八月の雪-LuvingDead.-

/1 再起(morgue)


 ――停滞、している。進むことも戻る事もできず、このまま停止することもできない。


 ――夢を、見てはいない。意識がない。意識がないので思考をしていない。


 ――俯瞰ふかん、をしているようだ。第三者の視点。とどこおった時の中で、埋没し続ける自己から離れていく泡を眺める。




 ――――それでは、死について。


 青い竹を砕く。乾いていながらも水分を感じさせる小気味の良い音。


 死が確定されるのはなのだろう。


 機能を停止した心臓を外部から動かし続けても、止まった血流をそうして動かし続けても、一度『死』に向かった生命の活動を引き止める事はできない。


 代謝は喪われ、待っていましたとばかりに生き急ぐような速度での腐敗が始まる。


 太い痛みと、残光を引いて伸ばされた視界。鮮明なままの真後ろ。コンセントを引っこ抜いたように、ぶつり、と。



 生命の危機にあって、秒に満たない時間の中で最大限まで加速し、やがて焼き切れた思考が最期に投射したのは、なんとも女々しい……ある男についての記憶だった。



 ――ソレは死滅していく脳細胞、その記憶野に焼き付いた



 並べて単語にしてしまうから履き違う。そして今ならわかる。今になってようやくわかったというのが皮肉な話だ。


 愛と恋は違うモノ。



 心を受け取ってはいない。まだ。あるいはずっと。だから、愛などは知らない。


 ただ在るのは、死んでも変わらなかった心。恋だけがのこっている。



 愛も死も、もたらされるものだ。


 恋も生も、自分で生み出すものだ。



 ――ワタシは死んだ。あの夜に。


 ――ワタシは死にきれない。燻ぶる恋が、消えてないのだから。


 嗚呼アァ、これもロマンティックだというのだろうか。


 生きることが細胞単位の燃焼による活動というのなら。それに必要な熱量カロリーは、この恋ひとつでクリアした。



 なんとも皮肉な話だ。ワタシが愛好していた状態に、他ならぬワタシ自身がなってしまった。


 ……生き抜きたい? イイエ、まさか。


 今のワタシは、続けられる気なんてまったくしない。


 最高速度で走り続け、ガソリンが燃え尽きた後のニュートラル。エンジンはとっくに壊れてしまったけれど、慣性が許す限り走り続ける車に似て。終わりが見えているのは当たり前だった。


 ……だけど。


 表情筋が動かない。ワタシはせめて、気持ちだけでも笑っておく。


 ……だけど、尽きるのであれば燃えて尽きたい。それだけだ。



 想いを告げるまでは、



                       /Luving Dead.







 /


「ディッセンさーん。珍しく難しい顔してるじゃないすか。何事? FXで有り金全部溶かしました?」


「実感の湧きにくさで言うならば仮想通貨みたいなものですね。――テキスト。“死体が蘇る”と言ったら信じますか?」


「アンタだけで充分かな!」


「私は偽装しただけです。死地からの生還というならば貴方の方では?」


「アッハッハッハこのヒトだけは電脳世界であっても殺せる気しねえー! んで、何かあったんです?」


 開いた右手で顔を覆っていたディッセン=アルマトールは、ゆっくりと手を下ろし、深呼吸を一度した後で紫陽花あじさいテキストに向き直った。


「世界警察の東京支部に居る知人……元顧客の方からのメールで」


「オレの認知してない部分でパイプ残すのマジやめてください。痕跡がががが。んで?」


「…………死体安置所モルグから、【パレード】ルナの死体が一つ、居なくなったそうです」


「なにそのホラー。誰? 団長? うっわあの人なら復活しかねねえー」


「いえ、グノーツは件のカラーズとの肉体換装の件もあって司法解剖済みで」


「知りたくなかったカゾクの末路! じゃあ誰っすか。団長とディッセンさん抜かしたら候補いないじゃないですか」


 ディッセンはパソコンモニターに映ったメールの文面を一瞥する。彼をして、その情報が半信半疑であるかのように。


「……ユェです。身体的特徴、服装から言って間違いないでしょうね」


「マジすか。超意外なんですけど。や、あのヒトが死体ラヴ勢なのは知ってましたけど。自分が死体になってまでとかそんな情熱的だったかなあー? んで?」


「んで、とは?」


ってコト。家族想いなのはお互い様、うっわ自分で言ってて寒気するわこれ恥ずかしいー! こほん。まあそうだとして、ですよ? まぁユェさんが黄泉還レイズっちゃったとして、確保したり収容したり保護したりするのか、って話。確かにウチじゃ死体の取り扱いもしてましたけど、動く死体が何食うのか、とかそういうのは無かったじゃないですか。ココノさんも死んでるから人肉フルコースなんて出せませんよ。それに……っていう家族計画のこともあります。ユェさん込みでソレやるって言うなら――」


 テキストはディッセンがしたように自分のパソコンモニターを一瞥する。そこにはデスクトップアプリとして画面の中をゆっくり歩く、傘を差してレインコートを着たアバターがいた。


「……そう言うなら、。メイちんのこれからだってかかってるし、もう前みたいなお尋ねモノ寸前案件はごめんですからね、オレ」


「テキスト」


「あーあーそんな顔しないでください恥ッずかしいなーもー! いいっすか。ユェさんの死体が居なくなったとして、それはあのヒトが自分で動いたのか、はたまたオレらみたいなガイキチ枠がこっそり死体置き場から盗んだのか。それだけでも状況は変わって、取る対処も違ってくるでしょ?」


「……そうですね。私としたことが冷静さを欠いてしまったらしい。テキスト、調べて欲しいことがあります」


「うーい。何から始めます?」


「ユェの足跡そくせきを。彼女自身が動いたにしても、誰かが彼女を盗んだとしても。今は最初の一歩ですが……人々というのは、異物にとても敏感です。どこかに必ず違和感が出る。できれば二歩目で捕捉したい」


「あーい。じゃあからですかねー。動いてる方にベットして噂話に網を張ります」


「ふふ、お願いします。……賭けの根拠は?」


「ああは言いましたけど後者はナシでしょ。元五番のメンバーですよ? ユェさんは何考えてるかさっぱりわかんないこともあったけど。とかさっぱり想像できませんって!」


「……ですね。一息入れましょうか。テキスト、二人を呼んでご飯にしましょう」


「謎と言えばアンタの料理スキルも謎だよなあー」




 ――かくて彼らの安寧は一度幕を閉じる。


 元ミリオンダラーの五番。【パレード】ルナが八月。


 <緑の小人>ユェリィフは人知れず東京の雑踏の中に紛れ込んだ。


 止まった心臓を、恋心だけで脈打たせながら。

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