/2 孤独な王蜂と眠るコロニー


「ナイワー」


 一夜明け。彼のテンションをささやかに上げた、上司へのサプライズをプレゼント、という予定は夢と一緒に霧散していた。


「イイ歳した男がもっとイイ歳したオッサンに花束とかナイワー。しかも結婚記念日にソレ贈るとかもっとナイワー」


 ともあれ予定は白紙に戻った。直前まで浮かれていたために、当初の目論見から安く済ませたビールの空き缶が虚しくテーブルに置かれている。


 クローゼットから取り出したシャツに袖を通し、ではどうするかを考える。


 アバウトに休日の過ごし方が決まったのはそれから何工程か先……顔を洗い、寝癖を直し、姿見の前で緩みっぱなしだったジーンズのベルトを締めてからだった。


「……そうだな。無為にダラダラ過ごす、ということはしたことがなかった」


 鏡に映った自分が情の薄い笑みでその提案を口にする。うん、と頷いて財布や電話などといった小物だけを持って部屋を出る。


 外へ通じる玄関の隅。靴箱に立てかけられた移動手段を見て、少し考えてそれも持っていざ休日の街へ。


 そこだけにカメラを絞ればありふれた休日のワンシーン。けれども彼の生活するこのアメリカの一都市……その光景までを、ほんの少しだけ収めてしまうと途端にそれが異物に成り得るほどの非日常さ。



 ――朝焼けさえ遠く。仕事に励んでいたり、夜通し遊んでいたりする一部の例外を除いて、街はまだ眠りの中にある時間の出来事だった。当然すれ違う隣人たちも、エレベータの相乗りもおらず、その先の階段でも独り。彼は外界と変わらない静かさのまま、屋上へと辿り着いた。



 目覚める前の空に、快音を響かせて一条の光が走る。裏面に描かれたロゴは頭の王冠を置き去りにしている蜂のシルエット。


 ヘルゴスペルズシリーズ<スティンガー>を駆って、休日のウィル警部補は街を見下ろす。


 ふと浮かんだ、子ども達のヒーローが街をパトロールするシーン。


 重ねられるほど自分は勤勉でも、英雄的でもないと苦笑する。


「あぁ、そういえば。愛も勇気も友達さえもいないのであった……」


 同僚がいて、尊敬する上司や部下もいる組織。や敵対関係にある人々――けれどもそう、もっと一般的な関係性の他者……“友人”というモノを持ちえていない自分の人生に少しの哀を感じたりもしつつ。


 勤務先である世界警察本部の大ビルディングが浮かび上がり、さすがに近づくのはよろしくないと高度を下げる。


 電車だろうが車だろうがそこそこの距離がある自宅・本部間をストレスなく移動できるFPボードの、けれど走空の技術を隠しているがために活用できないジレンマ。そもそも、自分のようないくつかのを除けば大人たちはこの『夢』に乗ることができないのだった、などと思い直して。上昇気流をブレーキ代わりに、人気のない路地裏に着地。そこからは徒歩で大通りへと抜けても、やはりまだ街は本格的に動き出す前だった。


 立場も状況も違うけれど、この時間に活動している自分達『例外』。もちろん繋がりなどはない。共感とも違う、けれど確かに存在している――孤独ではない、という実感。その儚さは一度ならず対峙し、一度だけ聞いた、彼の騙った或る名前の本来の持ち主である少年の……まったく関係のないモノへの認識と似ていた。


 視認できる透明。触れ合うことはできなくても、在るのだというソレにその少年は息苦しさを感じ――は、


「……感傷的に過ぎるな」


 首を振って、ソレは間違いだと息と一緒に吐き出して終わらせる。


 休日を無為に過ごす、というのも彼にとっては中々に難易度の高いミッションで。そもそも


 本当に、無為に過ごすというのなら。その目覚めはもっと、街の営みよりも遅くなければならなかった。


 ボードを片手に、眉間に指を当てて思い起こす。――こういう時、その他大勢エキストラはどう過ごしているのかを。


 ……見渡せば、に似合いの場所がいくらでも見つかった。二十四時間なのか早いのか遅いのか。ともかく今の時間にも営業を続けているストアやカフェ。構うまい。どうせなら行き当たりばったりでふらりと立ち寄り、軽く腹に入れるのも充分にありだと思えた。


 意識しなければ気づかない土地勘の良さは、実はこの通りというのは日常的に歩き、或いはパトカーで全力疾走していた場所だということに起因していた。


 通りに面したカフェは普段も利用している店舗であり、メニューに迷うこともなく。ただシフトの都合か、応対する店員のサービスに差はなくとも人物そのものは違っていて、そこだけがやたらと新鮮に感じられた。


 他の買い物をするにしてもまだあと二、三時間ほどは暇を潰さなければならない。これからじわじわと増えるであろう人間を、ガラスの壁越しに観察でもしようかと、カフェオレとホットドッグのトレイを受け取った矢先。


 何とはなしに見やった道路の向かいで、シャッターが開いた。


 知識としては頭にあっても、実感はやはり違うものだ、と奇妙に納得する。



「すいません、やっぱり外で食べるんで」



 ややあって用意し直してもらった紙袋を片手に、彼は足先をそちらに向けた。



「おはようございます。早いんですね」


 花束を買う、という予定は白紙に戻しても。たとば、そう。


 彼のように理由もくてきがなければ動けない類の人間にも、自分の部屋を思い浮かべて、少しだけ。


 ――自室の殺風景さを客観的に見て、花のひとつでもあった方がと思うような感性はあったのだろう。


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