/6 ヘンゼルとグレーテル(to EverGreen)


「レンゲジ」


 事態がある程度の収束を見せたところで、壁際に捨ておいてきたスピーカーを拾う私に声がかかる。


「あ、サクライ警部。お疲れさまです」


 顔を上げる私に通報から現場に駆けつけた警官――サクライ世界警察本部警部は小さく頷いた。


「しっかし貴様、また派手にやってくれたなぁ、おい」


「……そ、それは、その。申し訳ないです……」


“手段を選ぶな”ではなく“手段を”との教えを受けている私としては本当に申し上げる言い訳がないのであった。


 ――あらためて街並みを見渡す。うん。結構な戦場跡、といった風情だなあ。


「ま、どんな状況かは道すがら聞く。協会まで戻るんだろう?」


 乗っていけ、と親指で示される送迎車――もとい世界警察本部のパトカー。


「あはは。連行みたいですね……せっかくなので甘えさせていただきます。それと、今朝はお早い手助けありがとうございました」


 と、ドアの開いた後部座席に入る私。そして警部は助手席へ。運転席に座る警官さんが私を一瞥した後、頷いてパトカーは走り出した。


「……貴様がならんように願っている。リカーの秘蔵っ子」


 憮然とした口調。表情は後ろからでは窺えないが、きっと言葉と同じだけの渋い顔をしているのだろう。


 私は、事前情報の答え合わせをするかのように、もう解り切った質問を口にした。


「……やっぱり、警部は賞金稼ぎがお嫌いですか」


 沈黙に合わせるかのように信号で停止するパトカー。彼の答えも、それに合わせるかのように再び動き出すタイミングで出されたのだった。


「まったくその通りだ。正直に言うのなら、賞金稼ぎ制度など存在しない社会の方がよほど安心もする……まぁ、」


 。どうあってもヒトは、その全てが正しく生きられる生き物では無い。


 倫理というを抜きにした話。どうあっても善い人間よりも悪い人間の方が得をするのが、人類の築いた社会の真実だ。


 群れをなして生活する他の生き物とは違って、ヒトというのは個体ごとの個性が強すぎる。斜に構えた、拗ねた意見ではあるが――とどのつまり、法だのルールだのは『等しく得られるためのモノ』ではなく。『等しく失うために在るモノ』だ。


 だから、徳はまったく無いが悪人の方が得をする。より多くを得られる。


 ――だから。正義だけでは無辜むこの人々を守りきれない。


 正義ではないまでも、悪を狩ることで生活をするような人種が必要な世の中になっているのだ。


「人間ってのは決して、からな」


 そう呟くサクライ警部の言葉は、共感覚を持たない私にも、慣れたくはなかったけど生活上すっかり慣れてしまったがした。


 煙草の煙のような、だ。


 その活躍に<正義>を冠する人物が、ヒトは正しくはないと言う。



 ただ、続いた言葉は。


「――それでも人間ってのは、正しく生き物なんだよ」


 なるほど、と頷く。


 お師匠様やブラック先生がこの警部を煙たがりつつも、実のところまったく嫌ってはいない理由がひとつ、わかった気がする。



「で? 貴様にしては随分と意外な獲物を狙ったじゃあないか、蓮花寺灰音」


 話題を切り替えると同時に、英語から日本語に変わった言葉。


 緊張状態は続いている。不意に聞こえてきた母国の言葉に、私はいつかのように安堵から涙を流しそうになり――呼吸ひとつでそれを抑えた。


「あー……えーっと、お師匠様からランク上げをせっつかれていると言いますか……いえ、その、学業の方も若干のピンチではあるんですが……その、ハイ」


 ――言えない。言える筈がない。公的には『チャイルド=リカーの弟子としてやがては【緑のカラーズになる】』と一部で持てはやされている私の、その動機というヤツがどうしても言えない。


「あのなぁ、蓮花寺。俺は他人の人生にとやかく言えた身分じゃないが、高校生は勉強をするのが仕事だと思っている。真面目に生きろ」


 と、私の進路を心配する学校の先生みたいな、諦観とそこそこの距離、それから滲み出る人間として当たり前の心配……を混ぜた複雑な、煙草というよりも濃く出すぎた緑茶のような苦みのあるお言葉を頂いてしまった。


