/3 ダイヤ変更。



「おはようございます。早いんですね」


「あら、昨日の。おはようございます。今日はお休みですか?」


 それにしては早いですね、とフラワーショップの店員の女性は目瞬きを二回。それから彼が脇に抱えたソレに目を留めた。


「それ、FPですか?」


「あぁ、はい。まぁ……」


 ウィルは気まずそうに視線を逸らす。周知の事実として、FPボードという機構は基本的には使だ。それをストリートの若者がスケートボードを抱えるように自然に持っているものだから、彼女の視線と思考の行き先は簡単に、


「……なるほど。こんな時間でないと、っていうところですね? ふふ」


「ええ、はい、まぁ……」


 ――


 大人には使いこなせない機構を、大人に見える青年が持つその意味を。彼女はこの気さくそうに見える青年が、街が目覚める前のごく限られた時間、人目を忍んで練習に当てているのだろうと自然に納得した。そこに、当の青年が気恥ずかしそうに頬を掻く仕草が追加されてはもう疑う余地もない。


「なのでこのことはどうか内密に。知人にバレるとからかわれちゃいますので……」


 ウィルがそう言うと、彼女は視線を上に投げて首を傾げる。


「んー……じゃあ、今日最初のお客様になってください。それで手を打ちましょう」


「おっと? それはつまり、包む花のグレードがそのまま貴女の?」


「はい、口の堅さに繋がります♪」


 彼女が両手で大事そうに持っている小柄の植木鉢がお株を奪われるような、それは花のような笑顔だった。交渉という名の脅迫。だがこの小気味良い遣り取りが冗談であることは確認するまでもなかった。


 なにより、。取り締まれるわけもない。


「えーっと、お察しの通りペーペーなのです」


 と、抱えたFPボードを示して続ける。


「なので豪勢な花束を持って飛ぶことはハードルが高くて。ですのでその鉢植えでどうでしょう、か……?」


「お買い上げありがとうございまーす!」


 先ほどよりも三割増しに花開く笑顔。カフェの紙袋を、まだ本命が置かれていない階段状の陳列棚の上に置かせて貰い、ジーンズのポケットから財布を取り出して料金を払う。お釣りを受け取り――気を利かせてくれたのだろう――手提げの袋に納まった小さな植木鉢を次いで手渡される。紐を手首に通したところで、バケツに入った花たちが目に留まった。


「ちなみにこれは?」


 色とりどりの花が、多くても三本程度でまとめられて虹色のセロファンでラッピングされている。花束というには数が足りず、一輪挿しのように孤独ではないものたちの共同スペース。


「ああ、これはですね」


 彼女は花たちの茎の長さと同じ程度の針金が伸びたポップをバケツに差し込む。


 黒板を意匠したプラスチック製のポップには【どれでも1$】と白いマーカーで書かれていた。


「なるほど。これなら手軽ですね」


 言いながらウィルは「そういえば開店前だったなぁ」と思い返す。準備の邪魔をしてしまったが、結果として客になって買い物もしたので責められはしないだろう。


 などと思っていたらその一つを握らされる。鉢入りの手提げの紐が肘まで落ちた。


「おまけです。今後ともご贔屓ひいきに。贈り物のご相談にも乗りますよ?」


「ンーーーー手ごわい。ありがとうございます!」


 たくましいなぁ、と素直に感じて礼を言う。


「その時は是非よろしくお願いします。確かに自分はプレゼントのセンスがないものでして。……貴女にこれ以上捕まっていると棚の全部を買わされてしまいそうだ!」


 置かせてもらっていた紙袋を棚から持ち上げ、わざとらしく退散する。


「あら! そしたら今日はもうお店を閉められますね?」


「勘弁してください! 持ち合わせがないですってば!」


 ふたり揃ってジョークに笑う。


「ありがとうございましたー。良い朝を!」


「どうもどうもー。そちらも良い一日を!」


 などと挨拶を交わして歩き始める。



 ……想定していた以上に手荷物が増えてしまった。少しの苦労をしながら紙袋からホットドッグを取り出して咥える。すっかり冷めてしまっていたが、不思議と不味いとは思わない。


