/2 サン・オブ・ア・ウィッチ


 授業は滞りなく終了した。放課後、家族一緒に食べる夕飯までの緩やかなモラトリアム。


 出迎え用に自分も何か買って渡した方が良いのだろうか、などと帰り道でショップに寄ることをなんとなく決めた矢先。


「ケイ」


 少年は自分の名前と共に投げられたボールを両手でキャッチした。


「たまには付き合えよ」


 数メートルの距離を空けて手を振るクラスメイトと、手の中のバスケットボールを見比べてから、ケイはボールを投げて返す。


「……いいよ、少しだけ」


 学院の中庭にはひとつのバスケットゴール。その下に三人。学舎の壁に寄りかかって休んでいる一人と、ケイを誘ったクラスメイト。


 クラブに所属するほどの熱意はなく、ただお遊びとしてスポーツをしたい連中だ。ケイを入れれば3on3の形式でゲームができる。


 上着を脱いだケイはスクールバッグと一纏めにして隅に放り、失うモノも特にない、一度では勝敗のつかないユルいバスケットに興じた。




 ――そこに、真剣さはなく。


「なあケイ、なんかあったのか?」


「別に? ちょっとだけ、ッ」


 アーチ状に軌跡を描いて放られたボールは、ゴールリングに当たって跳ね返る。


 ゴール下で同い年の仲間たちが飛び上がってボールへと手を伸ばす。リバウンドを制したのは相手チームで、攻守が交代した。


「順風満帆ってのも、なんかホントか? って思うような気がしてるだけだよ」


「ヘッ、なんだソレ」


「僕もよくわかってない」


 こうして敵味方関係なく雑談をしながら行う程度には、熱が入っていない。


 けれど、少年たちが持て余している熱量を呼吸のように排気するにはちょうど良いのだろう。少なくとも、路地裏で暴力やに夢中になるよりもずっとずっと健全だった。


 高く頭上を越えて飛んで行くボールに手を伸ばす。ジャンプしても届かない。


「ケ~~イ……」


 友人の呆れた声。後ろで、シュートされたボールがゴールのネットを通って、ぱさりと乾いた音を立てた。


「……なんだよ」


 得点を許したのでまた攻守が交代する。ボールを拾った友人は肩を竦めた後でフリースローラインに立つケイへとパスをした。


「オレたちとやるより、クラブの方行かねーの? 誘われてんじゃん、ずっとさ」


「別にバスケが好きってわけでもないし」


「オーウ。叱られても知らねーぞー!」


「夢見させてくれよ、ケーイ!」


「ジーニアス! ジーニアス!」


 敵味方関係なく飛んでくる、野次のようなファンコール。


 両手で回転させているボールを見つめながらケイは――父親譲りの癖だと本人は自覚していない――ため息をついた。


 ……天才ジーニアスなあ。


 思うところは色々と。


 歳が離れていることが何の慰めにもならないくらいに、幼い頃からその『才能』とやらを近くで見続けてきた少年は、それがとの差であることよりも、時に残酷に映ることを知っていた。


 呼吸を止めた肺のように、心が沈む感触。手を伸ばしても届かない、という実感。



「……お兄ー!」


「げ」


 鬱屈しそうなところにかけられた声に呻く。いつの間にか回転を止めていた手の中のボールから顔を上げると、腰に手を当ててなにやらご機嫌斜めな様子の妹の姿が半分だけのバスケットコートの外にあった。


「今日は予定があるんだから早く帰らないとって昨日言ったじゃないか」


「わかってるって! お前だって変わってないじゃんか、ヴィー」


「おっと、こわーい妹様のご登場だ!」


「ヘイ、イイとこ見せてやれよお兄ちゃん!」


「あー、もー……!」


 もはやギャラリーと化して囃し立てる友人たち。ふと湧いた些細なストレスをぶつけるのに打ってつけなゴールは4メートル先。


 同年代と比べても小柄で華奢な身体は、そんな遺伝欲しくなかったなあなんて思ったりもしたもので。


 それでも父親は最終的にはそれなりに身長が伸びたので、まだ諦めなくても良さそうだ。


 胸に燻るこの衝動は、幼い頃からずっとあったモノだ。その答えを両親は自ら教えてくれはしなかった。優しさか厳しさかはわからない。


 ――追い風に背中を押されるように、フリースローラインを踏み切る。


『……どっちに似たのかなあ』


『どっちもじゃない?』


 顔を見合わせて首を傾げた両親の記憶を置き去りに。


 ――跳躍の瞬間、燻っていた何かが『そうだ』とソレを肯定する。



 ふわり、と空中に投げ出された少年の身体は、けれども少しの不安も覚えることはなく。かつて世界を熱狂させた人物たちに寄せられたものと同じ色の瞳がそれを見上げている。



 距離4m、高さ3mの場所にあるバスケットボールのゴールリングに、少年はまるで空中に階段でもあるかのように跳んだ。


 ゴールリングに、ボールを両手でねじ込んでぶら下がる。小柄な少年のダンクシュートに軋むゴール。わっと上がるギャラリーの歓声。手を離して地面へ降りる。何もかもわかってると言わんばかりの笑顔で手を上げる友人へと、なんとも言えない顔で交わすハイタッチ。


 遊びはここまで、と自分の荷物を持って来た妹に半眼をくれてから、けれど素直に受け取った。



 字面はさておき、そこに嘲りの意味はない。ケイは知る人ぞ知る、飛行症候群ピーターパンシンドローム――FPライダーたちの間で、敬意を込めてこう呼ばれていた。


 <魔女の息子>と。


 なんでも母親は若かりし頃、<日曜の魔女>などと呼ばれたトップライダーの一人だったそうだ。



 兄妹は揃って帰り道を歩く。



「……ま、案山子の息子とかよりマシだけど」


「何の話?」


「なんでもないって。ハイネさん来るから急ごう」


「待ってたのわたしの方なんですけど!?」


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