「……ハイ。ゴメンナサイ。これが終わったら帰国して補習受けます」


 うむ、と助手席で頷く気配。


 うーん前途多難。そんな私の未来を暗示してか、協会の前でパトカーを下ろされた私が見上げた空は、どんよりと曇っていたのでした。


「リカーによろしくな」


「はい、警部もお気を付けて」


 サクライ世界警察本部警部を乗せた公用車は法廷速度をきちんと守って走り去って行った。


 さて。


 かつてないスパンの短さで再び訪れた協会の自動ドアをくぐり、私は受付に向かう。


 ロビーを突っ切る私に注がれる同業者、協会で働く人々の視線。数日前に話をした受付嬢がフロントに立っている。


「お疲れさまです、ミス・レンゲジ。首尾はいかがですか?」


「はい、お疲れさまです。【お菓子の家キャンディーハウス】は無事、リーダーのグレーテルの捕縛に成功しました。構成メンバーも全部、かどうかわからないですが大抵は仕留め、あ。今回応援を要請したのでのサクライ警部から後日詳細なデータが入ると思います」


 足音は響かない。まず、必要なことだけを伝えた私は紙資源をやめて電子機器としての運用が当たり前になったタッチパネルタイプの端末に、受け取った専用のペンでインクを消費しないサインをしようとし――


 振り向きざまにソレを背後から奇襲してきたの喉笛へと穿った。


『人間ってのは、何を使っても人間を殺せる』


 とはお師匠様の教えである。


 ごぽ、と。口と喉からドロっとした血を零しながら――ちょっとトキメいてしまう美しさのあるイケメンがくずおれる中、疑問を孕んだ眼で蓮花寺灰音を見上げていた。


 どうして、と。


「……えーっと。はい。これで【】も、討伐しました」


 血まみれのペンを引っこ抜いて受付さんへと振り返る。絶句していた。わかる。


 考えてみれば当然のことだ。


 。そのライセンスカードを失うことが、その賞金稼ぎにとって死を意味するほどに、対外的にではなく本人にとって重い、一枚のカードだ。


 どうして私が出逢ったヘンゼルくん――グレーテルはこの協会で私と会う事ができたのか。悲しいかな、ライセンス持ちのカラーズが賞金首に身を落とす、なんて事例もそこそこあるのだが、今回はそうではない。


 必殺必中の殺し屋。【お菓子の家キャンディーハウス】へ依頼した人物が誰かはわからないが、今となっては明白な答え。その獲物が蓮花寺灰音だった、という事実。


 かのじょの言葉に嘘はない。この倒れ伏す兄は、のだろう。



 だから、その眼に宿った疑問の色は、どうしてヘンゼルはきちんと存在していたのか、ではなく。


 ――どうして、およそ完璧な不意打ちを予知できたのか、という点だろうと思う。



 いや、私もお師匠様のこれはどうかと、本気で思ってますよ?



 /



『いいか、ハイネ。手前様に荒事の才は無い。だから己が一番適任だ』


 そううそぶくチャイルド=リカー。彼が先ず行ったのは、実力的にはそのライセンスの取得の経緯さえ疑わしく思えるほどの、実力のない少女をへと連れ出すことだった。



『ここが最前線フロントラインだよ』


 紛うことなき生死の遣り取り。互いが互いを殺そうとする賞金稼ぎとトビラの賞金首。此処では安価な銃弾よりもなお安く命のレートが見積もられている。


 困ったコトに。生かすにせよ殺すにせよ、討伐した賞金首には高額の報奨金がくっ付いているが、賞金稼ぎが死んでも自分にかけた保険金くらいしか、その死後に生まれる金はない。


 そんな場所で、少女は本当に――あの夜よりももっと近く、死というモノに直面した。


 その感覚を忘れるな、と【白】のカラーズは言う。


 ――間延びする外からの音。自分も世界も、ひどくゆっくりと流れていく中で、自分の思考だけが普段と変わらず――否。加速してタンスをひっくり返すようにあらゆる記憶を乱雑に脳内へぶちまける。


