/6 恋する死体(Thirteen)


「アルマ、アルマ」


「はい」


 ――――どうしよう。こうして、その姿を、再び見ることが、できただけで。


 比喩ではなく。と想えるほどに、しあわせだった。



 アルマは待ってくれている。ワタシには口にしたい言葉があるけれど、彼の方こそワタシに訊きたいことはたくさんあるだろう。どうして動いているのか、だとか。何が目的なのか、とか。そこまで考えて、ワタシはとっくの昔に死体になっていたのだけれど、やっとみたいに考えられるようになったんだな。その実感がすとん、とどこかに落ちて、着いた。欠落ばかりのワタシだから、そこに穴が空いてなければ嬉しい。


 目で追うだけでは猫と同じ。違うモノだと認識するだけでは普段と同じ。


 興味の無い他者の人生。その視線の先に何があるのか、訊いてもおそらく共感には遠くて。それでもならって追いかけた視線の先を一緒に見るということ。


 そこに、何を思っているのだろう、という。自分に関わり合いのある、けれど交わり合うことはない他者の、わからないことだらけの心を想うこと。それがきっと、人間という生き物がごくごく当たり前にやっていることなのだろう。


「……ごめんなさい、アルマ。ワタシ、ワタシね、」


 だいじょうぶ。告げられる。だいじょうぶ。遂げられはしない。


 ――足音がアルマの後ろから近づいて来ている。数は、複数。何か、急いでいるようで。


 急に恥ずかしくなってきてしまった。ああ。まったくわからなかったけれど、閏に借りた漫画のヒロインたちは、なるほど、だからこうして、今のワタシのように……対象者とふたりきりの空間で、ああやって告白していたのか。あるいはされたりしたのだろうか。


 うちに秘めた言葉を外に出すのだ。それにはこんなふうに、とんでもなく勇気が必要で。知っていて欲しい人物以外にはどうしても知られたくないのだ。


 胸を押さえる。爆ぜてしまいそうな情動はしかし、現実的には心拍を跳ね上げさせたりはしていなかった。それでもにあるモノを掴むように。顔を上げると、足音の主たちが、この場に辿り着いたところだった。ワタシ的には間に合わなかった。


 背がアルマよりも高く、それでいて存在感のない男はノーヴェだった。彼だけは息を整える必要がないのか、足を止めて彼の定位置で佇んでいる。


 その定位置……肩で息をしている少女は、メイ、なのだろうか。アルマもノーヴェもワタシも――ワタシは悪い意味でだが――見た目も雰囲気も変わっていなかったので倍で驚いてしまう。少し背が伸びた? 髪も伸ばしていて、表情は相変わらずあって無いようなものだけれど、走って疲れたのだろうか、わずかに上気した頬にずいぶんと人間らしさ――がなくなっている。安心した。そう、安心だ。……生きて、こうして年月を経て育っていてくれた。この感情が何に由来するかは、誰かが教えてくれない限りワタシにはわからないだろう。


 ふたりに遅れて現れたのは、最後に来たくせに一番疲れた様子の、アルマと同じで、アルマとは違う意味で忘れようのない男――紫陽花テキストだ。膝に手を当ててヒィヒィと息を整えている。


 いつだって癪に障る男だ。昔からそうで、今もそう。


 走るだけで死にそうになっていながら、何も言わずに顔を上げて、アルマの後ろから確かに――ワタシを見た。彼にだけは、おそらく、気取けどられている。ほんとうに一生の不覚だった。


 ――羞じるだけであれば。人材派遣のパイオニアたるワタシたちの技術で、いくらでも消せたのに。さっさとそうしていれば、この男に見られるという失態も犯さずに済んだというのに。本当に、癪に障る男。アナタ、知ってたんでしょう?


 普段は無神経なくせに、『だったら消せば』の一言もなかったのは。


 ワタシはワタシの、この一度だけの過ちを、けれど消し去りたくはなかったのだという、ワタシ自身でさえ自覚していなかった部分を。


 なによりも癪なのは……いまこの瞬間。ワタシを奮い立たせ、最期の一歩を踏み出させる力になってしまっているのは――なってくれているのは、この男の視線と、この男に見られて、おそらく今も残っている遠いきずあとだということ。


 あのね、アルマ。アナタが『翼の生えた女性が好み』だなんて言うから。団長に頼んだの。


 でもね、そうして背に白鳥の羽をつけた自分を鏡で見たら、どうしようもなく後悔したんだ。偽物の翼。飛べないワタシ。そしてとても惨めな気持ちになって、結局自分で、せっかく付けてもらった翼を捥いでしまったの。すごく痛かったけれど、これは浅はかなことをやらかしたワタシへの罰だと思った。団長は『せっかく付けたのに何が気に入らなかったのだね?』なんて呆れていたけれど。


