/3 白曰く


 駅を降りて改札にパスを通す。日常的に何度も行っている動作。それなのにキチ、と胸が軋んだ。鉄板と鉄板を擦るような、喉からは出てこない類の悲鳴。


 ここはアメリカで、日本じゃない。私の使っているものも日本でのみ通用する電子切符ではなく、カラーズのライセンスだ。あの時とは違う。


 ――あの時、彼が使ったように。私は私の証明を、使っている。


 深呼吸。怒涛の一年間で私は自分の動かし方、というのを本当に嫌になるほど叩き込まれた。軋んだ心はその一回のルーティンで静まる。私は階段を登り、地下鉄から地上へと繰り出した。


 空は曇天。眩しさに痛みを覚えないで済む、というのは良いことだろう。


 雑踏に紛れて歩道を足早に歩く。カラーズとしてそこそこ名が売れた(らしい)私の姿を、けれど誰も気に留めたりはしない。元々目立つタイプではなかったし、そういうのは正直いうとありがたいので特に思うところもない。……そもそも、私は師と違って富と名声欲しさに『色つき』のカラーズを目指しているわけではないのだから。ただ目的のために、富と名声が必要なだけ。


 誰も私を気に留めない。とても健全だと思う。私と同じように街を歩く誰かの群れは、私と同じようにそれぞれの人生や目的があって歩いている。見知らぬ誰かのことなど気にしていられるようなは限られていて、そこは賞金稼ぎもサラリーマンも変わらないだろう。


 後ろから鳴らされた、プァン、というレトロに過ぎるクラクションの音。次いで車道から私を抜き去り、10m先で路肩に停車する一台のスーパーカー。フレアレッドのランボルギーニには見覚えがある。というかソレに乗っている人物を一人しか知らない。私は早足のまま停車しているその車まで歩いて、止まった。


「どちらまで? 私が送りましょう」


 右側、助手席のドアはガルウィング……横へではなく上に開いた。天井の低い立体駐車場とかでは困るらしいけれど、密度の高い場所では有利な開閉システムらしい。


「警官にナンパはされてませんけど。助かります」


 シートに滑り込んだ私がシートベルトを締めるよりも早くドアが戻り、そのままランボルギーニは走り出した。


「ようハイネ。大物を狙ってるそうじゃあねえか」


「相変わらずお耳が早いですね、お師匠さま」


 運転しながら、煙草を銜えたままの口元を愉快げに歪めるお師匠さま、もといチャイルド=リカー。


「情報は鮮度が命ってな。ま、高額賞金首だろうが木っ端賞金稼ぎの情報はさておき、他ならない手前様のコトならすぐに入るさ。……随分と愛されてるようでなによりだぜ? ハイネ」


「なんですか、ソレ」


本部NYの受付が連絡入れてきたンだよ。【お菓子の家】狙いだっつってな」


 あの娘も手前様を気にかけてる、とお師匠様。


「……なんですか、ヒトをアイドルみたいに。これでも上半期のランキング入ったんですからね、私。っていうかまだ目的地言ってないんですけど」


「おっと失礼。で、何処までだい?」


「デイジーカフェです。世界警察の方の本部に最寄の」


「諒解しました、シンデレラ。……んで、だ」


 信号は赤。いくらこの人が破天荒なカラーズのトップだとしても、有事でなければ交通ルールを破ったりはしない。有事の際にはパトカーを置き去りに爆走するのは知っているけれど。


 煙草を灰皿に入れて、鏡面のサングラス越しに流れた瞳が私を見た。


「手伝いは要るか?」


「……いいえ。これは、私の、仕事なので」


 自分を納得させるように、一言一言を大事に紡ぐ。


「いつまでも【白】に庇護されてたら、が売れませんから」


「……ク、」


 その解答は、どうやらお気に召したご様子。


「良いね。正直な話、引っ込み思案な部分だけはどう矯正したもんか頭を悩ませていたが。一年も連れ回したら吹っ切れるくらいにはなる、か。クックク、ははははは」


「境遇が最強を作る、って言ったのはお師匠さまでしょう。我が身が可愛いのだったら引き篭もっているよりも不安の種を摘んだ方が安心できる、とも」


 信号は青に変わり、再び車は走り出す。


「はは、ははは。いやあ、そうは言ったがここまで物騒に育つとはなあ。そうさな、今回の申し出は無粋だった。弟子の獲物を横取りするのはあまりにも大人げない。許せよ、ハイネ」


「その調子で、OZを狩るっていう期限も撤回してくれませんかね……?」


「それはそれ、これはこれだ。そもそもハイネ、手前様は何か発破がかかってないと走れん性分だろう」


「う」


「己が言った事を覚えているかい、ハイネ」


「……はい。あと、半年ですよね」


「期限の話じゃあ、ない。己が手前様に教えたことの、一番最初のやつだ」


 ……ああ。それはもう、身に沁みて覚えている。甘くも酸っぱくもなく、ただただ繰り返し続けた結果、忘れられなくなった言葉だ。


「もちろん、です。ので」


「上々だ。んじゃ、精々死んだりしねえようにな? これでも己は、手前様のことをいつも心配しているんだ」


「……お師匠様って時々お父さんみたいな、いたっ」


「莫ァ迦。育てる労力を無駄にさせんなっつってンだよ。そら、着いたぜ」


 世界警察本部から大通りの道一本。最寄の支店、とは言ってもその正義の威容は1km先だ。それを遠くに見て、再び上へと開いたドアをくぐり、頭を下げる。


「ありがとうございました。お師匠様もお仕事お気をつけて」


「あいよ。ああハイネ、トランクに手前様へのプレゼントが入ってる。持って行け」


「……? ありがとうございます」


 ぱすん、と後部トランクのロックが外れる音。後ろに回って開くと、時期外れのクリスマスプレゼントみたいなラッピングをされた、そこそこ大きな箱が入っていた。


「お師匠さまー! これはー?」


「現場入りしたら開けると良い。今の手前様に必要なもんだろうよ」


「ええー……」


 つまり今は開けるな、ということか。意図のよくわからないことへの不満も兼ねて、少し強めにトランクを閉める。


「そんじゃーな。グッドラック、ハイネ」


 開けた窓から出した手を軽く振って、お師匠様を乗せたランボルギーニは走り去って行った。


「……さて」


 思わぬ邂逅だったが、お陰様でヘンゼルくんと落ち合う時間よりも随分と早く到着できた。ちょっと失礼かもしれないけれど、先に軽く食べよう。


 体重に関わらないのは体質じゃなくて生活、というよりもスタンスの方。それに健康的ではあるだろうから、と自分を騙す言い訳をしながら自動ドアを通り、来店。


 ……明らかにカロリー摂取量が増えていることにも、きちんと理由があるのです。

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