 死に臨んだ瞬間に訪れる執行猶予モラトリアム。飾り気なく言うのであれば、それはだった。


『別段、特別な事じゃあない。これはヒトが生き抜く為に捨てなかった本能だ』


 一秒後に迫る『死』を回避する手段を、ありとあらゆる自分の記憶から引っ張り出してしようとする。


 その感覚を。同じヒトであるのならば誰もが備えていて、


『手前様にはブラックのような天性の肉体や勘も無い。OZのあの小僧のように、空を飛ぶ為の才能とやらも持ってはいまい。できるのは自分のアタマで考え抜くことくらいさ』


 差し迫る状況に対し、適切な対応を。無闇に引き出すのではなく、その状況に適した手札を。


 刹那を永遠に偽装しろ、と<最強>のカラーズは言った。



 時間を止めることは誰にもできない。持って生まれ、鍛えた以上の身体能力も発揮はできない。ただ、自身の中でだけは。その思考だけはここまで速くできる、と少女の師は言った。


 将棋やチェスのプロが盤を挟んで相手と行うに、それは似ている。


 否応なく過ぎ去る現実時間。読み切れなければ敗退する、十も二十も先の一手。


 自分の一挙手一投足がにどう影響するのか。現状で身体をどう動かすことができるのか。


 思考を止めるな、と。


 少女は何度も泣きながら、その教えを身に付けた。


 彼女に――蓮花寺灰音に(カラーズとして)唯一の適正があるとしたら。


 癒える事の無い過去の傷と、その結果における現在……どれだけ怯えていても、その身体は竦まないという、後付けの体質と、チャイルド=リカーの戦法とそれは、この上なく相性が良かった、という話。



 凶悪な賞金首。他者を害する才能を持った獣に、際限なく加速させた凡人の思考で肉薄し、その首に輪をかける。


 この大物獲りからほど近い未来。弟子は師匠の『読み』を超える速度で、その『色』を戴く事となる。




 /


 バド=ワイザーが手配したリムジンの中で、少女はじっとその瞬間を待っていた。


 外ではもう始まっている。友人たちの戦いも、約束を反故にしてでも狩ろうとする少女の師も、みんな先にその場所に居る。


 まだ、自分がその場に現われてもできることがない。もうこれ以上のことはできないし、でも遠巻きに見ているだけだなんて真っ平ごめんだった。



「……! 来た! 承認入った! これで『招待状』もばっちりだ! うっあー。我が事じゃないのにめっちゃ緊張するんですけどー! 準備良い? うっかり停車して顔見られないようにしてよね運転手さん!」


 現在の彼女に、やっとのことで現実が追いついた。


 この瞬間、やっと彼女はあの場所へ立つ資格を得たのだ。


「OKOK任せろベイビー。逃げ足の速さには定評がある。……さあ、見えてきたぜ今夜の舞踏会!」


「真昼間ァ!」


 変わらないやり取りに笑ってしまう。


「そういえばバドさん、【お菓子の家キャンディーハウス】の情報、ありがとうでした。毎度のことながら完璧な情報精度です」


 未知よりは既知の方がどれだけ成功に関わるか。彼女は自分を未だ、一流のカラーズとして見られては居ない。



「お、ご機嫌だな、期待できるぜ!」


 かつて【黒】を冠した元カラーズ・現ミリオンダラーは快活に笑い、


「すっげえ肝の据わり方。オレだったら即座に明け渡すよ? その役」


 世界で最も優秀で、最も【無名】の情報屋は肩を竦ませた。


 そう。彼女は自分があの場所へ辿り着くことを許された理由を、謙遜ではなく正しく受け入れている。



「……いいえ。私はなーって」



 戦場が見える。銃を交えるチャイルド=リカーとOZのレオ。


 賞金稼ぎと賞金首。世界警察本部の精鋭たち。


 それを止められるだけの富と名声を、少女は少なくない数の人々の手助けの結果、手に入れた。


 ライセンス取得から一年と十ヶ月。『色つき』へ最も早く到達した十八歳の少女。


【チェス】が死を賭して護り抜いた、最後のピース。


 <最愛>のカラーズは、祈りではなく確かな決意を持って、リムジンから降りる。



 ――だから。私は私の舞台に立つ。




 /【首輪物語】『少女の約束エンゲージ・シンデレラ』 始。



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