『後日談』

ワンダラー・ロマンス

/1 アフター5のご予定は?


 /


「お疲れ。先に上がってるぞ」


「はい、後やっときます。珍しいじゃないですか、直帰ちょっきとか、ってあぁ……そういえば今日でしたっけ。予約取りました?」


「要らんアドバイスなんざ十年早いんだよ、お前もさっさと片付けて上がっちまえ」


 はーい、と気の抜けた返事をする。


「明日はゆっくり休んでくださいね。アンタは世間ってのに奉仕しすぎてるんですから」


「お前は給料分くらいは働けばかもん。じゃあな」


「おつかれさまでーす」


 ネクタイを緩めて息を吐く上司に、デスクを挟んでモニタ越しに手を振る。


 ……さて。調書に報告書、数は少ないだけマシだが面倒くさい始末書。現代いまでは打ち込みと送信だけしてしまえばお終いだが、一昔前はいちいち紙に印刷して提出しなければならなかったらしい。環境に悪い前時代と、そういう面ではシンプルになった現代社会というモノに感謝しつつキーボードを打ち込んでいく。


「…………結婚記念日、ねぇ」


 ぎし、と背もたれを鳴かせて反りかえり、日の落ちかかった窓の外を眺める。


 ――愛だの恋だのロマンスに縁がなかった、というわけでもないが。彼のように仕事ではない能動……守りたい人、育むべき手のひらの幸福という日々の主観が自分にあるシーン、というものを空想すらできやしない。


 仕事が恋人、というほど、自分はこの生き方に熱心だったわけでもあるまいに。


「……珍しい。あの人が日の落ちる前に帰るとか。あ、それとも別の事件でもあるのかな」


 と、今しがたしそうになり、思い至って打ち消した勘違いを続行させる同僚に一言。


「ちーがーうーよ、記念日。。自分らには厳しい上司でもほら、愛すべき家庭のあるマイホーム・パパに変わりはないってことでしょう」


 なるほど、と深く頷く同僚。うんうん。


「で、補佐殿はその埋め合わせを?」


「一個だけね。残念ながら後は自分のお仕事でっす」


「実は私も妻を待たせていてですね……」


「おーやるじゃないですかー。がんばれ♡がんばれ♡」


「私の仕事も」


「お断りしまっす!」


 などとたいへん微笑ましく、残った我々は残った業務に勤しむのであった。


 日々、賞金首が暴れ回り、それを狩る賞金稼ぎたちも暴れ回るこの平和とはいえない世界情勢の中で、この紙コップに注がれた自販機の安いコーヒーが冷めるまでくらいの間しかない、平和なやりとり。その一端を担っていると自惚れられるくらいにはこの仕事に打ち込んでいるのだろうか、などと調書の文面に点滅するマークをぼんやり眺めること数秒。


「それで? 補佐殿にはそういった話は、」


「はははははははは自分が上司だったら減給したいなあその言及!」


 あったら自分だって有給取ってる。


 オレンジ色は藍色に。くだらない会話が辛うじて生き残っている喫煙主義者の焚く紫煙にけぶる頃、保存した文書を送信。


「んじゃお疲れさまです」


「お疲れ様です。ねえやっぱり手伝ってくれませんかね補佐殿」


「丁重にお断りさせていただきます」


 これ以上引きとめられる前に、すっかり空になった紙コップと鞄を持って退勤準備。


「ところで明日のご予定は?」


「別に先輩と合わせたわけじゃないけども。本官は非番であります。お先に失礼!」


 あとは帰ってシャワーを浴びてビールを飲んで、録画していたドラマをうとうとしながら見てそのまま寝る。


 サクライ警部せんぱいの結婚記念日、というイベントが外で入っていたりはすれど、自分……ウィル=シェイクスピア世界警察本部警部補の休日前、というのは概ねこのように紡がれていた。



「ナイッシュー」


 投擲した紙コップがゴミ箱にイン。


 うん、概ね変わりのない一日が待っていることだろう。



 /



「じゃ、よろしくお願いしまーす」


 制服をクリーニングに預けて日の沈んだ街へ繰り出す。先輩と食べたラーメン屋にでも行こうか、などと独り身の食事情の自由を満喫せんと歩く。


 バーをはじめとした飲食関係の店はこれからが掻き入れ時で、貪欲に街行く人々を客として飲み込んでいく。


 反対に朝早くから店を開けていた一部の店舗はこの時間から次々と看板をCLOSEにひっくり返し、自分などは休日でもなければ縁遠いそれらを横目に、自分と同じだろうか、それともこれからなのかはそれぞれな車の行き交いが白線の向こう側で繰り返されるのを気配として感じながら、ふと。


 半ばシャッターの降りたその店の前で、屋内に引っ込められる商品をなんとなしに足を止めて見てしまっていた。


 階段状に陳列され、三つあるスペースの最上段はすでに撤収済み。


 二段目の途中の品を胸に抱えたその人物が、こちらの視線に気付いて顔を上げる。


「ごめんなさい、今日はもうおしまいで……」


「あっ!? いえいえ、お気になさらず」


 慌てて首を横に振る。閉店後、駆け込み客でさえない自分が作業を止めてしまうのはなんというか、気が重かった。


「漫然と日々を過ごしてると嫌になりますな。いつも通る道なのに、こんなお店があると気付いていなくて。また今度寄らせてもらいます。それでは失礼」


 軽く頭を下げて踵を返す。


「はい、お待ちしております」


 と、商品――鉢植えを抱えた黒いエプロン姿の女性店員は閉店後にも関わらず営業スマイルを浮かべて見送ってくれる。


 頭の中で明日の予定に、思い付きだがひとつぶんの些細なスケジュールを追加した。



「……ま、ご機嫌取りってワケじゃないけど先輩の記念日に花でも渡すのもデキる部下ってヤツでしょう」


 そうと決まれば後は財布との相談。シャワー後のビールのグレードをちょっとばかり下げるところから始めよう。














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