脅怖の鴉(前)
H家の家庭の事情
/1 15歳、n度目の逃走劇
もしもの話。もし仮に、自分の家族を題材にした作品が作られたらどう思う?
自分の家族の半生を元に脚本が書かれ、監督の指揮の
あるいは、長年連れ添った伴侶が没した後とかだった場合。別の誰かが演じたとしても遺された方はもう一度若かりし頃のふたりをスクリーン越しに見られて嬉しい、のかもしれない。残念ながら家族は現役なのでその感情には共感しがたい。というか今現在、自分の感情というヤツに折り合いがついていない。
ただひとつ言えることは、だ。
あくまで題材。ノンフィンクションのドキュメンタリードラマなどではない以上、脚色も多分に行われて当然だ。理解できる。理解できるが、物申したいたった一言がある。
『実物はそんなにカッコ良くないぞ、本当は!』だ。
――息を殺してドアの隙間から廊下を窺う。見張り、無し。
もてあましているこの感情が直接の動機などではない。断っておくと現状に不満もない。何不自由なくここまで育ってきた。客観的に見ても我が家は裕福で、多忙なはずの父親はけれど、幼少期の演劇の時も、それより後の色々な学校のイベントにもずっと顔を出してくれた。課題の評価がAだった時は褒めてもらえたし、遊んでいる時にうっかり母親の大事にしていたカップを割ってしまった時は叱られた。それから一緒に接着剤で張り合わせてくれて、けれども元には戻ることは無い、ということも教えてもらった。たまに一緒に歩く時はゆっくりで、こちらの話をきちんと聞いてくれるし、色々な話も聞かせてくれる。
自慢の家族だ、と思う。けれど大っぴらに自慢できないことが、まあ不満といえば不満だった。
というわけで
だから、どうしてこんなことをしているのかと言えば、だ。
――足音を殺して廊下を歩く。庭が見える窓に映らないように屈んで進む。曲がり角では一旦停止。
この家が他と違うところは、やたらと人が多いことだろう。年中ひっきりなしに外から来客があるし、常在している人だって多い。その殆どが知り合いだし、それ以上の『家族』みたいな間柄だけれど、たくさんの大人が本来広いはずの屋敷にいるせいで難易度はとても高い。
――よし。抜き足差し足で階段を下る。
自室のある二階から一階へと、誰にも見つからずに到達した。玄関は駄目だ。あそこは当たり前に人の目が多い。そして、気を抜くのは達成した時までとっておくこと。油断というものはいくら制しても制し足りないことだよ、と父親が教えてくれた。説得力がすごい。
――開いた窓に足をかけ、一息で裏庭へと降り立つ。青々とした芝は力強く両足を受け止め、春風が壁を駆け昇って木の葉を舞い上がらせた。
この屋敷の敷地から外に出るには、当然正面からの方が距離的には短い。が、警備はその分当たり前に厳重だ。絶対に見つかるし逃げおおせられない。となると手入れだけはされているものの、ある種の感情によって
――ここまで来たら後は全力。自分の肉体を信じて駆け抜けるだけである。
生まれる前から私有地ではあったものの、ただの草原だったこの裏庭で、生まれた後に作られたモノと言えば、二人分のお墓の向こう。収穫されるでもない実を付ける林檎の木の、太い枝に取り付けられたブランコだけだ。幼い頃はその手作りの遊具に座って、ゆっくり背中を押してもらえることがなぜだかとても嬉しかった。
――そうして辿り着いた木の下で。
「目標確保、これより帰還する。……はい、今回も逃亡失敗お疲れさん」
あと少し、というところで。木の裏から出てきた人物に捕獲されてしまった。
「……今回こそは、と思ったんだけどなぁー!」
無線でのやり取りを終え、乱暴な手つきで頭を撫でられながら唸る。
「今回の敗因は昨日の夜に姫と喧嘩したことな。『お兄は絶対明日やる』ってタレコミがあったぜ? 坊」
「ちぇー!」
……喧嘩をしたら、仲直りするまでは短いほうが良い、とも父親……父さんは言っていたっけ。
ともあれ今回の逃走も失敗した。いつから始めたかわからないこの挑戦は、いつの頃からか失敗したら素直に戻る、というお約束もできていた。
ふたりで仲良く丘を下って屋敷へ向かう。
僕を捕まえたこの人物は肩書き上では父さんの側近で、血の繋がらない兄貴分。禁煙と結婚は絶対にしない、というダメダメなモットーを掲げている、これでもウチの幹部の中でも第一トップと言われる大人だ。
「叔父さんはさ、あの映画観た? 叔父さん役も出てたじゃん」
「叔父さんはやめろって。レオで良い。……観たよ。ありゃやっぱ駄目だわ。大筋ンところは上手にやってあるけどさ」
肩を竦める叔父さん、もといレオ。
「あ、やっぱり事実と異なる感じ?」
「観たんならわかんだろ。本物の俺の方が良い男だしエピソードの演出が地味だわ」
は。絶句する。
このご時勢に本物の火薬でセットの爆破なんて非エコロジーな演出までして地球を大事に派に叩かれたりもしたくせに地味だと言うか。
「……僕はその息子だけどさ。レオや父さんたちが若い頃ってどんだけだったんだよ」
「どんだけっつわれてもなあ……お、そうだ。明日はハイネが来るだろ? 聞いてみりゃあ良い」
アイツはほんとに身に沁みてっだろうから、とレオ。
……ハイネ。ハイネ=レンゲージ。若干18歳で専業賞金稼ぎ、カラーズのトップ5である『色つき』。その【緑】を戴き、今なお君臨し続ける名実ともに現代の『英雄』だ。父さんの仕事も、彼女とも深い親交があることも知っているけれど、そんな人物がほいほい仕事の合間を縫って会いに来るっていうのは、やっぱりこう、なんだ。
「いいのかなぁ……」
そんな所感になってしまうわけで。
生まれた時から変わらない、林檎の木を振り返る。
気づけば抜け出してみたかった。学校へ行くだとか、遊びに出かけるだとか、そういうものではなくて。
現状に不満なんてない。愛する両親ともども悪人で、けれどとびきり優しく、何不自由ない生活だというのに。
僕は、僕自身の欲求から、この広大な屋敷を抜け出してみたくなって、何度も失敗している。
何故かと動機を問われれば、そう。
それを一度も成功させていないから、なのだろう。
「おーい坊ー。さっさと戻んぞー」
「うん、いま行く!」
――二十一世紀にもなって、世の中はどんどん便利になっていく代わりに時代錯誤している。賞金首と賞金稼ぎなんてものが現実に存在するし。僕は【ミリオンダラー】と呼ばれている八組の劇場型賞金首、という席に座っている人の息子だった。
ハイドロビュートファミリー。前身である祖父のアルフォートファミリーからその支配の全てを継いだ、世界最大のマフィアの名である。
だから僕、ケイ=ハイドロビュートはやっぱりピンとこない。
映画の中の<足無し>が、自分の父親を元にしているだなんてことは。
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