/4 銀河鉄道の朝
ゴーグルの内側には、まるでトンボの複眼のように
その目はたとえば信号機であったり、看板であったり、標識であったりした。日常にありふれたオブジェが行い続ける定点観測。
――そのどれもが、かつて【役者】と呼ばれていた時代、街中に張り巡らせた撮影装置の数々である。
「…………いた」
そんな中に、目標であるワゴン車が走る姿を見つけてクローズアップする。そこと連動しているカメラを割り当て――この技術、装置が本来の彼の職場で採用されようものなら躍進まったなしなのだが、これは警部補の物ではない――地上に在りながら逃走する車を俯瞰している。
……実際のところ、彼には今回の犯罪者たちの動機というものにまったく興味がなかった。フラワーショップの彼女を攫う、というその行為の中身に情熱が沸かない。また、彼女が攫われた理由――たとえばああ見えて、どこかの勢力にとっての重要人物なのかもしれない、だとか。実は多大な借金を抱えていたのだ、とか――にも同じように興味がなかった。
ではどうして? 自問に対しての答は実に笑えるもので。
「…………なるほど。私が敗北するわけだ」
ゴーグル型モニターを額に押しやり、見上げた先。『今日は空が高い』などという感想を持った自分は、それを『狭い』と言ったあの少年に、走空で勝てるはずもなかったのだ、と薄く笑った。
その後、落ち合う約束をした路地裏に現れたアイリスはGR時代のスーツと違い、初夏を楽しむような肩の出たブラウスとデニム、それからパンプスという出で立ちだった。
「……な、なにかヘンですか」
「いいや? 見蕩れていただけさ。良く似合っているよ、こういうのも新鮮だなあ」
「もう。……それで、リーダー」
標的は? と息を整えて仕切り直すアイリスに彼は頷く。
「Bブロックを走行中。今はもう普通に走っているから、周りもおかしくは思わないだろう。行き先まではちょっとわからないかな」
「了解です。えと、ジョンとペドロは合流にもう少しかかります。あとリーダー! シャイロックに何させたんですか?」
「何って。店番」
「すごい人選ミスだと思います」
……今頃、フラワーショップの店先には黒いエプロンを着けた偉丈夫が仏頂面で立っていることだろう。売り上げのことは……
「いや、もしかしたらという僕のカンがはたらいているんだ。きっと大丈夫さ」
「ええー……」
行こう、と先だって歩き出すかつてのリーダーにアイリスは肩を落として続く。
路地裏から現れた二人の男女を、賑わい始めた街の誰もが気に留めない。時折、物珍しそうにその腕に抱えたボードに視線が移ってもそれを追い続けることはなかった。
逃走は続いている。それでも警察が動く様子はない。当然だ。そうなるように仕向けたのだから。異物に気づかぬまま、司法の番人は今日も正義を執行している。
そして彼らもまた、ゆっくりしているというわけでもないが足が速くなってもいなかった。完全に日常に紛れ込む一組の男女。立体駐車場の三階に辿り着いた時、その吹きさらしの壁際で止まる。
さて、と。そこから身を乗り出してボードを足にかけた彼に、アイリスはそっと告げた。
「……わたしは、あの瞬間、確かに貴方を裏切りました」
「うん?」
「貴方がランスロットで良いから、とわたしが……わたしたちがその【役】を頼んだのに。あの大会で、あの子と空を飛ぶランスロット――カカシに、もう一度夢を見てしまった」
「……アイリス、君は少し頭が堅すぎやしないか?」
発生している上昇気流を掴んで<スティングレイ>が起動する。
ふわりと舞い上がったかつてのランスロットはその場で振り返り、空中に停滞しながら、呆れたように言った。
「僕は、夢なんていくつでも見て良いと思うけれどね。それに裏切ったというのなら僕の方だろう。僕は君たちの『空』にはなれなかったし……君たちを『色つき』に押し上げてやれなかった」
「それはもういいんです。でもこれだけは覚えておいてください、リーダー」
そう言ってアイリスも飛び立つ。陽射しに溶けそうな光の粉。
「……貴方の走空を初めて見た夜、胸が震えたんです」
緩やかな角度で夜空へと向かう、途切れることのない光の直線。
その走りのあまりの完成度に、見えるはずのないレールがその先に繋がっているのだと疑うことなく信じてしまえたあの感動を。
まるで、飛行症候群の誰もがかつての少年の姿に覚えた胸の高鳴りを。その走りにも覚えたのだと。
野望が潰えた後、何年かぶりに見るその走空。まったく衰えのないソレに、同じように胸が音を打つ。
カラーズとしてのチーム名はひたすらにシンプルに決まってしまっていたのだ。
それは、道なき夜空に行き先を示してくれる――彼の目論見はどうであれ、あの日に絶望した自分達をもう一度奮い立たせた黄金のレール。
果てない宙を旅する、『
「だから、解散したって貴方はわたしたちのリーダーなんです」
「……そうか」
男の反応はそっけない。
けれど、並んで窺い見たその横顔は、何かを堪えるように俯き……笑っていた。
「そうか」
「ええ、そうなんです」
彼女も笑う。
二つのボードが並んで空にレールを敷く。時刻は朝。陽射しは眩く、地上を歩く人々はわざわざその光を見上げることなどしない。
もとよりソレはそういうモノだ。想いを馳せない者の瞳には、その
だから、その姿を捉えられるのは。
「リィーーーーダーーーー!」
「遅れました! ああ、本当にまた飛んでる!」
同じように夢を見る、彼の数少ない仲間たちだけなのだろう。
/
雑音で溢れる中。キィン、と慣れ親しんだ音に俯いていた視線を上げる。
――見上げた空は高く眩しい。どうして自分が、と不満と未練を混ぜた瞳が先頭に続く三人を羨ましそうに追いかける。
「はぁ……」
店番を言い渡されたシャイロックの溜息が喧騒に紛れて消えた。
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