/7 八月の雪(epilogue.)


【やあご無沙汰。君がこの文章を読んでいるということは、自分は既にこの世に居ないということだろう。できれば海を自由に泳いでいられたら、嬉しいのだけれど。あいにくと自分も君も、そこまで届かなかっただろう? だからそれが、少し悔しい】


 /


 かくて日常は過ぎてく。夏の陽射しは突き刺さるようだ。彼らのような日陰者にはいささか眩しすぎるので、ビルとビルの隙間に重なってできた濃い影のように、またひっそりと息を潜めてはぼんやりと日向の風景を眺めるというルーチンに戻ったのだ。


「聞いても良いですか、テキスト」


「あーい。なんでもどうぞー」


 カチャカチャとキーボードが打ち込まれる音は止まない。けれどそのリズムは散歩のようで、あの年末の忙しなさが懐かしく思えてしまうほど穏やかなものだった。……もう経験したくはない忙殺だけれど。


 紫陽花テキストもディッセン=アルマトールも視線の先は自分が業務を行っているパソコンのモニターに向いている。


 二人の連弾は、ディッセンが背もたれを軋ませたところでソロとなった。


「……どうして、今回の件を圭一くんに? あれほど私たちの動向を誰かに気取けどられないように動いていた貴方が」


「んー……」


 紫陽花テキストの打鍵は止まらない。


「ディッセンさんにもひとつやふたつ、あるでしょ? 誰かに知られたくない何かっての」


「ええ、それはまあ。今回の動機も、貴方の知られたくないこと、ということですか?」


「アッハッハッハやっぱこのヒト抜け目なく抜けてんなぁー! いーえ、違います。隠しておきたい秘密があったのは、。昔、うっかりそれを知っちゃって、あーこれは墓まで持ってかなきゃなーって思ったんですよ。ユェさんはユェさんで死んでも秘密にしておきたかっただろうし。文字通り。圭一っちゃんには損な役回りさせたと思いますけど!」


「――それは、知らなかった。驚きました」


「ほっ? やめてくださいよ。今ので推理されたらたまったもんじゃねえんですけど?」


「いえ、貴方がそんなに義理堅い人物だとは思っていなかったので」


「クソ辛辣しんらつゥー! はーやっぱわっかんねーなーこれ。あのヒトらこのヒトのどこが好かったンだろ。……ま、完膚無きまでに再殺害してもらいたかったのはそういうコトで半分。残りは圭一っちゃんが言ったでしょ」


「……傷になる、でしたか」


「うっす。オレらは仕事柄とかまあ色々と、肉体的傷については鈍感なんで。ゲームでHP減るくらいにしか思ってない節がありますよね。もうそんな設備ないけど、実際ミリオンダラーやってた頃は皆そうだった」


 オクトは痛がりでしたけどー、と付け足して。彼の指はそこでやっと止まった。


 椅子を半回転させてディッセン=アルマトールに向き直る紫陽花テキスト。


「せっかく、なんて目標を掲げたんです。どういう時にヒトってのは傷ついちゃうか、知っていかなきゃ。アンタがボスだから、まずはアンタが率先して学んでもらわないと、下に示しがつかないってもんですよ、?」


「……ふふ。本当に手厳しい」


 ディッセン=アルマトールには理解が遠い。、死んでも死に切れない心があった、ユェリイフの再起動も。その活動を止める役を担ったのが自分ではなく、彼であったということも。


「……はー。こりゃメイちんの方が期待度高いなーこれなー」


「冥がどうかしましたか?」


「これだよ。メイちんにとって、死人でもルナのメンバーは家族なんすよ。それをバラバラにした圭一っちゃんは、あの子にとっては仇……って認識あるか微妙ですけど、少なくとも気持ちの良い相手じゃなかったっしょ」


 そうですね、とディッセンは圭一――国府宮弓との別れの際を思い出す。


 月日の流れは早いもので、また少し彼の背は伸びていただろうか。あの格好が本来の……カラーズとしての装備だとすると、自分たちが保護し、バイトとして仕事を手伝っていた頃の服はずいぶんと没個性的だったろう。同じように、冥という少女も成長していた。口数は少ないけれど、昔よりもずっと、自分のしたいことや思ったことを口にすることが――してくれることが、多くなったように思える。