 その痕を消し去らずにいた意味を、アナタは知らなくても良いの。でも、聞いて欲しい。





「あのね、アルマ……ワタシは、」


「……はい」


 辛抱強く待ってくれている彼に、このたった一言を告げるためだけに、ここまで来たから。


 足音が聞こえる。なぜか滲みそうになる視界は嫌だな。アルマの顔ははっきりと見ていたいのに。後ろで冥たちが振りかえっている。


 ――それは、奇跡のように再起動をしたからなのか。やがて訪れるであろうお終いの気配を濃密に感じながら、全身全霊をもって末期の悔いに挑みかかる。



「……ワタシね、アナタのことが、好き、だったんだ」


 たったそれだけの、お話だったんだよ、これは。


 夢から覚めるように、目を閉じて開く。クリアになった視界では、アルマが目を見開いていた。驚くよね。うん、今ならわかるよ。アナタはとても優しくて、けれど誰かを想うほど――ううん、だなんて、思いもしなかっただろうから。ルナの皆が、ワタシも含めて他者への興味がとても希薄な中で……おそらくアナタだけが、自分自(まるで、死人のように)身に対して頓着がなかったから。


「……そうでしたか」


 アルマが右手をスーツの裏側に入れ、拳銃を取り出した。……ずいぶんと苦労、しなかった? この国はそういった武器を手に入れることが、とても難しいはずなのに。


「あまり、誰かに話す類のことでもありませんでしたので……ユェ? 誰にそそのかされたかは解らず終いでしたが、一度だけあったでしょう。冥のような服を着たことが」


 うん。覚えている。あの時もアルマは驚いた顔をして固まって。やっぱりワタシには、ワタシが好きな服は似合わないのだと確認できた日のことだった。


 嬉しいな。そんな、ワタシにとってだけ意味のあった、些細な日の事を、覚えていてくれただなんて。


 小さな深呼吸。


「誤解を解いておかないと、と。後悔がひとつ減ります、ありがとう。……よく似合っていました。私が言葉を失くしたのは、その。……思わず見蕩れてしまっていたからで。いやはや、自分のことは解りませんね?」


 その背に羽がなくとも、だなんて。気恥ずかしそうにアルマは言った。



 ――死神は優しかった。


 その言葉の最後までをしっかりと聞かせてくれたのだから。


 今度こそ視界が、泪で滲む。アルマが銃口を上げる。うん。ワタシはきっと、彼らに迷惑をかけてしまったから。あの夜をどう生き延びて、それからどう生き抜いてきたかをワタシは聞いてはいない。でも、長い間一緒にいたからわかる。


 歪なワタシたちは、社会に紛れるにあたって、その歪さを気取られてはならない。ワタシのこの身体が、かつてのルナの構成メンバーであり、それが、もう目的は果たされたけれど、動いてしまって何かを――誰かを探し、求めていたのなら。もしかしたら彼ら四人の足跡に、気づいてしまう誰かが現れるかもしれないから。


 ……なんとも贅沢な話じゃないか。恋した相手の銃弾で、ワタシはきちんと死体に戻れる。


「……迷惑かけてごめんなさい。ありがとう、アルマ。好き、よ」


(滲む視界に白い影が走って過ぎる。)


 そうして、引き金を引いて、火薬の爆ぜる音は聞こえなかった。


 かわりに、胸の高鳴りに似て。ワタシの身体はぽぽんと跳ねた。宙に浮かぶような心地はきっと正しい。


 ――二度目の死は、いたむということはなく。一度目よりも鮮やか且つ執拗に、二度と迷うことがないように、と。どこかいたむような冷徹さで。いっそ持ち運びに便利になるなあ、なんて感想を浮かべて笑ってしまうほど。



 /



「……


 それが死体だったからなのか。どさどさと落ちる多段に分割された人体は、全くといって良いほどに血液を撒き散らさずに地面に転がった。


「アンタらがどんだけ、ニンゲン的な部分を持ってるかよくわかんないっすけど」


 交差した手を解いて、白いパーカーのポケットに両手を突っ込んでから、国府宮弓は振り返った。


「オススメできないんで。


 その


 感情の薄い瞳。ディッセン=アルマトールはそれを推し量れない。


 かつて、他ならないルナの手によって敵に回ってしまった彼の家族――トゥエリ=イングリッドを手にかけた時と同じ手段でユェを解体せしめた十三番目の月の言葉に、瞳を閉じて俯く。


「……手を煩わせました。誰から、と訊くまでもありませんでしたね」


「うっす。ま、ディッセンさんが最後でしたよ。全員がオレを圭一って呼んだからルナの残党として全滅させるのはナシです」


 紫陽花テキストからのメール。少女が彼を呼ぶ時も、傍らに控えた青年も、みんなそう呼んだから、と。


 カラーズの【緑】としてではなく、マリオン古美術専門店のバイトとして、この路地裏の終末を担った、と。その死神は緩く首を横に振って、今回のスタンスを口にした。


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