまい、同時に吹き出してしまった。


「あははははは、おんなじこと言ってるー!」


「ミーナもギリギリだったんだはははは」


 しばらく笑いが止まらなかった。


「あー、おかし。涙出そう……」


「いやー、笑えたね」


 ふとミーナの姿をまじまじと見る。

 うん。まったいら。罪悪感感じないで済むから助かる。

 黒髪中分のデコちゃんなミーナは可愛らしい女の子って感じで、俺に厭らしい気持ちをもたらすことはなかった。良かったよかった。


「それじゃあ、街へ向かおうか!」


「うん!」


 村から街までの移動は街道に沿って安全に大きく迂回していくか、少し手強い敵が出る可能性がある高原地帯をまっすぐと抜けていくか、の二通りがある。

 俺達は回復剤などをしっかりと準備して直進ルートで街へと向かう。

 武器も新調してレベルも上がった俺達なら問題は無いはずだ。


「道具はオーケーですかー」


「はーい、オーケーでーすリュウヤ先生!」


「はは、なんだよそれ! よっし、出発だー!」


「おーー!」


 俺達の街までのプチ冒険が今始まる。

 

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