 その、遅まきながらに育まれていく自意識の中で、あの少女は。


「……《洗浄》の際に、そんな約束をした、と言ってましたね」


 紫陽花テキストが頷く。青年の方は、それを反故にするような行いをしたと自分で理解してた風があった。


「まっ! そんなワケです。アレですよディッセンさん。思春期の娘さんってのは訳もなく父親を嫌悪する時期があったりするそうです。『お父さんの入ったお風呂とかイヤ!』とか『一緒に洗濯しないで!』とかいう」


「……冥の年頃の子どもがいるほど、年月を重ねた覚えはないのですが。ふふ、それは……あの子に言われたら流石に傷ついてしまいそうですね」


になんてなれっこないのはわかってますけどね。たぶん、そういうのもメイちんには必要じゃないでしょ。…………あぁ」


「どうかしましたか?」


「誰にでも秘密がある。ディッセンさんだってそうでしょ? オレにだってあるんすよ、そういうの」



 /


「あ、そうだ。弓くん、あの猟奇事件終わったんだって」


「へー」


「へー、って。何かもっとないの?」


「オレはデートの飯食ってる最中にその話題振ってくるカノジョさんがおっかねえわ」


「む。……いやそうだな。うん。落ち着け蓮花寺灰音。女子としてどうなのそのチョイス? あーだめだー! 私のここ最近の情報インプットと人生経験が怒号と硝煙、血液アンド賞金! みたいなバイオレンスで彩られている! もっと『トキメキコーデで意中の彼をドロウ・ザ・カーテン!』みたいな雑誌読まないとだ……うはー」


「意中の彼を幕引きドロウザカーテンってどう優しく解釈しても殺意たっかいからその雑誌賞金稼ぎカラーズ御用達だよ」


「そこまで言うなら弓くんなんか話題振ってみてよ」


「熟練夫婦みたいに沈黙が苦にならない関係憧れんなーまじでなー。……蓮花寺さ、ゾンビ映画とかで死体がヒト食うパターンっておかしいとか思わん? 死んでるってことは代謝ないじゃんな。食ったモンはどう吸収されてどう排泄されるんだよっつー」


「私はデートのご飯食べてる最中にその話題振ってくるカレシさんにびっくりだよ! あとホラー映画は苦手です!」


 ――が、殺した被害者を食べていた、という事実はない。ウィルスの伝染による活動の伝播も、進んで被害を増大させていったとも違っている。


 ただ……おそらくは、何か理由があって、彼女は死んでいる場合ではなくなったのだろう。どうして今頃になって、というのは当人に聞いてみないことには不明なままで、その当人を持ち運びに便利なサイズまでカットしたのは他ならない自分なのだが。



「……なに。やっぱりヘンだよ、弓くん。何かあった?」


 そして。”自分では上手く隠しているつもり”というのは、客観視した場合の隠蔽率はどの程度なのだろう。目の前の少女は、何度も認識を改めたはずなのに、もう少し上方修正をしなければならない――これでいて、世界最高峰のカラーズ、その一色を担っている【シンデレラ】なのだ。


「……あったよ」


「私に言えないこと?」


「正解」


「……後ろめたいこと?」


「ばっちり」


「……で、それを言うつもりもない、と」


「浮気とかじゃないからその容疑だけは外してくれな」


「むぅ」


 少女は目を閉じ、眉根を寄せて考え込む。


 天秤にかけているのだろう、ふたつの主張。隠し事があることを明かす国府宮弓は、けれどその内容を明かそうとはしない。しごく単純な理由で、隠し事だなんてされたくはない自分。


「むむぅ」


 やがて開いた瞳は不機嫌そうにジト目に据わり、何の意思表示か垂直に降ろされたフォークの先端が音もなくサラダのミニトマトを貫く。食事のマナーもなんのその、逆手にフォークを握ってそのまま口に運ぶ仕草は皮肉にも白兵戦の練度が窺い知れる鮮やかなものだった。


