/3 とあるマフィアの昔話。



 ――蓮花寺れんげじ灰音ハイネ。カラーズの【緑】の色を頂く、<シンデレラ>そのひとである。


 公私共にその相棒を務めているのは、彼女の前に【緑】の座にあった、過去から現在まで<最大>の規模の賞金稼ぎグループ『チェス』唯一の生き残り。<ナイト>の国府宮こうのみやユミ


 ケイ少年が産まれる少し前まで、世の中は今現在よりももっと騒がしかったらしい。賞金稼ぎ制度の導入後、最初期を除けば数えるほども無かった【ミリオンダラー】の満席に、入れ替わり立ち変わる【五色】。話を聞けばその青春時代は波乱万丈で、日々賞金首を追い求めては多額の懸賞金を手にする彼女をして今は相当に『穏やか』になったそうだ。


「昔の? そうだなぁ……」


 当人は席を外している。やめて欲しい、とも言えない自分の昔話をけれどやはり聞きたくはないのか『ちょっと逃げるよ』と、潔すぎる台詞を残して外へ行ってしまった。一緒に『オレもあんまり詳しくはないからパス』と弓もそれに続き、夕食後のプライベートなひとときは渦中の人物を抜いた状態で、その話題に花を咲かせることとなった。



 ――。<足無し>カカシというのが、ケイの父親であるランスロット=ジャックス=ハイドロビュートのかつての名である。


 不世出のFPライダー。この空に数々の神話を遺し、いまはミリオンダラーの三番【スケア・クロウ】ハイドロビュートファミリーの家長である、その男。


 <足無し>、カカシという蔑称が愛称に変わり、いつしか畏称へと変貌するまでの、当事者たちからすれば嵐のような速度で過ぎ去ったその時代と今現在。


 蓮花寺灰音は懐かしむように目を細め、テーブルの対面に座るケイとヴィーを見る。


「――やっとのことでライセンスを手にした私は、勢いで来てしまったロンドンでうっかり行き倒れるところだったんだけど、」


 お恥ずかしながら、などという台詞をさらりと付け足し、紅茶を一口飲む灰音。兄妹は開いた目を何度もぱちくりさせていた。彼女の横では一人の少女が何故か掌の底で眉間を押さえて心の鈍痛に耐えている。


「そ、そのハイネさん、自分の汚点からスタートするのはどうかと……」


 居た堪れなくなった少年の言葉に、灰音は柔らかな笑みで「ううん」と首を横に振った。


「大事な友達の恥ずかしいかもしれない昔話を、その子どもにするんだもの。その人だけっていうのは公正フェアじゃないでしょ?」


 かもしれない、という言葉はつまり、当人にはどうあれ共に過ごした彼女らには恥ずべきことのない輝かしい一頁だから、ということだろう。


 <シンデレラ>はその名を頂くようになったターニングポイントであり、兄妹の両親であるふたりと、現在のファミリーの大幹部であるふたりで構成された、かつてミリオンダラーの二番に座していた四人の話を、こう紐解いた。



「心優しい魔法使いに、魔法をかけられました。南瓜は馬車に、ネズミは馬に。ぼろぼろだった私のふくは、星をちりばめたのかと疑うような眩いドレスへと――」



 その時代。最も世界を熱狂させた、とある強盗の童話を。





 /


「どうぞ」


「どうも」


 二つのグラスにウィスキーを注ぎ、その一つを渡す。乾杯はなく、二人は短いやり取りだけを済ませて琥珀色を一口飲んだ。



「……いまさらだけど。自分の子どもが昔の自分の話を、それを良く知る人物から聞くっていうのが、こう。結構迫るものがあるんだ」


「わかるけど本当に今更な? アンタんとこのももう十五だ。絵本じゃ満足できないお年頃だろうさ」


 ランスロットの私室で、サロンで行われている昔話と同じように。かつての空に愛された少年と月に魅入られた少年は過去の話を、蒸留酒を飲む時の作法のようにゆっくり、急がずに交わす。それは子どもたちが聞いている頃よりも少しだけ未来の話でもあった。



「……アンタは灰音に昔こう言ったよな。『君の復讐は正しい』。だから聞いてみたくなったんだよ。どうだい、アンタの言うってやつは」


「まったく……がソレを言うのか」


「共感性に乏しくてね。オレなりの答え合わせってやつだよ。随分と、時間がかかっちまったけどな」


 春から青さが抜けた時分の話だ。ヴィーも、ケイも生まれるよりも前。


「……。最初に口に入れた時、こんなもの飲めるか、って思わなかったかな」


 自分の置いたウィスキーのグラスの縁を撫でて、ランスロットはそんな問いを。


「あー、うん。そうだな。あと煙草も同じ感じだったわ。咽る」


「それと似ている、かな。子どもの頃は味だなんだに意識を割く余裕なんてなくて。ただただ飲み込むことに苦労して。それを耐えることが大事だなんて勘違いをしていてさ」


 さて。コーヒーが、砂糖もミルクも入れずに飲めるようになったのはいつの頃だったろう。それを美味しいと思えるようになったのは、それからどれだけ経った後のことだろう。今飲んでいる酒も同じだ。樽の中で過ごした時間。そのいみを理解できるようになるまで、どれほどの時を要しただろう。


 暫し目を閉じて、何を言うべきかを整理する。


 グラスの中で僅かに溶けた氷が、カランと音を立てて転がった。



「……最初に教わったのは、ナイフの握り方。今でも頭が下がる想いだよ。アーサーはどこまでを想定して、あの頃の僕を引き取ってくれたのかって」


 続く言葉に弓は笑った。


「なるほど。そいつはのがきんちょには早い話だな」




 飲み干されたグラスに再び注がれていく琥珀色。


 閑話休題。国府宮弓は話題としては瑣末でありながら、個人的に興味のあった疑問を投げかけた。



「映画観たよ」


「観なくても良かっただろうに」


「でさ、なんであのオファーを受けたんだ? 死んだ後に作られるならまあ、後の人間がやることだろうって思うだろうけどさ」


 ランスロットの眉間に皺が寄る。やがて、息子に遺伝した少年期からの癖……溜息をついて、彼はその契機を口にした。



「……持ちかけてきたのが見知らぬ他人なら受けなかったし、そもそもを知っているのなら、そんなことは思いもしないってくらいの権威はあるとと思ってる。昔言ったことを、まだ覚えられてたんだ。確かに、貸しはあったようにも思えるけど借りなんて作ってなかったはずだけど、うん。……きちんとした額を提示してきたことと、あとはまあ……『やるなぁ』って感心しちゃったのが僕らの敗因だよね」



『貴方の命ひとつで賄うには、OZの出演料は安くない』


 そう言って、切って捨てたはずだったのだ。


 あれから何年も経って『ではこれでどうだろうか』などと提示された金額よりも、それを行おうとした心意気に呆れ、また面白いと思ってしまったのも事実であり。


「なるほどね。うっかり忘れかけるけどそうだったな。アンタらミリオンダラーってのは、とびっきりのだったわ」



 ――さて。その、けっして若くはないの映画製作者が今回の作品でいくつの賞を手にしたのか。それはまた、別の話。




 /脅怖の鴉(前) 終。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る