/5 袋小路の唄(May,I help you.)



 意思を持った死体が、夜も更けた道を歩いている。世界有数の人口密度を誇るこの都心にあって、彼女の姿を目に留める人間は存在しない。朽ちかけた理性はそのを異常と認識できていない。或いはそれは、彼女自身にとっては何もおかしいことではなく――


 星は見えない。都会の明かりは夜空に浮かぶ、自ら輝くことで存在を証明する星々の輝きを駆逐している。光機に満ちた、けれど活気の無い街並みを。どうして懐かしく思うのだろう。


(あぁ……)


 この歩みは、かつて何度も行った<パレード>なのだと思い至って、不実の心臓が軋みを上げた。


 皆で練り歩き、皆で収穫し、皆で果てに消える。トラックのコンテナから流れるドライアイスのもやが地面を舐め、非現実味の演出をしていた。散発的に生まれる会話は的に当たることも少なくて。中心のコンテナの屋根に置かれた椅子に座る幼い子どもは、そこから見下ろす景色を果たしてどう思っていたのだろう。


 ――いまは独り。誰もいなくなった夜の街を、活動をやめられなくなった死体が歩いている。


 この歩みは、いったいどこまで続けられるのだろうか。何処に行けば良いのかも不確かで、辿り着いたとしてもできることがあるのかすらも不鮮明。


 ……それでも。自分だけが何の因果か、再起動してしまった。ジュンがこぼした言葉を灰色の脳が再生する。


『物事に意味を見出せる唯一の存在が人間で、物事に意味を見出さないと生きていけない唯一の存在も人間なの』


 ざり、と映像に砂嵐が混じる感触。その言葉に感想を持つよりも、六月が球体間接人形をルービックキューブのような強引さで動かすことの方に危機感を覚えていた自分。


 ……靴を履いたのは覚えている。でも、地面を歩く感触は脚から伝わらなくて。ワタシは死体なのだから、本当は動いている気分になっているだけで、身体は変わらずにあの安置所にあって、奇跡というのなら死んでいながらもこうして街を歩くユメだけを見ていられることだったら、どうしよう。どうしようもなくて。逢いたい人がいただけで、その人に逢える可能性なんて、本当はもうどこにもなくて。終わらない地平なんてないのに、この現実感のない歩みの風景がヒトの創った街のそれであるのなら、もっと近い場所に終わりがあるはずで。ああ、ワタシはい焦がれるだけではなく独りで歩くことを寂しく思っていたのか。


 歩む先には眩いヒトの営み。古い映像のフィルムのように行き交う、歩いてきた道にはついぞ見当たらなかった、横切り続ける人々の歩み。


 どうしてそれを、何もおかしく思わなかったのだろう。ワタシは。


 どうしてそれを、何もおかしく思わないのだろう。あの先にいる人々は。


 ワタシが彼らの個人、人生について何も興味が浮かばないように。


 



「……ア、」


 それは、密かに好きだったものに似て、手に取ろうとした時には儚く消えてしまっていた。


 積もることを期待などできない、空間に対してあまりに少ない数。


 白くはないので、きっと本当は違うのだろう。けれど、他に例えようもなくて。


 ――この夜が晴れているのかも地上の光の中ではわからない。見上げた空から、季節外れの雪が降っている。



 天使に憧れている、と彼は言った。信仰があるのかと訊けばそうではないと言う。


 ただ、伝えられてきた数々の話では、その存在の背にはどれも――


『とはいえ、同じように飛んだら出逢えるなどというわけではなかったのですけれど。若気の至りというのはなかなかどうして』


 と、一度だけ話してくれたことを、まだ覚えている。脳裏に焼き付いて離れないくらいに、覚えているの。その、困ったような笑顔も。ワタシではそう成れないという悔しさも。


 ――そうして。ワタシがきっと、どれだけ歩いても辿り付けなかった目的の場所が、空から降臨した。


「ア、ア……、」


 動け、声帯。後なんてもうとっくに無いのだから。燃え尽きるために死に続けたのだから、再活動したその意味を、どうか、どうか。ここで果たせ。


 地上に降り立った彼は、あの頃と変わらない白いスーツ姿で、あの頃は結局見れず終いだった空を飛ぶための愛機を抱え、あの頃と変わらずに、ワタシの言葉を待っている。





「ア、……ア、ルマ。アルマ……」


 アルマ。ワタシだけのものが欲しくて、勝手につけたその愛称に。


「……はい。久しぶりですね、ユェ


 彼――ディッセン=アルマトールはあの頃と何一つかわらない、少し困ったような笑みで応えてくれた。




 /


 雑踏に身を委ねて彼は夜の街を歩いている。いつも変わらない他人への無関心さは、やはり自分のようなはみ出しモノにはちょうど良い。人口密度か何かに由来する独特の息苦しさを除けば、の話だけれど。


 カラオケ、居酒屋へのキャッチを無視し、呼び込みのやる気は無いが声だけは大きなそれもスルー。場合によっては設置されたプレイヤーで音声の再生をするという奇妙な人件費の削減の仕方をする店舗を横目に、当てない歩みを続ける。



        『――あれれ? メイの右腕がないよ??』



 ……小さく、けれど確かに聞こえたその声に、足を止めて。深呼吸を一回。ポケットから取り出したスマートホンを操作し、耳に当てる。


「もしもし。……や、流石に寝てはいないだろうって思ってたって。えっとな蓮花寺、明日の予定だけど――」


 顔を半分覆い隠した前髪の奥で、瞳がひとつ隣の通りに繋がる暗闇を見る。


 行き交う誰もが、その人気ひとけの途絶えた隣の区画を気に留めない。無関心さも極まっている――のではない。


 今となっては確認のしようもないのだが。あの少女の異能は、どうやって区別をしていたのだろうか。


 意識的な喪失。、という幼い自我が辿り着いた袋小路における解答。


『……なに? どうしたの弓くん。もしかして別の予定入っちゃった?』



 ならば、その影響を受けない存在というのは、あの少女にとって――喪失したくない部分、だったのではないか。


「……いや、十時で良かったんだっけ?」


『十一時だってば! あのね弓くん、女子には仕度ってものがあるんだよ?』


「一時間とか平気でかかるとかマジ頭上がんねえや。了解、聞きたかったのはそんだけだ。そんじゃーおやすみ、蓮花寺」


『寝坊しないでね』


「頑張るわぁ」


 通話を終了し、足をそちらに向ける。


 その唄が、自分に対して効果を発揮していない事実と、両手に嵌めた十の指環と、自身を証明する一枚のカードを全て天秤にかけて、国府宮弓こうのみやユミはその終局へと歩き出した。



「ま、あのヒトらには警告もしておかなきゃならんからなー。……悪いね蓮花寺。おにーさんはこれから仕事の後始末だわ」


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