「……いい。不問にします」


「うへ。許された。内訳は?」


「……誰にでも秘密なんて、あるもん。後ろめたいものだってあるもん。弓くんは私なんかよりヘビーな人生送ってきてるんだから、きっとその量も多いし。私にも、あるし。で、蓮花寺は思うのです」


 もう一度目を閉じ、深呼吸の後に開く。


「打ち明けた方が楽になる秘密もあるし、誰も言っちゃ駄目な秘密もあるし、打ち明けないことそのものに価値がある秘密だって、あると思うんだ。……弓くん、これだけは答えてね?」


「うっす」





?」


「――――。まいった、正解だ」


 すとん、とナイフが心臓に滑り込んだような感触があった。


「だから許します。明るみに出ると誰かに傷がつく秘密だって、あるもん」


 深い穴に沈めたその秘密よりも、そんな深さの穴を掘った手の方を想う。蓮花寺灰音の下した結論に、国府宮弓は両手を上げて降参した。


 そうして思い出す。今の自分を失くしている間、その元凶たちと過ごした日々。それが終わった出来事と、昨夜にあった別離のことを。




『ケーイチ、約束覚えてる?』


 去り際にその少女はそんな風に声をかけてきた。相も変わらず人形のように表情の変化が無い。


『……覚えてるけど。子どもの成長って侮れねーなー。だいぶ背え伸びたなーメイ。でもオレ、今お嬢さんの家族を解体したとこですよ?』


 そんな資格はない、と告げる。この少女が直接手を下したわけではないけれど、かつてこちらも大切な家族を奪われた。いま生き残っている彼ら四人を討ち果たさない理由は、加害者側でもありながら人生を拾われた分のツケを払ったに過ぎず、それももう完済したと言って良いだろう。


『いいから』


『そ? じゃ、遠慮なく』


 膝を折ってメイの頭を撫でる――そういう、約束だった。感情の整理もろくにつかないまま、少し乱暴な手つきで撫でると、それに合わせて頭が動いている。


 心地よさそうなのかどうなのかまったくわからないが、ともかく目を閉じて、されるがままになっている少女は、不意に口を開いた。


『……ありがと、ケーイチ』


 その言葉は、何に対してなのかわからない。もうかける言葉もなかったので、手を離してこの路地裏から退散する。


 一度だけ振り返ると、懐かしさを覚える四人の姿と、死体だったもののパーツが在った。


 やはり自分は異物だろう。彼らが自分をどう認識しているかは置いておいて。


『おやすみ。おやすみね、ユェ』


 去り際に聞こえた呟きに、少しだけ報復以外の何かが報われた気がした。




 ――痛む箇所を失くすことを覚えた少女は、悼むことは嫌わずに育ったらしい。




 /



【ともあれ、自分がいなくなった後の計画を、これを読んでいる君ひとりに押し付けようとは思わない。趣味の範囲で頑張ってくれたら良いな、って思う程度。なんとも味気ない遺品だけど、物品が残るよりは自分らしい。大事になんてしなくていいからね、テキスト。君の人生が、きちんと機能することを祈っている。 時に、】



「いやはやまったくもってその通りだぜ」


 業務を終えて、展開していたシステムやフォルダを軒並み閉じてから、紫陽花テキストはデスクの引き出しから灰皿と、一緒に寝ていた未開封の煙草の箱と、どこにでも売っているライターを取り出した。


 煙草を銜え、火を点けて一服する。肺を侵す煙の痛みに思わずしかめ面になっていると、後ろから声がかかった。


「……珍しいですね」


「昔はちょいちょい吸ってたんですが最近はさっぱり。ディッセンさんも吸います? すーげー不味いっすよこれ。賞味期限切れてるし」


「いただきましょう。賞味期限切れの煙草というのは、経験がない」



 ――まるで、背伸びをするかのように。生き残った者たちの年長者二人は、美味いとも思えない煙草の煙を喫する。


 紫陽花テキストの視線の先。薄白く煙ったモニターにはレインコートを着て、傘を差すアバターが退屈そうに画面内をぶらついていた。




【時に、ヒトの言葉は不十分に過ぎる。たとえば、自分と君の関係を的確に表現する言葉は見つかっていない。その言語の未熟は、けれどそのままで良いような気もするよ。 Jun.】


 /後日談『八月の雪』 終幕。

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