 ともあれ、降って湧いた目的の一つは達成できた。次は何をするべきか。口をもごもごと動かしながら、非番の役を演じる彼は休日の無為な過ごし方これからを早くも追加で考えなければならなくなった。


 十字路の信号は赤。行き先も決めておらず、急ぐこともなかったのでそのまま立ち止まる。


 いくぶん温度の残っているカフェオレを飲んで、一度部屋に戻って荷物を置いてくるのも良いかもしれない、などと思っていると――遅ればせながら満を持して




 ――彼の舞台の幕が開く。



 街が目覚める。それはまだ夢の中にいたいのに、現実を急かすアラームのような無作法さだった。


 ウィルの立っている横断歩道を、きちんと信号機の青に従って左折してすれ違う車。何の変哲もないワゴン車は法廷速度を守って彼が進んできた方向へと走っていく。


 そして30m後方で起こる甲高いブレーキ音。続いて喧騒の声。振り返ると、ワゴンのドアが乱暴に閉まるところだった。先程まで遵守していた法律は投げ捨てられ、トップギアでそのまま走り去る。


「えぇー……」


 早朝。まだ野次馬が密度を持つほどの時間ではないのが幸いした。小走りで来た道を戻ると、そこにはつい先ほどまで会話に興じていた相手の姿はなく。


 色とりどりの鉢植えが並べられる前の空席の棚と、無残にひっくり返った一律1ドルの、彼がひとつ貰った小さな花のパッケージだけ。



「困ったな……」


 看過できない理由と、なんとかできない理由が混在している。


 世界警察本部の目と鼻の先、ビルの見える膝元での堂々たる拉致誘拐事件の発生。


「先輩の休日潰すのはなぁー! やっぱヤだよなぁー!」


 その懊悩おうのうは余人に理解できる類のものではない。


「でもってなんだよなぁー!」


 彼はそのアクトを文字通り死んでも逸脱できない。



 大げさに慌て、面倒がっていても彼の思考はスムーズに目的遂行、速やかな問題解決の手段を割り出している。


「はぁー気が乗らない。気が乗らないけど……しなぁー」



 ぐしゃり、と紙袋を潰してまとめて路地に放る。えある世界警察本部、その警部補としてやってはいけないマナー違反かつ軽犯罪だが、今の彼はそうではない。


 ポケットから取り出した携帯電話が相手にコールをかけている。


 無視しても良いだろうに、相手も存外付き合いが良い、と胸中で笑った。


「……おはよーございます。ふぁ」


「ごめんね、朝早くから」


「いいえ……んんっ! 起きました。ちょっとびっくりです。アドレス残しておいたけど、もう連絡来るとは思ってなかったので。どうしました?」


「うん、お休みだった? もだったんだけど」


「大丈夫です。急ぎの用事でも?」


「うん、というか遊びの誘いなんだけど……一狩り行かない? 


「カラーズやめたんじゃなかったでしたっけ、


「は。きついな。その名前は返上したんだけど」


「じゃあウィル警部補?」


「本官は非番なので」


「呼び名に困りますね……いいですよ、相手は? リーダー」


「はは、まだリーダーって呼んでくれるんだ。……相手は人攫い。発生場所は困った事に本部から2kmの超近場」


「ワオ。……三十分で合流します。……あっ」


「どうかした?」


「……急ぐんでメイクとか全然ですからね。あんまり顔とか見ないでください」


「化粧なんてしなくても良い女だと思うけどねえ……」


「これだから男は! じゃあ三十分後に!」


 プッ、と切れる通話に苦笑する。


 増えてくる人々から逃れるように路地裏へ。


 ――両手で髪を搔き上げる。


 ミリオンダラーの六番は空席となり、現在まで埋まってはいない。


【役者】に代わる劇場型犯罪者は世間にとって、幸運にもまだ存在していなかった。


 彼は舞台を降りた。今日の彼は休日で、だからこれはそう。


 誰がファンなのかも興味の薄い彼が、その誰とも知らぬ誰かに捧げる、ひどく自分よがりな。幕の降りた後で行うアンコール。


 客席に誰も残っていないと知りながら、あの日壊滅したカラーズの、一日限りの再結成。


 GR――【銀河鉄道】が、もう一度だけこの空に路線図ダイヤグラムを走らせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る